講孟余話 / 離婁上 第十六章
人ノ精神ハ目ニアリ、故ニ人ヲ觀ルハ目ニ於テス、胸中ノ正不正ハ眸子ノ瞭眊ニアリ、而シテ善ク眸子ヲ觀ル者ハ人ノ智愚動靜ニ至ル迄皆昭々タリ、然レハ正邪ノミヲ云ニ非ス、聲音笑貌ヲ以テ恭儉ヲナスト云トモ、人亦其眸子ヲ觀ントス、果シテ何ノ益アランヤ、空言僞行素ヨリ人ヲ服シ信ヲ取ルニ足ラス、何ソ至誠ノ人ヲ動スニ如ンヤ
新字:人ノ精神ハ目ニアリ、故ニ人ヲ観ルハ目ニ於テス、胸中ノ正不正ハ眸子ノ瞭眊ニアリ、而シテ善ク眸子ヲ観ル者ハ人ノ智愚動静ニ至ル迄皆昭々タリ、然レハ正邪ノミヲ云ニ非ス、声音笑貌ヲ以テ恭倹ヲナスト云トモ、人亦其眸子ヲ観ントス、果シテ何ノ益アランヤ、空言偽行素ヨリ人ヲ服シ信ヲ取ルニ足ラス、何ソ至誠ノ人ヲ動スニ如ンヤ
書き下し
人の精神は目にあり。故に人を観るは目に於てす。胸中の正不正は眸子の瞭眊にあり。而して善く眸子を観る者は、人の智愚動静に至るまで皆昭々たり。然れば正邪のみを云ふに非ず。声音笑貌を以て恭倹をなすと云へども、人亦其の眸子を観んとす。果して何の益あらんや。空言偽行、素より人を服し信を取るに足らず。何ぞ至誠の人を動かすに如かんや。
現代語訳
人の精神は目にある。だから人を見るときは目で見る。胸の内が正しいか正しくないかは、瞳が澄んでいるか曇っているかに表れる。そして瞳をよく見る者には、人の賢さ愚かさ、落ち着きや動揺まで、すべてはっきりわかる。だから正邪だけを言っているのではない。声や笑顔でへりくだり慎み深く見せても、人はやはりその瞳を見ようとする。いったい何の役に立とうか。口先だけの言葉と偽りの行いは、もとより人を従わせ信頼を得るに足りない。至誠が人を動かすのに、どうして及ぼうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「人を存する者は、眸子より良きは莫し。眸子は其の惡を掩うこと能わず。胸中正しければ、則ち眸子瞭(あきらか)らかなり。胸中正しからざれば、則ち眸子眊(くらい)し。其の言を聽きて、其の眸子を觀れば、人焉くんぞ廋(かくす)さんや。」
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言志四録・言志耋録 第百七十五条 其の眸子を観る人を観るには、徒らに外其の容止に拘ること勿れ。須らく之をして言語せしめ、就きて其の心術を相して、可なり。先づ其の眸子を観、又其の言語を聴けば、大抵廋す能はず。
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『論語と算盤』処世と信条・人物の観察法また孟子は『存乎人者、莫良於眸子、眸子不能掩其悪、胸中正、則眸子瞭焉、胸中不正、則眸子眊焉』と、孟子一家の人物観察法を説かれている。すなわち孟子の人物観察法は、人の眼によってその人物のいかんを鑑別するもので、心情の正しからざるものは何となく眼に曇りがあるが、心情の正しいものは、眼が瞭然として淀みがないから、これによってその人のいかなる人格であるやを判断せよというにある。この人物観察法もなかなか的確の方法で、人の眼をよく観て置きさえすれば、その人の善悪正邪はたいてい知れるものである。
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『五常訓』巻之五・智一孟子の眸子を見るも知人の術なり。眸子とは、人の目のひとみなり。ひとみは人の悪をおほひがたし。人の胸中正しければ眸子明なり。胸中正しからざれば、眸子くらし。人の言の邪正を聞き、又、人の眸子を見れば、其人の心中の邪正かくれなし。言は猶も偽を以てよくすべし。眸子はかくす事かたければ、是人を知るの術なり。人の知愚、邪正、貪廉、才不才、寿夭、貴賤も、皆眼目にあらはる。眼は是五蔵精萃のあつまる所心性の先あらはるる所なればなり。
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『慎思録』巻之二人を知るとは、是れ其の才不才を知り、且つ其の善悪を知るなり。人を知ること甚だ難し。其の天資聡明通悟に非ざれば、則ち能くし難し。是れ学び得難しと雖も、然れども之を学ぶに亦た術有り。其の眸子を視、其の言語を聞き、其の好悪を試み、其の威儀を観、其の誠偽を察するに在るのみ。其の眸子を視、其の言を察するは、孟子の嘗て説く所なり。此れ人を知るの術にして、最も以て人心の邪正と才不才とを察すべし。久しく心を用ゐて熟習すれば、則ち謬らざるに庶からん。夫子の視観察は、是れ人を知るの常則なり。常人と雖も、亦た之を学ばざるべからず。然れども之を孟子の眸子を視るの術に比すれば、之を学ぶや難し。凡そ人を知らざるの害は甚だ大なり。国を喪ひ身を亡ぼすに至る。故に季札曰く、君子の務めは人を択ぶに在り、と。信なるかな斯の言や。
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『講孟余話』盡心下 第十一章千乗の国を譲るは思ひ設けたることなり。簞食豆羹も色に見るるは心ならずの事なり。孔子の「過ちを観て仁を知る」と宣ふも同理にて、過ちは心ならずのことなり。都て人は心ならずの処に真情は発する者なり、慎まざるべけんや。是れを慎まんとならば、亦平素独りを慎み誠を積むにあるのみ。譬へば戦の如し。大敵猛勢に遇ふ時は、味方にも其の覚悟ある故、却つて後れは取らぬ者なれども、全体の節制法度緩怠なる陣は、小々の奇伏夜襲等に遇ひて、大不覚を取ることある者なり。其の不覚なからんと欲せば、平素の戒備にあることなり。
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