言志四録 / 言志耋録 第百七十五条 其の眸子を観る
觀人。勿徒外抅其容止。須使之言語。就相其心術。可也。先觀其眸子。又聽其言語。大抵不能廋。
新字:観人。勿徒外抅其容止。須使之言語。就相其心術。可也。先観其眸子。又聴其言語。大抵不能廋。
書き下し
人を観るには、徒らに外其の容止に拘ること勿れ。須らく之をして言語せしめ、就きて其の心術を相して、可なり。先づ其の眸子を観、又其の言語を聴けば、大抵廋す能はず。
現代語訳
人を観察するには、ただ外見上の立ち居振る舞いにとらわれてはならない。必ずその人に話をさせ、それに即して心の働きを見定めるのがよい。まずその瞳を観て、さらにその言葉を聴けば、たいていの人は本心を隠しおおせない。
解説
人を見る目についての条が、ここから続きます。典拠は『孟子』離婁上の「其の言を聴き、其の眸子を観れば、人焉んぞ廋さんや」で、瞳は心の正邪をごまかせず、言葉と合わせて見れば人は本心を隠せないという教えです。一斎はこれに、容姿や礼儀作法のような外面にとらわれるなという注意を加えます。整った振る舞いは訓練で身につきますが、話させてみれば考え方の筋や心の向きが自然に表れるからです。採用面接や人事評価で、経歴や見た目の印象に引きずられていないか。相手に十分語らせ、その目と言葉の一致を見ているか。二百年前の儒者の観察法は、今も通用する実践的な手がかりです。
この章句が説くこと
人を見る目心術言語観察人物評価
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