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講孟余話 / 離婁上 第二十三章

人ノ師トナランコトヲ欲スレハ學フ所己カ爲ニ非ス、博聞强記人ノ顧問ニ備ルノミ、而シテ是學者ノ通患ナリ、吾輩尤モ自ラ戒シムヘシ、凡學ヲナスノ要ハ己カ爲ニスルニアリ、己カ爲ニスルハ君子ノ學ナリ、人ノ爲ニスルハ小人ノ學ナリ、而シテ己カ爲ニスルノ學ハ、人ノ師トナルヲ好ムニ非スシテ自ラ人ノ師トナルヘシ、人ノ爲ニスルノ學ハ人ノ師トナラント欲スレトモ遂ニ師トナルニ足ラス、故ニ云ク記聞ノ學ハ以テ師トナルニ足ラスト是ナリ、以上三章人ノ毀譽ニ拘ラスシテ己ヲ脩メ實ヲ盡シ、第二十一章ノ意也、言語ヲ容易ニセス、實行ヲ以テ自ラ責任トシ、第二十二章ノ意也、人ノ師トナルヲ好マスシテ己ノ爲ニスルノ實學ヲ脩ムヘキヲ云、此章ノ意ナリ、意並ニ相似タリ、皆己ヲ脩メ實ヲ務ムルノ教也、第二十四章

新字:人ノ師トナランコトヲ欲スレハ学フ所己カ為ニ非ス、博聞強記人ノ顧問ニ備ルノミ、而シテ是学者ノ通患ナリ、吾輩尤モ自ラ戒シムヘシ、凡学ヲナスノ要ハ己カ為ニスルニアリ、己カ為ニスルハ君子ノ学ナリ、人ノ為ニスルハ小人ノ学ナリ、而シテ己カ為ニスルノ学ハ、人ノ師トナルヲ好ムニ非スシテ自ラ人ノ師トナルヘシ、人ノ為ニスルノ学ハ人ノ師トナラント欲スレトモ遂ニ師トナルニ足ラス、故ニ云ク記聞ノ学ハ以テ師トナルニ足ラスト是ナリ、以上三章人ノ毀誉ニ拘ラスシテ己ヲ脩メ実ヲ尽シ、第二十一章ノ意也、言語ヲ容易ニセス、実行ヲ以テ自ラ責任トシ、第二十二章ノ意也、人ノ師トナルヲ好マスシテ己ノ為ニスルノ実学ヲ脩ムヘキヲ云、此章ノ意ナリ、意並ニ相似タリ、皆己ヲ脩メ実ヲ務ムルノ教也、第二十四章

書き下し

人の師とならんことを欲すれば、学ぶ所己が為に非ず、博聞強記、人の顧問に備ふるのみ。而して是れ学者の通患なり、吾が輩尤も自ら戒むべし。凡そ学をなすの要は己が為にするにあり。己が為にするは君子の学なり、人の為にするは小人の学なり。而して己が為にするの学は、人の師となるを好むに非ずして自ら人の師となるべし。人の為にするの学は、人の師とならんと欲すれども遂に師となるに足らず。故に「記聞の学は以て師となるに足らず」と云ふは是れなり。以上三章、人の毀誉に拘らずして己を脩め実を尽す、第二十一章の意なり。言語を容易にせず、実行を以て自ら責任とす、第二十二章の意なり。人の師となるを好まずして己の為にするの実学を脩むべきを云ふ、此の章の意なり。意並びに相似たり、皆己を脩め実を務むるの教へなり。第二十四章

現代語訳

人の師になりたいと望めば、学ぶことが自分のためではなくなり、多く聞き覚えて人の相談に備えるだけになる。これは学ぶ者に共通の病であり、我々は最も戒めなければならない。学問をする要点は、自分のためにすることにある。自分のためにするのは君子の学問、人のためにするのは小人の学問である。そして自分のための学問をする人は、人の師になることを好むのではないのに、おのずと人の師となる。人のための学問をする人は、師になろうと望んでも、ついに師となるには足りない。「記憶し聞き覚えただけの学問では師となるに足りない」というのはこのことである。以上の三章をまとめれば、評判にこだわらず自分を修め実を尽くすことが第二十一章の意、言葉を軽くせず実行を自分の責任とすることが第二十二章の意、人の師となるのを好まず自分のための実学を修めるべきことがこの章の意である。意味はどれもよく似ていて、みな自分を修め実を務める教えである。第二十四章(へ続く)。

解説

離婁上第二十三章「人の患ひは好んで人の師と為るに在り」を受けて、松陰は学問の目的を問います。人に教えるため、人に物知りと思われるための学びは、結局人の師にもなれない。自分を修めるための学びをする人こそ、自然に人の師となる。『論語』憲問篇の「古の学者は己の為にし」を踏まえた考えです。さらに第二十一章から本章までを「己を修め実を務むる」一つの流れとして読み通しています。獄中で囚人仲間に講じながら、自分は師ではなく共に学ぶ者だという姿勢を保った松陰の自戒でもあります。

この章句が説くこと

為己学問師修養実学

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