講孟余話 / 梁惠王上 第二章
賢者而後樂此、不賢者雖有此不樂也、此章ニ於テ樂ト云フコトヲ発明スベシ、文王ノ樂ハ臺池鳥獸ヲ樂ムニ非ズ、民ノ樂ムヲ樂ムナリ、民ノ樂モ亦臺池鳥獸ヲ樂ムニ非ズ、乃チ文王ノ樂ムヲ樂ムナリ、君民上下互ニ其樂ヲ樂ム、是ヲ偕ニ樂ムト云、桀ノ樂ミハ是ニ反ス、其樂ムコト臺池鳥獸ニアリテ、民ト偕ニセズ、故ニ獨樂ト云、今人酒ヲ樂ム者アリ、色ヲ樂ム者アリ、奕ヲ樂ム者アリ、茶ヲ樂ム者アリ、其他百千ノ樂ム所枚擧ニ暇アラズ、是皆桀ノ徒ナリ、苟モ文王ノ樂ヲ樂ントナラハ、父子相樂ミ、君臣相樂ミ、兄弟親族朋友郷黨相樂ムノ境ヲ自得セハ、豈樂カラズヤ、然トモ今諸君ト獄ニ繫ガレ、此樂ミ萬々望ミナシ、但相共ニ斯道ヲ研究シ、縲紲牢狴何物タルヲ知ラサルニ至ラバ、豈樂ノ樂ニ非ズヤ、願クハ諸君ト偕ニ是ヲ樂マン
新字:賢者而後楽此、不賢者雖有此不楽也、此章ニ於テ楽ト云フコトヲ発明スベシ、文王ノ楽ハ台池鳥獣ヲ楽ムニ非ズ、民ノ楽ムヲ楽ムナリ、民ノ楽モ亦台池鳥獣ヲ楽ムニ非ズ、乃チ文王ノ楽ムヲ楽ムナリ、君民上下互ニ其楽ヲ楽ム、是ヲ偕ニ楽ムト云、桀ノ楽ミハ是ニ反ス、其楽ムコト台池鳥獣ニアリテ、民ト偕ニセズ、故ニ独楽ト云、今人酒ヲ楽ム者アリ、色ヲ楽ム者アリ、奕ヲ楽ム者アリ、茶ヲ楽ム者アリ、其他百千ノ楽ム所枚挙ニ暇アラズ、是皆桀ノ徒ナリ、苟モ文王ノ楽ヲ楽ントナラハ、父子相楽ミ、君臣相楽ミ、兄弟親族朋友郷党相楽ムノ境ヲ自得セハ、豈楽カラズヤ、然トモ今諸君ト獄ニ繋ガレ、此楽ミ万々望ミナシ、但相共ニ斯道ヲ研究シ、縲紲牢狴何物タルヲ知ラサルニ至ラバ、豈楽ノ楽ニ非ズヤ、願クハ諸君ト偕ニ是ヲ楽マン
書き下し
賢者にして而る後に此れを楽しむ、不賢者は此れ有りと雖も楽しまざるなり。此の章に於て楽と云ふことを発明すべし。文王の楽は台池鳥獣を楽しむに非ず、民の楽しむを楽しむなり。民の楽も亦台池鳥獣を楽しむに非ず、乃ち文王の楽しむを楽しむなり。君民上下互ひに其の楽を楽しむ、是れを偕に楽しむと云ふ。桀の楽しみは是れに反す。其の楽しむこと台池鳥獣にありて、民と偕にせず、故に独楽と云ふ。今人酒を楽しむ者あり、色を楽しむ者あり、奕を楽しむ者あり、茶を楽しむ者あり、其の他百千の楽しむ所枚挙に暇あらず、是れ皆桀の徒なり。苟も文王の楽を楽しまんとならば、父子相楽しみ、君臣相楽しみ、兄弟親族朋友郷党相楽しむの境を自得せば、豈に楽しからずや。然れども今諸君と獄に繋がれ、此の楽しみ万々望みなし。但だ相共に斯の道を研究し、縲紲牢狴の何物たるを知らざるに至らば、豈に楽の楽に非ずや。願はくは諸君と偕に是れを楽しまん。
現代語訳
「賢者であってこそこれを楽しめる。賢くない者は、これを持っていても楽しめない」。この章では、楽しむということの意味を明らかにしなければならない。文王の楽しみは、高台や池や鳥獣を楽しむことではなく、民が楽しむのを楽しむことである。民の楽しみもまた高台や池や鳥獣ではなく、文王が楽しむのを楽しむことである。君と民、上と下が互いに相手の楽しみを楽しむ、これを「偕に楽しむ」という。夏の桀王の楽しみはこれと逆で、高台や池や鳥獣を楽しんで、民と共にしない。だから独り楽しむという。今の人には、酒を楽しむ者、色を楽しむ者、碁を楽しむ者、茶を楽しむ者がいて、そのほか楽しみは数えきれないが、これはみな桀の仲間である。もし文王の楽しみを楽しもうとするなら、父子が楽しみ合い、君臣が楽しみ合い、兄弟・親族・友人・郷里の人が楽しみ合う境地を自分のものにすれば、これほど楽しいことがあろうか。しかし今、諸君と獄につながれ、この楽しみはとても望めない。ただ共にこの道を研究し、縄目や牢屋が何であるかを忘れるほどになれば、それこそ楽しみの中の楽しみではないか。願わくは諸君と共にこれを楽しみたい。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公四年 人と欲を同じくす殷は是を以って隕(お)ち、周は是を以って興る。夫れ豈に諸侯を爭はんや」と。乃ち楚の使を許す。叔向をして對へしめて曰く、「寡君社稷の事有り、是を以って春秋の時に諸侯に見ゆるを獲ず。君實に之を有(たも)つ、何ぞ命を辱くせん」と。椒舉遂に昏を請ふ。晉侯之を許す。楚子子產に問ひて曰く、「晉は其れ我に諸侯を許さんか」と。對へて曰く、「君に許さん。晉君は少安を事とし、諸侯に在らず。其の大夫は求むること多く、其の君を匡すこと莫し。宋の盟に在りて、又一の如しと曰ふ。若し君に許さずんば、將た焉んぞ之を用ゐん」と。王曰く、「諸侯其れ來らんか」と。對へて曰く、「必ず來らん。宋の盟に從ひ、君の歡を承け、大國を畏れず。何の故に來らざらん。來らざる者は、其れ魯・衛・曹・邾か。曹は宋を畏れ、邾は魯を畏れ、魯・衛は齊に偪(せま)られて晉に親しむ。唯だ是れ來らず。其の餘は君の及ぶ所なり、誰か敢へて至らざらん」と。王曰く、「然らば則ち吾が求むる所の者、可ならざる無きか」と。對へて曰く、「逞(こころよ)きを人に求むるは、不可なり。人と欲を同じくせば、盡く濟らん」と。
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言志四録・言志耋録 第百二十二条 感応の妙は異類に通ず感応の妙は、異類にも通ず。況んや人をや。
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『法句経』第十 刀杖の部 一三一・一三二 群生は楽を欣ぶ一三一 群生は楽を欣こぶ、人若し刀杖を以て(彼を)害ひ、己の楽を求むるときは(其人)死して楽を得ず。 一三二 群生は楽を欣こぶ、人若し刀杖を以て(彼を)害はずして、己の楽を求むるときは(其人)死して楽を得ん。
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『驢鞍橋』卷上一日曰く、我六十余に成りてより、心相の一つ替はる事有り、亡者を吊ふにひしと心に請取り、身に引懸けて弔ふ位有り、或は火中に飛込んで苦に代る心に成り、或は翅籠有るをつゝと出て助けんと思ふ機の位に成り、或は子供堀堆に落つるを飛込んで取つて指上げる心相に成り、中々强う請取る也。総して亡者弔ひに出づると早や機自ら果し眼に成る也。
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『太上感応篇』善行・人の得るを見ること、己の得るが如し人の得るを見ること、己の得るが如し。人の失ふを見ること、己の失ふが如し。人の短を彰さず、己の長を炫らかさず。悪を遏め善を揚げ、多きを推して少なきを取る。
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