講孟余話 / 離婁下 第八章
不爲ハ獧者ノ類ナリ、有爲ハ狂者ノ類ナリ、モト是レ兩種ノ人ナリ、譬ヘハ伯夷ノ周ノ粟ヲ食フヲ耻テ首陽ニ餓死シ、嚴子陵ノ光武ニ屈セスシテ釣臺ニ老ユル如キ、皆不爲ノ志ト云ヘシ、伊尹ノ成湯ヲ輔ケテ夏桀ヲ南巢ニ放チ、太公ノ武王ヲ勧メテ殷紂ヲ牧野ニ誅スル如キ、同シク天下ノ亂ヲ定メ萬民ノ苦ヲ救フハ、有爲ノ業ト云ヘシ、伯夷子陵・伊尹太公、分テ云ヘハ両種ノ人ナリ、然トモ伊尹有莘ノ野ニ耕ヘシ、太公渭川ニ釣セシ時ニ當テ、富貴利達一ツモ其心ヲ動カス所ナシ、是レ其不爲ノ志ナリ、此志アレハコソ、有爲ノ業モ出來タルナリ、又伯夷子陵ノ如キ不爲ノ志アル人ハ、苟モ其位ニ當リ其事ニ任スルコトアラハ、固ヨリ亦有爲ノ業ヲ成スコト必セリ、今吾徒罪ヲ獲テ獄ニ坐ス、眞ニ能ク心ヲ道德ノ域ニ樂シマシメ、天下ノ事一ツモ心ヲ動カスコトナク、不爲ノ志確乎タラハ、一旦事變ニ臨ムコトアリトモ、必ス能ク有爲ノ業ヲ成スコトヲ得ン、是レ吾カ學ヲ勤ムル所以ナリ
新字:不為ハ獧者ノ類ナリ、有為ハ狂者ノ類ナリ、モト是レ両種ノ人ナリ、譬ヘハ伯夷ノ周ノ粟ヲ食フヲ耻テ首陽ニ餓死シ、厳子陵ノ光武ニ屈セスシテ釣台ニ老ユル如キ、皆不為ノ志ト云ヘシ、伊尹ノ成湯ヲ輔ケテ夏桀ヲ南巣ニ放チ、太公ノ武王ヲ勧メテ殷紂ヲ牧野ニ誅スル如キ、同シク天下ノ乱ヲ定メ万民ノ苦ヲ救フハ、有為ノ業ト云ヘシ、伯夷子陵・伊尹太公、分テ云ヘハ両種ノ人ナリ、然トモ伊尹有莘ノ野ニ耕ヘシ、太公渭川ニ釣セシ時ニ当テ、富貴利達一ツモ其心ヲ動カス所ナシ、是レ其不為ノ志ナリ、此志アレハコソ、有為ノ業モ出来タルナリ、又伯夷子陵ノ如キ不為ノ志アル人ハ、苟モ其位ニ当リ其事ニ任スルコトアラハ、固ヨリ亦有為ノ業ヲ成スコト必セリ、今吾徒罪ヲ獲テ獄ニ坐ス、真ニ能ク心ヲ道徳ノ域ニ楽シマシメ、天下ノ事一ツモ心ヲ動カスコトナク、不為ノ志確乎タラハ、一旦事変ニ臨ムコトアリトモ、必ス能ク有為ノ業ヲ成スコトヲ得ン、是レ吾カ学ヲ勤ムル所以ナリ
書き下し
「為さざる」は獧者の類なり。「為す有る」は狂者の類なり。もと是れ両種の人なり。譬へば伯夷の周の粟を食ふを恥ぢて首陽に餓死し、厳子陵の光武に屈せずして釣台に老ゆる如き、皆不為の志と云ふべし。伊尹の成湯を輔けて夏桀を南巣に放ち、太公の武王を勧めて殷紂を牧野に誅する如き、同じく天下の乱を定め万民の苦を救ふは、有為の業と云ふべし。伯夷・子陵、伊尹・太公、分けて云へば両種の人なり。然れども伊尹有莘の野に耕し、太公渭川に釣りせし時に当りて、富貴利達一つも其の心を動かす所なし、是れ其の不為の志なり。此の志あればこそ、有為の業も出来たるなり。又伯夷・子陵の如き不為の志ある人は、苟も其の位に当り其の事に任ずることあらば、固より亦有為の業を成すこと必せり。今吾が徒罪を獲て獄に坐す。真に能く心を道徳の域に楽しましめ、天下の事一つも心を動かすことなく、不為の志確乎たらば、一旦事変に臨むことありとも、必ず能く有為の業を成すことを得ん。是れ吾が学を勤むる所以なり。
現代語訳
「為さない」は節を守る獧者の類であり、「為すことがある」は進取の狂者の類である。もともとこれは二種類の人である。たとえば伯夷が周の粟を食べるのを恥じて首陽山で餓死し、厳子陵が光武帝に屈せず釣台で老いたようなのは、みな為さない志というべきである。伊尹が成湯を助けて夏の桀王を南巣へ追放し、太公望が武王に勧めて殷の紂王を牧野で討ったように、天下の乱を収め万民の苦しみを救うのは、為すことのある事業というべきである。伯夷・厳子陵と伊尹・太公望は、分けて言えば二種類の人である。けれども伊尹が有莘の野で耕し、太公望が渭水で釣りをしていた時には、富貴や出世は一つもその心を動かさなかった。これが彼らの為さない志である。この志があったからこそ、為す事業もできたのである。また伯夷や厳子陵のような為さない志のある人は、もしその地位に就きその事を任されれば、必ず為す事業を成し遂げたに違いない。今、我々は罪を得て獄にいる。本当に心を道徳の世界で楽しませ、天下のことに一つも心を動かされず、為さない志が確かであれば、いったん変事に臨んだときには、必ず為す事業を成し遂げることができるだろう。これが私が学問に励む理由である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問はまづ志を立つるを以て本とす。志とは心のゆく所なり。道を知り行ひて、君子に至らんと思ふ心常におこたりなく、念々やまざるを、志を立つると云ふ。志たたざれば学ぶこと成就せず。故に古人も、志ある者は其事つひになるといひ、又志たつは学の半なりといへり。たとへば弓いる者の、的に志し、道ゆく者の、宿に志すが如し。よろづの事、まづ本をつとむべし。志を立つるは学問の本なり。志を立つるには勇猛なるべし。柔弱にして怠るべからず。おこたれば験なくしてはかゆかず。道を求むるにせちなる志は、たとへば飢ゑて食を求め、渇きて湯水を求むるが如くなるべしわづかに悠々としておこたれば、志すたる。唯此道に心を一すぢにすべし。
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『童子問』卷下問ふ、今時の学者、何ぞ聖学に志す者の少なくして、雑学を好む者の多きや、と。曰く、豪傑なる者は少なくして、庸材なる者は多し。古今皆然り。予養鷹者の説を聞く。鷹の捷き者は、必ず先づ鶴の最も大なる者を撃つ。其の捷からざる者は、必ず鶴の小なる者を見て之を撃つ。鷹の最も神俊なる者を、海東青と号す。建酋に産し、海内には得べからず、と。韓欧の古文を好む者既に少なく、伊洛の学に志す者益々少なし。況んや孔孟の正学に志す者は、千万人中の一人のみ。其の韓欧の古文を好む者は、鶴の稍小なる者を撃つの類なり。伊洛の学に志す者は、鷹の捷き者なり。孔孟の正学に志す者は、建酋の海東青なり。其の雑学・詞章・記誦の類を好む者は、亦小隼の麻雀鶉鷃を撃つの類のみ。貴ぶに足らず。子其れ自ら励む所を知らざるべけんや。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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『大和俗訓』巻之二・為学下一博学にして経書に通じ、義理を説く人も、其心術行迹あしくして、俗人におとれるもあり。是道に志なくして、道を我が心に得ざればなり。口に読みならひ、目に見おぼえても、其理を心に得ざれば益なし。たとへば美食芳樽前に多くつらなれども、これを飲みくらはざれば、食にもあく事なく、酒にゑふ事もなきが如し。書を読んで行あしき人あるをうたがふ人あり。これを以て疑をはらすべし。書をよみても道に志なくば、文字を知れるのみにて、心において益なし。是無用の学なり。ここを以て、学をするにはまづ志を本とすべし。
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『講孟余話』梁惠王下 首章今や文教興隆し、正学世に明らかなり。士は孔孟の言に非ざれば口に称せず、五尺の童子も管晏を言ふことを恥づ。吾諸君と此の世に生まれ、正学に従事することを得、実に大幸と云ふべし。然れども志を立つること真ならざれば、名は正学なれども実は曲学にも劣るべし。事旧りたれども、子としては孝に死し、臣としては忠に死し、仰いでは皇国の大恩に報じ、俯しては一身の職分を尽くさんと、日夜に志を励まして学を勤めば、其の正学たるに負かずと云ふべし。孟子嘗て云く、五穀も熟せざれば荑稗に如かずと、思はざるべけんや。抑々志さへ真なれば曲学にても一概に非とすべからずとは雖も、世に志ありて曲学に陥る者あらば、吾固より手を把りて正学の途に進めんと欲するは固よりなり。是れを以て又孟子の楽を論ずる言外の旨を領すべし。
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