講孟余話 / 離婁下 第十三章
此章註已ニ明ナリ、今更ニ一異說ヲ発シ考ニ備フ、生ヲ養フハ父母ノ目前ノ事ナレハ、甚タ狂妄ノ人ニ非ルヨリハ、可ナリニ恭敬ヲ致ス者ナレハ、是ヲ以テ遽ニ其人ヲ信シ孝子トシ、孝アレハ悌モアルヘク忠モアルヘクナトヽ思ヒ、大事ニ當テントセハ、大ナル誤ナルヘシ、死ヲ送ルニ至テモ尙能ク必ス誠ニ必ス信ナルコトコソ實ノ孝子ニテ、カヽル人コソ大事ニ當ルニ足ルベシ、當大事トハ大切ノ事ニ當リ、善ク是レニ堪ユルヲ云、即チ大節ニ臨テ奪フヘカラサルノ膽膓アルヲ云ナリ、當ノ字義朱註ト小異ナリ、是レ父母ノ生死ノミナラス、萬事皆此理ナリ、國強ク勢盛ンナル時ハ、孰レモ忠勤ヲ勵ムモノナリ、國衰へ勢去ルニ至テハ、志ヲ変シ敵ニ降リ主ヲ賣ル類寡カラス、故ニ人ハ晩節ヲ全フスルニ非サレハ、何程才智學藝アリト雖トモ、亦何ソ尊フニ足ンヤ、明主ニ忠アルハ珍ラシカラズ、暗主ニ忠ナルコソ眞忠ナレ、慈父ニ孝アルハ珍ラシカラズ、頑父ニ孝ナルコソ眞孝ナレ、賞譽セラレテ忠孝ナルコト珍ラシカラス、責罰セラレテ忠孝ナルコソ眞ノ忠孝ナレ、士大夫タル者嗜ムヘキコト実ニ爰ニアリ
新字:此章註已ニ明ナリ、今更ニ一異説ヲ発シ考ニ備フ、生ヲ養フハ父母ノ目前ノ事ナレハ、甚タ狂妄ノ人ニ非ルヨリハ、可ナリニ恭敬ヲ致ス者ナレハ、是ヲ以テ遽ニ其人ヲ信シ孝子トシ、孝アレハ悌モアルヘク忠モアルヘクナトヽ思ヒ、大事ニ当テントセハ、大ナル誤ナルヘシ、死ヲ送ルニ至テモ尚能ク必ス誠ニ必ス信ナルコトコソ実ノ孝子ニテ、カヽル人コソ大事ニ当ルニ足ルベシ、当大事トハ大切ノ事ニ当リ、善ク是レニ堪ユルヲ云、即チ大節ニ臨テ奪フヘカラサルノ胆膓アルヲ云ナリ、当ノ字義朱註ト小異ナリ、是レ父母ノ生死ノミナラス、万事皆此理ナリ、国強ク勢盛ンナル時ハ、孰レモ忠勤ヲ励ムモノナリ、国衰へ勢去ルニ至テハ、志ヲ変シ敵ニ降リ主ヲ売ル類寡カラス、故ニ人ハ晩節ヲ全フスルニ非サレハ、何程才智学芸アリト雖トモ、亦何ソ尊フニ足ンヤ、明主ニ忠アルハ珍ラシカラズ、暗主ニ忠ナルコソ真忠ナレ、慈父ニ孝アルハ珍ラシカラズ、頑父ニ孝ナルコソ真孝ナレ、賞誉セラレテ忠孝ナルコト珍ラシカラス、責罰セラレテ忠孝ナルコソ真ノ忠孝ナレ、士大夫タル者嗜ムヘキコト実ニ爰ニアリ
書き下し
此の章註已に明なり。今更に一異説を発して考へに備ふ。生を養ふは父母の目前の事なれば、甚だ狂妄の人に非ざるよりは、可なりに恭敬を致す者なれば、是れを以て遽かに其の人を信じ孝子とし、孝あれば悌もあるべく忠もあるべくなどと思ひ、大事に当てんとせば、大いなる誤りなるべし。死を送るに至りても尚能く必ず誠に必ず信なることこそ実の孝子にて、かかる人こそ大事に当るに足るべし。大事に当るとは、大切の事に当り、善く是れに堪ゆるを云ふ。即ち大節に臨みて奪ふべからざるの胆腸あるを云ふなり。当の字義、朱註と小異なり。是れ父母の生死のみならず、万事皆此の理なり。国強く勢盛んなる時は、孰れも忠勤を励むものなり。国衰へ勢去るに至りては、志を変じ敵に降り主を売る類寡なからず。故に人は晩節を全うするに非ざれば、何程才智学芸ありと雖も、亦何ぞ尊ぶに足らんや。明主に忠あるは珍らしからず、暗主に忠なるこそ真忠なれ。慈父に孝あるは珍らしからず、頑父に孝なるこそ真孝なれ。賞誉せられて忠孝なること珍らしからず、責罰せられて忠孝なるこそ真の忠孝なれ。士大夫たる者嗜むべきこと実に爰にあり。
現代語訳
この章は注ですでに明らかである。今さらに一つの別の説を出して考えの足しにしたい。親が生きているうちに養うのは父母の目の前のことだから、よほど常軌を逸した人でない限り、それなりに恭しく仕えるものである。それを見てすぐにその人を信じて孝子とし、孝があれば悌もあろう、忠もあろうなどと思って大事を任せようとするなら、大きな誤りである。親の死を送るに至っても、なお必ず誠実で必ず信のあることこそ本当の孝子であり、こういう人こそ大事を任せるに足る。「大事に当たる」とは、大切なことに当たって、よくそれに耐えることをいう。すなわち大きな節目に臨んで奪われない胆力があることをいうのである。「当」の字の意味は朱子の注と少し違う。これは父母の生死だけでなく、万事みなこの道理である。国が強く勢いの盛んな時には、誰もが忠勤に励むものである。国が衰え勢いが去ると、志を変えて敵に降り、主を売る者が少なくない。だから人は晩年の節操を全うしなければ、どれほど才知や学芸があっても、どうして尊ぶに足りようか。名君に忠なのは珍しくない。暗君に忠であってこそ真の忠である。慈父に孝なのは珍しくない。頑固な父に孝であってこそ真の孝である。褒められて忠孝なのは珍しくない。責められ罰せられても忠孝であってこそ真の忠孝である。士大夫たる者が心がけるべきことは、まことにここにある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「生を養うは、以て大事に當つるに足らず。惟だ死を送るは、以て大事に當つ可し。」
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『講孟余話』離婁上 第十九章此の章、親に事ふる・身を守るの二事を論ず。終りに親に事ふるの一事を承けて、曾子・曾元の孝を引きて、口体を養ふと志を養ふとを弁別す。志を養ふを以て主とす。「与ふる所を請ふ、曰く有り」と云ふは、特に其の端を云ふのみ。志を養ふの義は甚だ広大なり。凡そ父母の志の達する様にすること、皆是れなり。人の子たる者、父母の心を以て心とする時は孝と云ふべしと云ふも、即ち此の義なり。
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『講孟余話』離婁上 第二十六章後無きは大不孝とは雖も、父母の意に違ふ者亦孝と云ふべからず。且つ舜の此の事をなす時、父母を是とし給ふや、己を是とし給ふや。父母を是とし己を非とせば、己の非を以て父母の是に違ふ、不孝亦甚し。父母を非として己を是とせば、又孝子の心に非ず。「天下に是ならざる底の父母無し」、羅仲素の語、下第二十八章圏外の註に見ゆ、と云ふ如く、人子の心にては毫末も父母を是ならずと思はぬこそ孝と云ふべし。然れば舜孝子ならば決して此の事をなさず。若し果して此の事をなさば舜孝子に非ず。註に范氏曰く、「若し父瞽瞍に非ず、子大舜に非ずして、告げずして娶らんと欲せば、則ち天下の罪人なり」と。然らば聖人の行ひは凡人の模範とならざるか。且つ自ら舜とし、父を瞽瞍とするは天下の妄人なり。范氏の説、徒らに必無の事を設けて後人を惑はしむ、其の誣罔甚し。且つ後無きを大不孝とするにより、告げずして娶るをなほ告ぐるが如しと云はば、父母の命、媒妁の言を待たずして、穴隙を鑽りて相窺ひ、墻を踰えて相従ひ、父母国人皆是れを賤しむるとも、後あらば亦孝と云ふべきか。東家の墻を踰えて其の処女を摟きて後あらば亦孝と云ふべきか。是れ亦不通の論なり。
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『講孟余話』離婁下 第二十三章此の章、孟子事に臨みて深思熟慮するの目を挙ぐ。此の類推して広めば豈に極まりあらんや。抑々朱子註に於て「過ぎて取るは固より廉を害す、然れども過ぎて与ふるも亦反つて其の恵を害し、過ぎて死するも亦反つて其の勇を害す」と云ひ、固・然・亦・反の四字を下して斟酌商量を示す。本文の語意もと此の抑揚あるに非ず、特に朱子書を解し後人を暁さんと欲するの老婆心を見るべし。常人の情多くは取り易きに失す、故に「固より」と云ひて抑中の抑を示す。与ふると死するとは多くは難きに失す、故に過ぎて与へ過ぎて死するに於ては、過ぎて取ると文を異にし、「然」「亦」「反」の三字にて抑中の揚を示す。学者中道に志すは固よりなれども、其の次は、過ちて取らんよりは過ちて与へんに如かず、過ちて生きんよりは過ちて死せんに如かず、是れ亦知らずんばあるべからず。
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『講孟余話』離婁上 第二十八章此の章「天下の父子為る者定まる」と云ふこと深味あり。瞽瞍は天下の頑父なれども、大舜の至孝あれば豫を底すに至る。底は致なりと註す。豫を致すとは豫を極むる心にて、至極悦豫することなり。然れば天下豈に復た事ふべからざるの父あらんや。是れ天下の父子たる者定まるなり。推して是れを広むれば父のみに非ず、君も亦然り。然らば暴君頑父と云へども、臣子たる者善く己が忠孝を尽す時は、豈に感格せざるの理あらんや。因りて臣子の心得を論ずべし。苟も君父あらん者は「労して怨みず」と云ふことを落着すべし。諫め行はれざれども、言聴かれざれども、功ありて却つて罪せられ、志ありて却つて疎んぜらるると云へども、毫末も怨心あるべからず。凡そ慈父仁君に事へて孝子となり忠臣となる者、古今少なからず、誠に吉祥善事と云ふべし。暴君頑父に事へて忠孝なる者に至りては、不幸の至り、誠に哀しむべし。然れども是れに非ざれば真の忠孝の誠意を観るに足らず。余因りて忠孝の最も不幸なる者を集輯して一書となし、以て慈父仁君に事へて不孝不忠なる者を諷せんと欲す。而して未だ及ぶに暇あらざるなり。此の篇の大要は治国平天下の大体を論じ、自ら反し己を竭すの道を主とす。
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『講孟余話』盡心上 第二十六章権の一字是れ中を執るの法にして、全章の帰宿なり。余常に謂へらく、聖人の道は人倫を明らかにするにあり、明らかにするの工夫は是れ権の功なり。君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の五つの物、親・義・別・序・信の五つの事、是れ人倫なれば、後漢の趙苞の如く、三国の徐庶の如く、不幸にして人倫の変に遇ひたる時は、軽重を衡り、或いは仕を辞して親に随ひ、或いは国に殉じて家を顧みざる、皆時と勢とに因りて義を生ずる、是れ権なり。故に徒らに忠孝の道を学びて、権の字に心付かざれば、不忠不孝に陥ること多し。余常に是れを憂ふ。故に古今人倫の変に遇ひて、或いは善く権して其の義を全うし、或いは権すること能はずして其の義を闕く類の事蹟を類輯して一書となし、略論断を加へて、自ら観省に備へんと欲す、未だ及ぶに暇あらず。然れども已に変と云へば千差万別、始めより定体なし、又一言の尽くす所に非ず。且つ往古の死例を以て、将来の万変を制せんとするは迂闊拘泥の至りならずや。云く、「故きを温ねて新しきを知る」は孔門の学則なり。死例を活用すれば、思ひを広め智を発するの一助ともなるべし。其の要に至りては、欒共子の所謂(小学内篇通論引)「之の在る所は則ち死を致す」の意に原づきて是れを思はば、権の義に於て思ひ已に半ばに過ぎん。第二十七章。
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