甲陽軍鑑 / 起巻
但侍百人の內に、一二人物しりのあるは、是又大きに、よき事也子細は、國持大身は、物しりの出家を、扶持し給ふが二三百騎の侍大將、一手を三そなへばかりにわけてまはす衆を持つ、侍余慶なくして、物しりの出家をつるゝ事、まれなれは、家中の侍に、物しりの有は、縱は鞍二口の馬のごとく、さるによつて、百人のうちに、一二人の物知たる侍、大きによきと申儀は、此ことはりなるを以ての事一小身なる人の、
新字:但侍百人の内に、一二人物しりのあるは、是又大きに、よき事也子細は、国持大身は、物しりの出家を、扶持し給ふが二三百騎の侍大将、一手を三そなへばかりにわけてまはす衆を持つ、侍余慶なくして、物しりの出家をつるゝ事、まれなれは、家中の侍に、物しりの有は、縦は鞍二口の馬のごとく、さるによつて、百人のうちに、一二人の物知たる侍、大きによきと申儀は、此ことはりなるを以ての事一小身なる人の、
書き下し
但侍百人の内に、一二人物しりのあるは、是又大きに、よき事也子細は、国持大身は、物しりの出家を、扶持し給ふが二三百騎の侍大将、一手を三そなへばかりにわけてまはす衆を持つ、侍余慶なくして、物しりの出家をつるゝ事、まれなれは、家中の侍に、物しりの有は、縦は鞍二口の馬のごとく、さるによつて、百人のうちに、一二人の物知たる侍、大きによきと申儀は、此ことはりなるを以ての事一小身なる人の、
現代語訳
ただし侍百人のうちに一人か二人物知りがいるのは、これはまた大いによい事である。子細は、国持ちの大身は物知りの出家を扶持されるが、二、三百騎の侍大将で、一手を三備えばかりに分けて回す衆を持つ侍は、余慶がなくて物知りの出家を連れることが稀であるから、家中の侍に物知りがいるのは、たとえば鞍が二口ある馬のようなものである。それによって百人のうちに一人か二人、物を知った侍が大いによいと申す儀は、この道理をもっての事である。一、小身なる人が。
解説

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