呻吟語 / 内篇・問學・只だ日の足らざるを見る
學者,窮經博古,涉事籌今,只見日之不足,惟恐一登薦舉,不能有所建樹。仕者,修政立事,淑世安民,只見日之不足,惟恐一旦升遷,不獲竟其施為。此是確實心腸,真正學問,為學為政之得真味也。
新字:学者,窮経博古,渉事籌今,只見日之不足,惟恐一登薦舉,不能有所建樹。仕者,修政立事,淑世安民,只見日之不足,惟恐一旦升遷,不獲竟其施為。此是確実心腸,真正学問,為学為政之得真味也。
書き下し
學ぶ者は、經を窮め古を博くし、事に涉り今を籌り、只だ日の足らざるを見る。惟だ一たび薦舉に登らば、建樹する所有る能はざるを恐る。仕ふる者は、政を修め事を立て、世を淑くし民を安んじ、只だ日の足らざるを見る。惟だ一旦升遷せば、其の施為を竟ふるを獲ざるを恐る。此れは是れ確實の心腸、真正の學問なり。學を為し政を為すの真味を得るなり。
現代語訳
学ぶ者は、経書を窮め古を広く知り、事に当たり今を計り、ただ日が足りないと感じます。ひとたび推挙されたとき、立てるべきものを立てられないのを恐れるからです。仕える者は、政を整え事を立て、世を善くし民を安んじ、ただ日が足りないと感じます。ひとたび昇進したとき、手がけたことをやり終えられないのを恐れるからです。これが確かな心根であり、本物の学問です。学を為し政を為す本当の味わいを得ているということです。
解説
学ぶ側と仕える側、どちらも日が足りないと感じるとします。ただし理由が違っていて、学ぶ者は用いられた時に備えが無いことを恐れ、仕える者は昇進で中断することを恐れる。どちらも先を見ているから足りないのです。焦りではなく、先の場面を思い描く力から来る不足感。これを本物の学問と呼ぶところが特徴です。焦りではなく、先を思い描く力から来る不足感です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
備え中断不足感学問仕官
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