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講孟余話 / 離婁上 第十八章

易子而教之、此篇大氏治國平天下ノ本ハ身ト心ニアルコトヲ云、此章忽チ父子ノ道ヲ云者ハ、亦治平ノ本ハ人倫ヲ明ニスルニアリテ、人倫ノ大ナル者ハ父子ニアルヲ以テナリ、柳易子而教之ノ說大ニ善シ、世道ニ志アルノ士ハカクコソ心掛クヘキコトナリ、其義ハ本文已ニ明ナリ、余謂ラク有志ノ士ハ必ス同志ノ友アリ、同師ノ朋アリ、師ヲ同シ志ヲ同シ常ニ善ヲ以テ相責メ相切劇シテ不義ニ陷ラサル如クス、是所謂執友ナリ、故ニ子ヲ易テ教ユルコトヲ得ヘシ、禮記ニ每々父執父執ト云ヲ視テモ亦知ルヘシ、故ニ吾苟モ師ナク志ナクハ執友モ亦ナシ、何ヲ以テ子ヲ易テ教ヘンヤ、蘇詢云ク一介之士必有密友、以開心胸、以濟緩急ト、密友ハ即チ執友ナリ、嗚呼士トシテ安ソ斯友ナカルヘケンヤ、第二十一塲上

新字:易子而教之、此篇大氏治国平天下ノ本ハ身ト心ニアルコトヲ云、此章忽チ父子ノ道ヲ云者ハ、亦治平ノ本ハ人倫ヲ明ニスルニアリテ、人倫ノ大ナル者ハ父子ニアルヲ以テナリ、柳易子而教之ノ説大ニ善シ、世道ニ志アルノ士ハカクコソ心掛クヘキコトナリ、其義ハ本文已ニ明ナリ、余謂ラク有志ノ士ハ必ス同志ノ友アリ、同師ノ朋アリ、師ヲ同シ志ヲ同シ常ニ善ヲ以テ相責メ相切劇シテ不義ニ陥ラサル如クス、是所謂執友ナリ、故ニ子ヲ易テ教ユルコトヲ得ヘシ、礼記ニ毎々父執父執ト云ヲ視テモ亦知ルヘシ、故ニ吾苟モ師ナク志ナクハ執友モ亦ナシ、何ヲ以テ子ヲ易テ教ヘンヤ、蘇詢云ク一介之士必有密友、以開心胸、以済緩急ト、密友ハ即チ執友ナリ、嗚呼士トシテ安ソ斯友ナカルヘケンヤ、第二十一塲上

書き下し

「子を易へて之れを教ふ」。此の篇大抵治国平天下の本は身と心にあることを云ふ。此の章忽ち父子の道を云ふ者は、亦治平の本は人倫を明らかにするにありて、人倫の大なる者は父子にあるを以てなり。抑々「子を易へて之れを教ふ」の説大いに善し。世道に志あるの士は、かくこそ心掛くべきことなり。其の義は本文已に明らかなり。余謂へらく、有志の士は必ず同志の友あり、同師の朋あり。師を同じくし志を同じくし、常に善を以て相責め相切磋して、不義に陥らざる如くす。是れ所謂執友なり。故に子を易へて教ふることを得べし。礼記に毎々「父執」「父執」と云ふを視ても亦知るべし。故に吾苟も師なく志なくば、執友も亦なし。何を以て子を易へて教へんや。蘇洵云ふ、「一介の士必ず密友有り、以て心胸を開き、以て緩急を済ふ」と。密友は即ち執友なり。嗚呼、士として安んぞ斯の友なかるべけんや。(第二十一場、上)

現代語訳

「互いに子を取り替えて教える」。この篇はおおむね、国を治め天下を平らかにする根本は身と心にあることを述べている。この章で急に父子の道を言うのは、治める根本は人の道を明らかにすることにあり、人の道の大きなものは父子にあるからである。そもそも「子を取り替えて教える」という説はたいへんよい。世の道に志ある士は、まさにこう心がけるべきである。その意味は本文で明らかである。私はこう思う。志ある士には、必ず志を同じくする友があり、同じ師に学ぶ仲間がある。師を同じくし、志を同じくして、常に善をもって互いに責め、互いに磨き合い、不義に陥らないようにする。これがいわゆる執友(心を許した友)である。だから子を取り替えて教えることができるのだ。『礼記』にたびたび「父執」(父の親友)と言うのを見てもわかる。だから自分にもし師もなく志もなければ、執友もいない。何によって子を取り替えて教えられようか。蘇洵は「一人の士にも必ず親友があって、胸の内を打ち明け、危急を救い合う」と言った。この親友がすなわち執友である。ああ、士としてこういう友がいないでよいものか。(次は第二十一場の上)

解説

孟子は、親が自分の子を教えると、正しく教えて従わなければ怒り、かえって親子の情を損なうので、昔の人は子を取り替えて教えたと言いました。松陰はこの方法を高く評価し、それができるのは志を同じくし、互いに善を求めて磨き合う執友がいてこそだと続けます。逆に言えば、師も志もない者には子を託せる友もいない。蘇洵の「一介の士必ず密友有り」を引き、士たる者にこうした友がいないでよいかと問いかけます。子育てを家庭だけで抱え込まず、信頼できる仲間と支え合うという考えは、今の子育てにも通じます。

この章句が説くこと

執友教育親子友情志

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