講孟余話 / 離婁下 第四章
十一月十一日去徒ハ皆其國ヲ去テ他國ニ徒ルヲ云、是レ游仕ノ人ニ就テ云、世祿ノ士國ト休戚ヲ同フスル者ノ如キハ、豈禍ヲ免レ自ラ其智ニ誇ルコトヲ得ンヤ、人臣タル者時ノ不淑ニ遇テ諫諍死ヲ致ス、固ヨリ正義ナリ、何ソ遽ニ去徒スルコトヲ得ンヤ、然レトモ諫行ハレズ言聽カレス、君子道消シ小人道長シタランニハ、官ヲ辞シ身ヲ退ソキ、一身ノ覚悟ヲ全フシ、緩急ノミ用ニ立タンコトヲ計ルモ、亦是一義ニシテ即チ去徒ノ意ナリ
新字:十一月十一日去徒ハ皆其国ヲ去テ他国ニ徒ルヲ云、是レ游仕ノ人ニ就テ云、世禄ノ士国ト休戚ヲ同フスル者ノ如キハ、豈禍ヲ免レ自ラ其智ニ誇ルコトヲ得ンヤ、人臣タル者時ノ不淑ニ遇テ諫諍死ヲ致ス、固ヨリ正義ナリ、何ソ遽ニ去徒スルコトヲ得ンヤ、然レトモ諫行ハレズ言聴カレス、君子道消シ小人道長シタランニハ、官ヲ辞シ身ヲ退ソキ、一身ノ覚悟ヲ全フシ、緩急ノミ用ニ立タンコトヲ計ルモ、亦是一義ニシテ即チ去徒ノ意ナリ
書き下し
十一月十一日。去徙は皆其の国を去りて他国に徙るを云ふ。是れ游仕の人に就いて云ふ。世禄の士、国と休戚を同じうする者の如きは、豈に禍を免れて自ら其の智に誇ることを得んや。人臣たる者、時の不淑に遇ひて諫諍死を致す、固より正義なり、何ぞ遽かに去徙することを得んや。然れども諫め行はれず言聴かれず、君子の道消し小人の道長じたらんには、官を辞し身を退き、一身の覚悟を全うし、緩急のみ用に立たんことを計るも、亦是れ一義にして即ち去徙の意なり。
現代語訳
十一月十一日。「去」「徙」とは、どちらもその国を去って他国へ移ることをいう。これは諸国を渡り歩いて仕える人について言ったものである。代々禄を受けて国と喜憂を共にする武士のような者が、どうして禍を逃れて自分の賢さを誇ることができようか。臣たる者が不運な時に出会えば、諫めて死に至るのはもとより正しい道であり、どうして急に去ることができようか。けれども、諫めが行われず言葉が聞き入れられず、君子の道が衰え小人の道が盛んになったなら、官を辞して身を退き、自分一身の覚悟を全うして、いざという時にだけ役に立とうと図るのも、また一つの道であって、それがすなわち去徙の意味である。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』定名説苑に曰く「命に従いて君を利する、之を順と謂う〔又た曰く、君正しくして臣従う、之を順と謂うなり〕。命に従いて君を病ましむる、之を諛と謂う〔又た曰く、応に言うべくして言わざる、之を隠と謂い、応に諫むべくして諫めざる、之を諛と謂う。又た曰く、君僻にして臣従う、之を逆と謂うなり〕。命に逆らいて君を利する、之を忠と謂う〔又た曰く、人に分かつに財を以てする、之を恵と謂い、人に教うるに善を以てする、之を忠と謂う。孫卿曰く、徳を以て君を覆いて之を化するは、大忠なり。徳を以て君を調えて之を補うは、次忠なり。是を以て非を諫めて之を怒らしむるは、下忠なり〕。命に逆らいて君を病ましむる、之を乱と謂う〔又た曰く、功無きを賞する、之を乱と謂う〕。君に過失有りて、将に国家を危うくせんとするに、能く言を君に尽くす有り。用いらるれば則ち留まり、用いられざれば則ち去る、之を諫と謂う。用いらるれば則ち可、用いられざれば則ち死す、之を諍と謂う。能く群下を率いて以て君を諫め、国の大患を解き、国の大害を除く、之を輔と謂う。君の命に抗し、君の事に反し、国の危うきを安んじ、主の辱めを除く、之を弼と謂う」と。〔故に諫・諍・輔・弼の者は、社稷の臣と謂うべく、明君の貴ぶ所なり。〕
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