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講孟余話 / 離婁下 第九章

十一月十二日此章註ニ有爲而言トアリ、此義深ク講究スヘシ、君子ノ語默動靜、義ニ合フト義ニ合ハヌトヲ顧ルノミ、何ソ後患ノ有無ヲ論センヤ、若シ後患ヲ懼ルヽ故ニテ、人ノ不善ヲ言ハサルヲ以テ道トセハ、唐ノ韓退之カ史ヲ爲ル者ハ人禍アラサレハ則チ天刑アリ、畏惧セスシテ輕シク之ヲ爲スヘケンヤト云ト、同日ノ論ニテ、甚タ非ナリ、柳宗元ノ駁スル如ク、凡ソ其位ニ居テハ其道ヲ直フセンコトヲ思フ、刑禍ハ惧ルヽ所ニ非ストノ論、最モ其正ヲ得タリ、然トモ職ニモ非スシテ好テ人ヲ誹謗シ、其不善ヲ言テ無益ノ刑禍ヲ買フハ、亦愚昧ノ至ト云ヘシ、故ニ孟子斯人ノ爲ニ是言ヲ発シ之ヲ誠ムルナリ、故ニ有爲而言ト註スルナリ

新字:十一月十二日此章註ニ有為而言トアリ、此義深ク講究スヘシ、君子ノ語黙動静、義ニ合フト義ニ合ハヌトヲ顧ルノミ、何ソ後患ノ有無ヲ論センヤ、若シ後患ヲ懼ルヽ故ニテ、人ノ不善ヲ言ハサルヲ以テ道トセハ、唐ノ韓退之カ史ヲ為ル者ハ人禍アラサレハ則チ天刑アリ、畏惧セスシテ軽シク之ヲ為スヘケンヤト云ト、同日ノ論ニテ、甚タ非ナリ、柳宗元ノ駁スル如ク、凡ソ其位ニ居テハ其道ヲ直フセンコトヲ思フ、刑禍ハ惧ルヽ所ニ非ストノ論、最モ其正ヲ得タリ、然トモ職ニモ非スシテ好テ人ヲ誹謗シ、其不善ヲ言テ無益ノ刑禍ヲ買フハ、亦愚昧ノ至ト云ヘシ、故ニ孟子斯人ノ為ニ是言ヲ発シ之ヲ誠ムルナリ、故ニ有為而言ト註スルナリ

書き下し

十一月十二日。此の章註に「為にする有りて言ふ」とあり、此の義深く講究すべし。君子の語黙動静は、義に合ふと義に合はぬとを顧るのみ、何ぞ後患の有無を論ぜんや。若し後患を懼るる故にて、人の不善を言はざるを以て道とせば、唐の韓退之が「史を為る者は人禍あらざれば則ち天刑あり、畏懼せずして軽々しく之れを為すべけんや」と云ふと同日の論にて、甚だ非なり。柳宗元の駁する如く、凡そ其の位に居ては其の道を直くせんことを思ふ、刑禍は懼るる所に非ずとの論、最も其の正を得たり。然れども職にも非ずして好んで人を誹謗し、其の不善を言ひて無益の刑禍を買ふは、亦愚昧の至りと云ふべし。故に孟子斯の人の為めに是の言を発し之れを誡むるなり。故に「為にする有りて言ふ」と註するなり。

現代語訳

十一月十二日。この章の注に「ある人のために言ったものだ」とあり、この意味を深く研究すべきである。君子が語り黙り動き静まるのは、義にかなうか、かなわないかを顧みるだけで、どうして後の災いの有無を論じようか。もし後の災いを恐れるから人の不善を言わないのを道とするなら、唐の韓愈(退之)が「歴史を書く者は、人の禍がなければ天の罰がある。恐れずに軽々しく書いてよいものか」と言ったのと同じ論で、はなはだ誤りである。柳宗元が反論したように、およそその地位にいるなら、その道を真っ直ぐに行おうと思うべきで、刑罰や災いは恐れるところではない、という論が最も正しい。けれども、職務でもないのに好んで人を誹謗し、その不善を言い立てて無益な刑罰や災いを招くのは、これもまた愚かの極みというべきである。だから孟子はそういう人のためにこの言葉を発して戒めたのである。それで「ある人のために言ったものだ」と注するのである。

解説

離婁下第九章「人の不善を言はば、当に後患を如何すべき」についての講説です。災いを恐れて悪を言わないのが道なら、韓愈が史官は天罰を恐れよと言ったのと同じになる、と松陰は退けます。職にある者は災いを恐れず道を直く行え、という柳宗元の反論を支持するのです。一方で、職分でもないのに人を誹謗して無益な災いを招くのは愚かだとも言います。言うべき立場で言わないことと、言うべきでない所で言うこと、その両方を戒める、バランスの取れた発言論です。

この章句が説くこと

直言職分発言義韓愈

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