講孟余話 / 離婁下 第二十章
其有不合者、仰而思之、夜以継日、幸而得之、坐以待旦、周公ノ行フ所、学者ニ於テ最モ切ナリ、學者古今ニ上下シ、華夷ヲ通觀ス、其間時異ニ地殊ニ、事換リ勢違フテ、合サル者千差万別、豈擧テ數フヘケンヤ、夫ヲ知ラスシテ一概ニ論スル時ハ、必ス時勢人情ニ逆ヒ大害ヲ生スル者少カラズ、漢土ニテモ周制ヲ後世ニ行ントシテ事ヲ誤ル者、漢ノ王莽、宋ノ王安石、明ノ方孝孺ノ如キ甚タ多シ、以テ鑑戒トスヘシ、又本邦ニ於テ事々漢土ニ模倣セント欲シテ事ヲ誤ル者亦多シ、近世迂儒或ハ漢土天子ノ事ヲ以テ、直ニ今ノ諸侯ニ說テ、穆々深遠垂拱無爲ヲ以テ美德トスル類少カラス、今ノ諸侯ハ即チ戰陣ノ大將ナレハ、麾ヲ揮テ万衆ヲ指揮スルコト固ヨリ其職ナレハ、風雪ニ立テ艱苦ヲ凌キ、山海ニ漁獵シ船馬ニ慣習スルモ、亦身軀ヲ鍛鍊スルノ一助ナルニ、夫ヲハ却テ失德ノ如ク陳說スル類、皆合ハサル者アルヲ知ラサルナリ、故ニ学者是等ノ所ニ於テ、仰テ思ヒ夜ヲ以テ日ニ継クノ工夫ナクンハ、萬卷ノ書ヲ讀ムト云トモ、君ヲ致シ民ヲ澤スルニ於テ、毫モ益アルコトナシ
新字:其有不合者、仰而思之、夜以継日、幸而得之、坐以待旦、周公ノ行フ所、学者ニ於テ最モ切ナリ、学者古今ニ上下シ、華夷ヲ通観ス、其間時異ニ地殊ニ、事換リ勢違フテ、合サル者千差万別、豈挙テ数フヘケンヤ、夫ヲ知ラスシテ一概ニ論スル時ハ、必ス時勢人情ニ逆ヒ大害ヲ生スル者少カラズ、漢土ニテモ周制ヲ後世ニ行ントシテ事ヲ誤ル者、漢ノ王莽、宋ノ王安石、明ノ方孝孺ノ如キ甚タ多シ、以テ鑑戒トスヘシ、又本邦ニ於テ事々漢土ニ模倣セント欲シテ事ヲ誤ル者亦多シ、近世迂儒或ハ漢土天子ノ事ヲ以テ、直ニ今ノ諸侯ニ説テ、穆々深遠垂拱無為ヲ以テ美徳トスル類少カラス、今ノ諸侯ハ即チ戦陣ノ大将ナレハ、麾ヲ揮テ万衆ヲ指揮スルコト固ヨリ其職ナレハ、風雪ニ立テ艱苦ヲ凌キ、山海ニ漁猟シ船馬ニ慣習スルモ、亦身躯ヲ鍛錬スルノ一助ナルニ、夫ヲハ却テ失徳ノ如ク陳説スル類、皆合ハサル者アルヲ知ラサルナリ、故ニ学者是等ノ所ニ於テ、仰テ思ヒ夜ヲ以テ日ニ継クノ工夫ナクンハ、万巻ノ書ヲ読ムト云トモ、君ヲ致シ民ヲ沢スルニ於テ、毫モ益アルコトナシ
書き下し
「其の合はざる者有れば、仰いで之れを思ひ、夜を以て日に継ぎ、幸ひにして之れを得れば、坐して以て旦を待つ」。周公の行ふ所、学者に於て最も切なり。学者古今に上下し、華夷を通観す。其の間、時異に地殊に、事換り勢違うて、合はざる者千差万別、豈に挙げて数ふべけんや。夫れを知らずして一概に論ずる時は、必ず時勢人情に逆らひ大害を生ずる者少なからず。漢土にても周制を後世に行はんとして事を誤る者、漢の王莽、宋の王安石、明の方孝孺の如き甚だ多し、以て鑑戒とすべし。又本邦に於て事々漢土に模倣せんと欲して事を誤る者亦多し。近世迂儒、或は漢土天子の事を以て直ちに今の諸侯に説きて、穆々深遠、垂拱無為を以て美徳とする類少なからず。今の諸侯は即ち戦陣の大将なれば、麾を揮ひて万衆を指揮すること固より其の職なれば、風雪に立ちて艱苦を凌ぎ、山海に漁猟し船馬に慣習するも、亦身躯を鍛錬するの一助なるに、夫れをば却つて失徳の如く陳説する類、皆合はざる者あるを知らざるなり。故に学者是等の所に於て、仰いで思ひ夜を以て日に継ぐの工夫なくんば、万巻の書を読むと雖も、君を致し民を沢するに於て、毫も益あることなし。
現代語訳
「(古の王の事績と)合わないところがあれば、仰いでこれを考え、夜を日に継いで考え、幸いに答えを得れば、座ったまま夜明けを待って実行した」。周公のこの行いは、学ぶ者にとって最も切実である。学ぶ者は古今を上下し、中国と異国を見通す。その間には時代が違い土地が違い、事情が変わり勢いが異なって、合わないところは千差万別、数え上げることなどできない。それを知らずに一概に論じれば、必ず時勢や人情に逆らって大きな害を生むことが少なくない。中国でも、周の制度を後世に行おうとして事を誤った者は、漢の王莽、宋の王安石、明の方孝孺のように非常に多い。これを戒めとすべきである。また我が国でも、何事も中国をまねようとして事を誤る者が多い。近ごろの世事に疎い儒者には、中国の天子のことをそのまま今の諸侯に説いて、奥深く静かにしていること、手をこまねいて何もしないことを美徳とする類が少なくない。今の諸侯は戦陣の大将であるから、采配を振るって大軍を指揮することがもとよりその職分であり、風雪の中に立って苦労をしのぎ、山や海で狩りや漁をし、船や馬に慣れることも、体を鍛える一助であるのに、それをかえって徳を失うことのように説く類は、みな合わないところがあることを知らないのである。だから学ぶ者がこうしたところで、仰いで考え夜を日に継ぐ工夫をしなければ、万巻の書を読んでも、君主を良くし民を潤すことに少しも役立たない。
解説
この章句が説くこと
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