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講孟余話 / 離婁上 第二十五章

此二章並ニ樂正子ヲ責ム、前章ハ其來見ルノ遲キヲ責メ、後章ハ其子敖ニ從フヲ責ム、子敖ハ王驩ナリ、王驩ノ事公孫丑下篇第六章ニ見ユ、云ク孟子爲卿於齊、出弔於滕、王使蓋大夫王驩爲輔行、王驩朝暮見、反齊滕之路、未嘗與之言行事也、又離婁下篇ニモ見ユ、云ク公行子有子之喪、右師往弔、右師ハ王驩也孟子不與右師言、右師不悅曰、是簡驩也、孟子聞之曰、我欲行禮、子敖以我爲簡、不亦異乎、ト此二章ヲ観テモ亦王驩ノ小人タルコト知ヘシ、

新字:此二章並ニ楽正子ヲ責ム、前章ハ其来見ルノ遅キヲ責メ、後章ハ其子敖ニ従フヲ責ム、子敖ハ王驩ナリ、王驩ノ事公孫丑下篇第六章ニ見ユ、云ク孟子為卿於斉、出弔於滕、王使蓋大夫王驩為輔行、王驩朝暮見、反斉滕之路、未嘗与之言行事也、又離婁下篇ニモ見ユ、云ク公行子有子之喪、右師往弔、右師ハ王驩也孟子不与右師言、右師不悦曰、是簡驩也、孟子聞之曰、我欲行礼、子敖以我為簡、不亦異乎、ト此二章ヲ観テモ亦王驩ノ小人タルコト知ヘシ、

書き下し

此の二章並びに楽正子を責む。前章は其の来り見ることの遅きを責め、後章は其の子敖に従ふを責む。子敖は王驩なり。王驩の事、公孫丑下篇第六章に見ゆ。云く、「孟子斉に卿たり、出でて滕に弔す。王、蓋の大夫王驩をして輔行たらしむ。王驩朝暮に見ゆれども、斉滕の路を反るまで、未だ嘗て之れと行事を言はざるなり」と。又離婁下篇にも見ゆ。云く、「公行子に子の喪有り、右師往きて弔す」、右師は王驩なり、「孟子右師と言はず。右師悦ばずして曰く、是れ驩を簡にするなりと。孟子之れを聞きて曰く、我礼を行はんと欲す、子敖我を以て簡なりと為す、亦異ならずや」と。此の二章を観ても亦王驩の小人たること知るべし。

現代語訳

この二章(第二十四章・第二十五章)は、どちらも楽正子を責めている。前の章はやって来て会うのが遅いことを責め、後の章は子敖に付き従っていることを責める。子敖とは王驩のことである。王驩のことは公孫丑下篇第六章に見える。そこにはこうある。「孟子は斉の卿となり、滕へ弔問に出かけた。王は蓋の大夫王驩を副使とした。王驩は朝夕孟子に会ったが、斉と滕の往復の道中、孟子は一度も彼と使いの事を話さなかった」。また離婁下篇にも見える。「公行子に子の喪があり、右師が弔問に行った」、右師とは王驩である。「孟子は右師と言葉を交わさなかった。右師は不快に思い、『これは私をないがしろにするものだ』と言った。孟子はこれを聞いて、『私は礼を行おうとしただけなのに、子敖は私が侮ったと思う。おかしなことではないか』と言った」。この二章を見ても、王驩が小人であることは分かる。

解説

離婁上の第二十四章・第二十五章は、孟子が弟子の楽正子を叱る場面です。来訪が遅いこと、そして斉の権臣王驩(子敖)に付き従って来たことが責められます。松陰はまず、王驩がどんな人物かを孟子の他の章から拾い集めて示します。公孫丑下篇では同行中に一言も公務を語らず、離婁下篇では弔問の席で言葉を交わさない。孟子の態度から、王驩が相手にすべきでない小人だったと読み取るのです。人物を一つの逸話でなく、書中の記事を突き合わせて判断する、読書の手堅さがうかがえます。

この章句が説くこと

人物評小人楽正子王驩読書法

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