講孟余話 / 離婁上 第八章
自伐トハ自身ニ吾國ヲ擊伐スルナリ、凡ソ國ノ國タル所以ハ、宗族アリ群臣アリ万民アリ米粟アリ貨財アリ甲兵アリ城郭アルヲ以テナリ、而シテ善ク國ヲ持セサル者ハ宗族ヲ親ムコトヲ知ラスシテ宗族背キ離ル、群臣ヲ体スルコトヲ知ラスシテ群臣怒リ怨ム、萬民ヲ愛スルコトヲ知ラスシテ萬民叛キ散ル、米粟ノ凶年飢歲ニ備へ窮餓流亡ヲ救フナシ、城郭ノ暴寇ヲ拒キ甲兵ノ叛逆ヲ平クルナシ、事皆如是ナレハ國何ヲ以テ滅亡セサランヤ、是レ自ラ擊伐スルニ非スヤ、是ヲ察セスシテ人ノ輕侮ヲ怒リ人ノ破毀ヲ惡ミ人ノ撃伐ヲ恐ルヽ亦末ナラスヤ、此章ノ起手所謂不仁者ノ爲ス所往々然ラサルコトナシ、嗚呼不仁ノ者其危ヲ安トシ其菑ヲ利トシ亡ル所以ヲ樂トシ自ラ侮ノ侮タルヲ知ラス、自ラ毀ノ毀タルヲ知ラス、自ラ伐ノ伐タルヲ知ラス、昏迷惑溺死亡ニ至テ遂ニ自ラ悟ラサルハ實ニ哀ムヘキノミ
新字:自伐トハ自身ニ吾国ヲ撃伐スルナリ、凡ソ国ノ国タル所以ハ、宗族アリ群臣アリ万民アリ米粟アリ貨財アリ甲兵アリ城郭アルヲ以テナリ、而シテ善ク国ヲ持セサル者ハ宗族ヲ親ムコトヲ知ラスシテ宗族背キ離ル、群臣ヲ体スルコトヲ知ラスシテ群臣怒リ怨ム、万民ヲ愛スルコトヲ知ラスシテ万民叛キ散ル、米粟ノ凶年飢歳ニ備へ窮餓流亡ヲ救フナシ、城郭ノ暴寇ヲ拒キ甲兵ノ叛逆ヲ平クルナシ、事皆如是ナレハ国何ヲ以テ滅亡セサランヤ、是レ自ラ撃伐スルニ非スヤ、是ヲ察セスシテ人ノ軽侮ヲ怒リ人ノ破毀ヲ悪ミ人ノ撃伐ヲ恐ルヽ亦末ナラスヤ、此章ノ起手所謂不仁者ノ為ス所往々然ラサルコトナシ、嗚呼不仁ノ者其危ヲ安トシ其菑ヲ利トシ亡ル所以ヲ楽トシ自ラ侮ノ侮タルヲ知ラス、自ラ毀ノ毀タルヲ知ラス、自ラ伐ノ伐タルヲ知ラス、昏迷惑溺死亡ニ至テ遂ニ自ラ悟ラサルハ実ニ哀ムヘキノミ
書き下し
「自伐」とは自身に吾が国を撃伐するなり。凡そ国の国たる所以は、宗族あり、群臣あり、万民あり、米粟あり、貨財あり、甲兵あり、城郭あるを以てなり。而して善く国を持せざる者は、宗族を親しむことを知らずして宗族背き離る、群臣を体することを知らずして群臣怒り怨む、万民を愛することを知らずして万民叛き散る。米粟の凶年飢歳に備へ窮餓流亡を救ふなし。城郭の暴寇を拒ぎ、甲兵の叛逆を平らぐるなし。事皆是くの如くなれば、国何を以て滅亡せざらんや。是れ自ら撃伐するに非ずや。是れを察せずして、人の軽侮を怒り、人の破毀を悪み、人の撃伐を恐るる、亦末ならずや。此の章の起手、所謂不仁者の為す所、往々然らざることなし。嗚呼、不仁の者、其の危を安とし、其の菑を利とし、亡ぶる所以を楽しみとし、自ら侮の侮たるを知らず、自ら毀の毀たるを知らず、自ら伐の伐たるを知らず、昏迷惑溺、死亡に至りて遂に自ら悟らざるは、実に哀れむべきのみ。
現代語訳
「自伐」とは、自分で自分の国を攻め討つことである。およそ国が国であるのは、一族があり、家臣があり、民があり、米や穀物があり、財貨があり、武器があり、城郭があるからである。ところが国をうまく保てない者は、一族と親しむことを知らないので一族が背き離れ、家臣を思いやることを知らないので家臣が怒り恨み、民を愛することを知らないので民が背いて散っていく。米や穀物で凶作や飢饉に備えて、困窮し流浪する者を救うこともない。城郭で侵略を防ぎ、武器で反乱を鎮めることもない。何事もこのようであれば、国はどうして滅びずにいられようか。これは自分で自分を攻め討っているのではないか。これを見抜かずに、人に侮られたと怒り、人に壊されたと憎み、人に攻められるのを恐れるのは、本末転倒ではないか。この章の冒頭にいう不仁な者のすることは、たいていこうである。ああ、不仁な者は、危うい状態を安全と思い、災いを利益と思い、滅びのもとを楽しみとし、自分を侮っていることが侮りだと気づかず、壊していることが壊すことだと気づかず、攻めていることが攻めることだと気づかず、迷い惑い溺れて、死に至るまでついに自ら悟らないのは、まことに哀れむべきことである。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十一又人数は大軍をあつかいつけたる大将少人数は扱よからん、そなへの義は少人数を能く立し覚へたらば、大軍は立よからん、子細は三万の人数を持たる大将の家老五人に、五千づゝ預け、本大将共に六人にて三万の人数を支配する大将も有るべし、其段をさほうしらざる者は、能きことゝ存る事もあらん、是は何に付てもあやうき事多し、三万の大将の下には、人数二百·三百·五百·千或は三千持たるも有るべし、扨大軍斗リの備へ立様をもつてかけ、少人数を指遣ふ時の様子も有べし、其節に其大将に成て行人は、必ず手くばりまはりかぬるものなり、縦ばきる物ひとつを寒き夜に、三人してきてねる様にて、何共迷惑成る義多からん、さるに付少勢を能く備へ立覚へ、其上大人数はしよき物ならん、それによつて信玄公の備は卅五人より立始め給ふ、
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言志四録・言志耋録 第百四十六条 舟に楫艣無ければ舟に楫艣無ければ、則ち川海済るべからず。門に鎖鑰有れば、則ち盗賊闚ふこと能はず。
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史記 匈奴列伝東胡初め冒頓を軽んじ、備へを為さず。冒頓兵を以て至り、撃つに及びて、大いに東胡王を破滅し、而して其の民人及び畜産を虜にす。既に帰りて、西のかた月氏を撃ち走らせ、南のかた楼煩・白羊の河南王を并す。燕代を侵し、悉く復た秦の蒙恬をして匈奴より奪はしめし所の地を収め、漢と故の河南の塞を関とし、朝那・膚施に至り、遂に燕・代を侵す。是の時漢の兵項羽と相距ぎ、中国兵革に罷る。故を以て冒頓自ら彊くするを得、控弦の士三十余万。淳維より以て頭曼に至るまで千有余歳、時に大きく時に小さく、別散分離すること、尚し。其の世伝得て次すべからずと云ふ。然れども冒頓に至りて匈奴最も彊大にして、尽く北夷を服従せしめ、而して南のかた中国と敵国と為る。其の世伝国官の号乃ち得て記すべしと云ふ。左右の賢王、左右の谷蠡王、左右の大将、左右の大都尉、左右の大当戸、左右の骨都侯を置く。匈奴は賢を謂ひて「屠耆」と曰ふ。故に常に太子を以て左屠耆王と為す。左右の賢王より以下当戸に至るまで、大なる者は万騎、小なる者は数千、凡そ二十四長、号を立てて「万騎」と曰ふ。諸大臣は皆世官なり。呼衍氏、蘭氏、其の後に須卜氏有り。此の三姓は其の貴種なり。諸々の左方の王将は東方に居り、上谷に直りて以往なる者は、東のかた穢貉・朝鮮に接す。右方の王将は西方に居り、上郡に直りて以西は、月氏・氐・羌に接す。而して単于の庭は代・雲中に直る。各々分地有り、水草を逐ひて移徙す。而して左右の賢王・左右の谷蠡王最も大為り。左右の骨都侯政を輔く。諸々の二十四長も亦各々自ら千長・百長・什長・裨小王・相・封都尉・当戸・且渠の属を置く。歳の正月、諸長小しく単于の庭に会し、祠る。
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・これを散ずれば明なりこれを集むれば暗なり私にありては智なり、官にありては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。政府は衆智者の集まるところにして、一愚人の事を行なうものと言うべし。あに怪しまざるを得んや。畢竟その然る所以は、かの気風なるものに制せられて、人々みずから一個の働きを逞しゅうすること能わざるによりて致すところならんか。維新以来、政府にて学術、法律、商売等の道を興さんとして効験なきも、その病の原因はけだしここにあるなり。しかるにいま一時の術を用いて下民を御し、その知徳の進むを待つとは、威をもって人を文明に強ゆるものか、しからざれば欺きて善に帰せしむるの策なるべし。政府威を用うれば人民は偽をもってこれに応ぜん、政府欺を用うれば人民は容を作りてこれに従わんのみ。これを上策と言うべからず。たといその策は巧みなるも、文明の事実に施して益なかるべし。ゆえにいわく、世の文明を進むるには、ただ政府の力のみに依頼すべからざるなり。
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司馬法・定爵将は身なり、卒は支(し)なり、伍は指拇(しぼ)なり。
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