五常訓 / 巻之三・仁之下
一孟子曰、不仁者はともに言ふべからず。いふ心は、不仁者は、道理を敎へいさめがたしとなり。又曰、其危きことをやすんじ、其亡ぶるゆゑんをたのしむ。いふ意は、不仁者は、我が身の危ふき事をおそれずして、やすんじ、其身ほろぶることを行ひて、たのしみとす。愚なりと云ふべし。
新字:一孟子曰、不仁者はともに言ふべからず。いふ心は、不仁者は、道理を教へいさめがたしとなり。又曰、其危きことをやすんじ、其亡ぶるゆゑんをたのしむ。いふ意は、不仁者は、我が身の危ふき事をおそれずして、やすんじ、其身ほろぶることを行ひて、たのしみとす。愚なりと云ふべし。
書き下し
一孟子曰く、不仁者はともに言ふべからず。いふ心は、不仁者は、道理を教へいさめがたしとなり。又曰、其危きことをやすんじ、其亡ぶるゆゑんをたのしむ。いふ意は、不仁者は、我が身の危ふき事をおそれずして、やすんじ、其身ほろぶることを行ひて、たのしみとす。愚なりと云ふべし。
現代語訳
孟子は「不仁な者とはともに語ることはできない」といいました。その意味は、不仁な者は道理を教えたり諌めたりすることが難しいということです。また「その危ういことに安んじ、その滅びるもとを楽しむ」といいました。その意味は、不仁な者は、自分の身の危ういことを恐れずに安心し、その身が滅びることを行って楽しみとするということです。愚かというべきです。
解説
『孟子』離婁上の「不仁者は与に言ふべけんや。其の危きを安しとし、其の菑を利とし、其の亡ぶる所以を楽しむ」を取り上げています。不仁な人は忠告を聞き入れず、自分を危うくし滅ぼすことをかえって楽しむという指摘です。思いやりを失った人は他人の痛みだけでなく自分に迫る危険にも鈍感になるという洞察は、前の巻の「手足のしびれ」のたとえとも通じます。耳の痛い忠告を聞けるかどうかが、身を守る分かれ目になるという教えです。
この章句が説くこと
不仁孟子忠告危機愚
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