講孟余話 / 離婁上 第二十一章
世間ノ毀譽ハ大氏其實ヲ得サル者ナリ、然ルニ毀ヲ懼レ譽ヲ求ムルノ心アラハ、心ヲ用ユル所皆外面ニアリテ、實事日ニ薄シ、故ニ君子ノ務メハ己修メ實ヲ盡スニアリ、何ソ世間ノ毀譽ニ拘ランヤ、全ヲ求ムルモ却テ毀ヲ得、虞ラスシテ却テ譽ヲ得ル者ナレハ、毀譽何ソ常ニスヘケンヤ
新字:世間ノ毀誉ハ大氏其実ヲ得サル者ナリ、然ルニ毀ヲ懼レ誉ヲ求ムルノ心アラハ、心ヲ用ユル所皆外面ニアリテ、実事日ニ薄シ、故ニ君子ノ務メハ己修メ実ヲ尽スニアリ、何ソ世間ノ毀誉ニ拘ランヤ、全ヲ求ムルモ却テ毀ヲ得、虞ラスシテ却テ誉ヲ得ル者ナレハ、毀誉何ソ常ニスヘケンヤ
書き下し
世間の毀誉は大氏其の実を得ざる者なり。然るに毀を懼れ誉を求むるの心あらば、心を用ゆる所皆外面にありて、実事日に薄し。故に君子の務めは己を修め実を尽すにあり、何ぞ世間の毀誉に拘らんや。全きを求むるも却つて毀を得、虞らずして却つて誉を得る者なれば、毀誉何ぞ常にすべけんや。
現代語訳
世間の悪口や褒め言葉は、たいていその人の実際を言い当てていないものである。それなのに悪く言われるのを恐れ、褒められたいと願う心があれば、心を使うところがみな外見に向かい、中身は日ごとに薄くなる。だから君子の務めは、自分を修め、実を尽くすことにある。どうして世間の評判にこだわろうか。完璧を求めてもかえって非難され、思いがけずかえって褒められることもあるのだから、評判に定まったものなどあろうか。
解説
離婁上第二十一章「虞らざるの誉れ有り、全きを求むるの毀り有り」を受けた短い講説です。思いがけず褒められることもあれば、完璧を期しても非難されることもある。だから評判は当てにならない、と孟子は言います。松陰はさらに、評判を気にする心そのものが人の中身を薄くすると指摘します。藩を出奔し、密航に失敗して獄にいた松陰は、世間から狂人扱いされることも多い身でした。人の目に向けていた力を、自分の中身を育てることに向け直せ、という勧めです。
この章句が説くこと
毀誉評判修養実君子
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