講孟余話 / 離婁下 第三章
書ヲ讀ムハ主意ヲ観ルコトヲ要トス、此事ノ如キ孟子宣王ノ爲メニ說ク、故ニ君道ヲ以テ主意トス、若シ誤テ臣道モ亦如是ト思ハヽ大ニ非ナリ、若シ臣道ヲ論スル時ハ、君々タラスト云トモ臣以テ臣タラサルヘカラスト是ナリ、然トモ若臣ヲ視ルコト手足ノ如ナレトモ、臣君ヲ視ルコト國人ノ如ク、君臣ヲ視ルコト犬馬ノ如クナレトモ、臣君ヲ視ルコト却テ冠讎ノ如キ者アリ、是其罪万死スト云トモ何ヲ以テ是ヲ償ンヤ、賈誼ノ治安策ニ云、主上遇其大臣、如遇犬馬、彼將犬馬自爲也、如遇官徒、彼將官徒自爲也、是レ孟子ノ言ニ原ツクト云トモカク云トキハ忠厚ニシテ弊ナシトス
新字:書ヲ読ムハ主意ヲ観ルコトヲ要トス、此事ノ如キ孟子宣王ノ為メニ説ク、故ニ君道ヲ以テ主意トス、若シ誤テ臣道モ亦如是ト思ハヽ大ニ非ナリ、若シ臣道ヲ論スル時ハ、君々タラスト云トモ臣以テ臣タラサルヘカラスト是ナリ、然トモ若臣ヲ視ルコト手足ノ如ナレトモ、臣君ヲ視ルコト国人ノ如ク、君臣ヲ視ルコト犬馬ノ如クナレトモ、臣君ヲ視ルコト却テ冠讎ノ如キ者アリ、是其罪万死スト云トモ何ヲ以テ是ヲ償ンヤ、賈誼ノ治安策ニ云、主上遇其大臣、如遇犬馬、彼将犬馬自為也、如遇官徒、彼将官徒自為也、是レ孟子ノ言ニ原ツクト云トモカク云トキハ忠厚ニシテ弊ナシトス
書き下し
書を読むは主意を観ることを要とす。此の事の如き、孟子宣王の為めに説く、故に君道を以て主意とす。若し誤りて臣道も亦是くの如しと思はば大いに非なり。若し臣道を論ずる時は、「君君たらずと雖も、臣以て臣たらざるべからず」と是れなり。然れども若し臣を視ること手足の如くなれども、臣君を視ること国人の如く、君臣を視ること犬馬の如くなれども、臣君を視ること却つて寇讎の如き者あり、是れ其の罪万死すと雖も何を以て是れを償はんや。賈誼の治安策に云く、「主上其の大臣を遇すること、犬馬を遇するが如くならば、彼将に犬馬もて自ら為さんとす。官徒を遇するが如くならば、彼将に官徒もて自ら為さんとす」と。是れ孟子の言に原づくと雖も、かく云ふときは忠厚にして弊なしとす。
現代語訳
書物を読むには、その主眼を見ることが肝要である。この章などは、孟子が斉の宣王のために説いたものだから、君主の道を主眼としている。もし誤って、臣下の道もこのとおりだと思えば大きな間違いである。臣下の道を論じるなら、「君が君らしくなくても、臣は臣らしくなければならない」というのがそれである。ところが、君主が臣下を手足のように見ているのに、臣下は君主を通りすがりの他人のように見たり、君主が臣下を犬馬のように扱うと、臣下がかえって君主を仇敵のように見る者がいる。これは万死に値する罪で、何をもって償えようか。賈誼の治安策にはこうある。「主上がその大臣を犬馬のように扱えば、大臣もやがて犬馬として振る舞うだろう。下級役人のように扱えば、やがて下級役人として振る舞うだろう」。これは孟子の言葉に基づいているが、このように言えば誠実で手厚く、弊害がない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・應務・慎果の二字、明哲の二字士君子大事に當たる時、人に先んじて任ずるは、當に慎果の二字を知るべし。人に從ひて行ふは、當に明哲の二字を知るべし。明哲は難を避くるに非ず。事に裨無くして只だ自ら沒するのみなればなり。
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『呻吟語』内篇・應務・卑は恭を學ばず、貧は儉を學ばず謙忍は皆な尊に居るの道なり。儉樸は皆な富に居るの道なり。故に曰く、卑は恭を學ばず、貧は儉を學ばずと。
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『墨子』非儒下民を存す。是に於いて其の禮を厚くし、其の封を留め、敬して見るも其の道を問わず。孔丘、乃ち景公と晏子とに志怒し、乃ち鴟夷子を樹てて田常の門に及ぼし、南郭子に欲する所を為すを告げ、魯に歸る。頃有りて、齊の将に魯を伐たんとするを間き、子貢に告げて曰く、「賜や、大事を今の時に舉げん」と。乃ち子貢を齊に遣わし、南郭惠子に因りて以て田常に見え、之に吳を伐つを勸め、以て髙・國・鮑・晏を教え、田常の亂を害するを得ざらしめ、越に吳を伐つを勸む。三年の内、齊・吳、國を破るの難あり、伏尸は術數を以て言う。孔丘の誅なり。
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・利あらざるものは必ず害あり以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、
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