講孟余話 / 離婁上 第三章
惡死亡而樂不仁、樂不仁ノ三字善ク味フヘシ、不仁ノ人ノ不仁ヲ行フ、自ラ以テ不仁トセス、若シ自ラ以テ不仁トセハ何ソ不仁ヲ行ンヤ、但ソレ不仁ヲ以テ樂トス、是ヲ以テ不仁ヲ行テ顧ミサル所ナリ、淫聲美色瑀宮瑤臺酒池肉林珍禽奇獸ハ桀紂ノ徒自ラ以テ至樂トス、豈黎民所ヲ得ス、父子相見ス、兄弟妻子離散シ不仁ノ甚タルコトヲ知ランヤ、故ニ其跡ニ就テ是ヲ按スレハ、至愚ト云トモ其不仁タルヲ知ル、其事ニ當ルニ至テハ賢智ト云トモ或ハ其不仁タルヲ知ラス、唯ソレ知ラス、是ヲ以テ古ヨリ亡國敗家項背相望ムノミ、然則何ヲ以テ是ヲ知ラン、マサニ自ラ思テ得ヘシ
新字:悪死亡而楽不仁、楽不仁ノ三字善ク味フヘシ、不仁ノ人ノ不仁ヲ行フ、自ラ以テ不仁トセス、若シ自ラ以テ不仁トセハ何ソ不仁ヲ行ンヤ、但ソレ不仁ヲ以テ楽トス、是ヲ以テ不仁ヲ行テ顧ミサル所ナリ、淫声美色瑀宮瑤台酒池肉林珍禽奇獣ハ桀紂ノ徒自ラ以テ至楽トス、豈黎民所ヲ得ス、父子相見ス、兄弟妻子離散シ不仁ノ甚タルコトヲ知ランヤ、故ニ其跡ニ就テ是ヲ按スレハ、至愚ト云トモ其不仁タルヲ知ル、其事ニ当ルニ至テハ賢智ト云トモ或ハ其不仁タルヲ知ラス、唯ソレ知ラス、是ヲ以テ古ヨリ亡国敗家項背相望ムノミ、然則何ヲ以テ是ヲ知ラン、マサニ自ラ思テ得ヘシ
書き下し
「死亡を悪みて不仁を楽しむ」。「楽不仁」の三字善く味ふべし。不仁の人の不仁を行ふ、自ら以て不仁とせず。若し自ら以て不仁とせば、何ぞ不仁を行はんや。但だ夫れ不仁を以て楽しみとす。是れを以て不仁を行ひて顧みざる所なり。淫声・美色・瑶宮・瑶台・酒池・肉林・珍禽・奇獣は、桀紂の徒自ら以て至楽とす。豈に黎民所を得ず、父子相見えず、兄弟妻子離散し、不仁の甚しきたることを知らんや。故に其の跡に就きて是れを按ずれば、至愚と云へども其の不仁たるを知る。其の事に当たるに至りては、賢智と云へども或いは其の不仁たるを知らず。唯だ夫れ知らず。是れを以て古より亡国敗家、項背相望むのみ。然らば則ち何を以て是れを知らん。まさに自ら思ひて得べし。
現代語訳
「死や滅亡を嫌いながら、不仁を楽しんでいる」。この「不仁を楽しむ」の三字はよく味わうべきである。不仁な人が不仁を行うとき、自分ではそれを不仁だと思っていない。もし自分で不仁だと思えば、どうして不仁を行おうか。ただ不仁を楽しみとしているのである。だから不仁を行って顧みないのだ。みだらな音楽、美しい女性、玉で飾った宮殿や高殿、酒の池と肉の林、珍しい鳥や獣は、夏の桀王や殷の紂王の仲間たちにとって最高の楽しみであった。民が暮らしの場を失い、父と子が会えず、兄弟や妻子が離ればなれになり、それがひどい不仁であることなど、どうして知っていただろうか。だから、その跡をたどって考えれば、どんな愚か者でもそれが不仁だとわかる。ところが、その事の渦中にいると、賢い者でも不仁だと気づかないことがある。ただ気づかないのである。だから昔から、国を滅ぼし家を潰す者が、背中と首筋が見えるほど相次いだのだ。では、どうすればそれに気づけるのか。自分で考えてつかむほかない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之一孟子曰く、不仁者は与に言ふべけんや。其の危ふきを安しとして其の菑ひを利とし、其の亡ぶる所以の者を楽しむと。蓋し不仁者は必ず知らず。何となれば則ち不仁の人は其の本心を失ひて、是非の心昏し。故に忠言を聞くと雖も信ぜず。之を聴くこと聡ならざるに因るなり。此れ与に言ふべからざるなり。其の知無きに因りて、故に啻だ義理の楽しむべきを知ること能はざるのみに非ず、危菑の懼るべきと雖も、亦知ること能はず。是を以て其の危ふきを安しとして其の菑ひを利とし、荒淫暴虐にして、敗亡を致す所以の者を楽しむ。危菑既に至ると雖も、亦悟らず、終に以て敗亡を取る。昏愚の甚だしきと謂ふべきなり。国語に、古人之を人天禍を覓めて弭めずと謂ふなり。孟子の所謂其の亡ぶる所以の者を楽しむなり。尹起辛曰く、天資乱を好むの人は、覆亡に至らざれば止まずと。亦此の意なり。古来不仁の人、往往皆此くの如し。嗚呼哀しむべきかな。
-
孟子・離婁章句上是れ由ほ酔ふを悪みて酒を強ふるがごときなり。」
-
『五常訓』巻之三・仁之下一孟子曰く、不仁者はともに言ふべからず。いふ心は、不仁者は、道理を教へいさめがたしとなり。又曰、其危きことをやすんじ、其亡ぶるゆゑんをたのしむ。いふ意は、不仁者は、我が身の危ふき事をおそれずして、やすんじ、其身ほろぶることを行ひて、たのしみとす。愚なりと云ふべし。
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「三代の天下を得るや仁を以てし、其の天下を失ふや不仁を以てす。国の廃興存亡する所以の者も亦た然り。天子不仁なれば、四海を保たず。諸侯不仁なれば、社稷を保たず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず。士庶人不仁なれば、四体を保たず。今死亡を悪みて不仁を楽しむは、
-
『講孟余話』梁惠王上 第二章賢者にして而る後に此れを楽しむ、不賢者は此れ有りと雖も楽しまざるなり。此の章に於て楽と云ふことを発明すべし。文王の楽は台池鳥獣を楽しむに非ず、民の楽しむを楽しむなり。民の楽も亦台池鳥獣を楽しむに非ず、乃ち文王の楽しむを楽しむなり。君民上下互ひに其の楽を楽しむ、是れを偕に楽しむと云ふ。桀の楽しみは是れに反す。其の楽しむこと台池鳥獣にありて、民と偕にせず、故に独楽と云ふ。今人酒を楽しむ者あり、色を楽しむ者あり、奕を楽しむ者あり、茶を楽しむ者あり、其の他百千の楽しむ所枚挙に暇あらず、是れ皆桀の徒なり。苟も文王の楽を楽しまんとならば、父子相楽しみ、君臣相楽しみ、兄弟親族朋友郷党相楽しむの境を自得せば、豈に楽しからずや。然れども今諸君と獄に繋がれ、此の楽しみ万々望みなし。但だ相共に斯の道を研究し、縲紲牢狴の何物たるを知らざるに至らば、豈に楽の楽に非ずや。願はくは諸君と偕に是れを楽しまん。
-
『講孟余話』離婁上 第八章「自伐」とは自身に吾が国を撃伐するなり。凡そ国の国たる所以は、宗族あり、群臣あり、万民あり、米粟あり、貨財あり、甲兵あり、城郭あるを以てなり。而して善く国を持せざる者は、宗族を親しむことを知らずして宗族背き離る、群臣を体することを知らずして群臣怒り怨む、万民を愛することを知らずして万民叛き散る。米粟の凶年飢歳に備へ窮餓流亡を救ふなし。城郭の暴寇を拒ぎ、甲兵の叛逆を平らぐるなし。事皆是くの如くなれば、国何を以て滅亡せざらんや。是れ自ら撃伐するに非ずや。是れを察せずして、人の軽侮を怒り、人の破毀を悪み、人の撃伐を恐るる、亦末ならずや。此の章の起手、所謂不仁者の為す所、往々然らざることなし。嗚呼、不仁の者、其の危を安とし、其の菑を利とし、亡ぶる所以を楽しみとし、自ら侮の侮たるを知らず、自ら毀の毀たるを知らず、自ら伐の伐たるを知らず、昏迷惑溺、死亡に至りて遂に自ら悟らざるは、実に哀れむべきのみ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る