講孟余話 / 離婁下 第六章
非礼之礼、非義之義、此類世間最モ多シ、權門勢家ニ奔走スルヲ俗人ハ礼ト心得、娼妓婦女ニ約信ヲ違ヘサルヲ俠士ハ義ト心得ル類、又北條足利等ノ逆賊ノ爲メニ忠義ヲ致シ、恐多クモ堂々タル天朝ヘ楯ヲ衝キ奉ル皆是ナリ、大道ヲ明ニセスンハ礼義ノ正ヲ失ヒ非ニ陷ルコト多シ、大道ニ通スルニ非スンハ安ンソ大人タルコトヲ得ンヤ
新字:非礼之礼、非義之義、此類世間最モ多シ、権門勢家ニ奔走スルヲ俗人ハ礼ト心得、娼妓婦女ニ約信ヲ違ヘサルヲ侠士ハ義ト心得ル類、又北条足利等ノ逆賊ノ為メニ忠義ヲ致シ、恐多クモ堂々タル天朝ヘ楯ヲ衝キ奉ル皆是ナリ、大道ヲ明ニセスンハ礼義ノ正ヲ失ヒ非ニ陥ルコト多シ、大道ニ通スルニ非スンハ安ンソ大人タルコトヲ得ンヤ
書き下し
「非礼の礼、非義の義」、此の類世間最も多し。権門勢家に奔走するを俗人は礼と心得、娼妓婦女に約信を違へざるを侠士は義と心得る類、又北条・足利等の逆賊の為めに忠義を致し、恐れ多くも堂々たる天朝へ楯を衝き奉る、皆是れなり。大道を明らかにせずんば、礼義の正を失ひ非に陥ること多し。大道に通ずるに非ずんば、安んぞ大人たることを得んや。
現代語訳
「礼でない礼、義でない義」、この類は世の中に最も多い。権力者や勢いのある家に走り回るのを俗人は礼だと心得、遊女との約束を違えないのを侠客は義だと心得る類、また北条や足利などの逆賊のために忠義を尽くし、恐れ多くも堂々たる朝廷に刃向かったのも、みなこれである。大きな道を明らかにしなければ、礼義の正しさを失って誤りに陥ることが多い。大きな道に通じなければ、どうして大人となれようか。
解説
離婁下第六章「非礼の礼、非義の義、大人は為さず」についての講説です。礼や義の形をしていても、中身が道にかなっていないものがある。松陰は、権力者へのご機嫌伺いを礼と思い込む俗人や、遊里の約束を守ることを義と思う侠客を例に挙げます。さらに、北条・足利のために尽くして朝廷に背いた武士たちも同じだと、尊王の立場から断じています。形だけの礼儀や忠誠に満足せず、それが何のための礼義なのかを問え、という指摘は時代を越えて通じます。
この章句が説くこと
礼義大道大人形式尊王
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