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講孟余話 / 離婁上 第二章

名之曰幽厲、雖孝子慈孫、百世不能改也、謚ノ事吾固ヨリ是ヲ疑フ、何トナレハ秦ノ始皇カ云如ク、子トシテ父ヲ議シ臣トシテ君ヲ議スルノ道ナレハ忠孝ノ訓ニ害アルカ如シ、然レトモ謚法廢スル時ハ公道從テ廢ス、人主何ノ戒ムル所アランヤ、吾反復之ヲ考テ初テ其說ヲ得タリ、蓋シ謚法ハ周ニ起ル、周公ノ制作ニ出ル所ナリ、周公ハ文王ノ子、武王ノ弟、成王ノ叔父ニシテ、周家ヲ造立シテ八百年ノ基業ヲ開キ給フコト皆此公ノ動勞ナリ、故ニ周公ハ文王武王成王ト一体ノ人也、是ヲ以テ三王ノ心ヲ以テ己カ心トシ謚法ヲ制シ後世子孫天下諸矦ニ号令シ、今ヨリ後死喪ノ事アラハ、子父ニ私スルコトナク、臣君ニ私スルコトナク、公義ヲ明ニシ謚號ヲ論スヘシ、三王及ヒ吾身ニ於テ少モ忌諱スルコトナク、天下後世ノ模範トスヘシ、是ヲ以テ後世臣子敢テ君父ヲ妄議スルニ非ス、乃チ周公ノ法ヲ奉シテ周旋スルノミ、如是ニシテ公道初テ天下ニ行ハル、周公猶以テ足ラストス、故ニ左史事ヲ記シ右史言ヲ記スルノ法ヲ立、君臣ノ擧動言語逐一其實ヲ記シテ毫モ回避スルコトナシ、是ニ於テ公道益々行ル、周公ノ後世ヲ憂患スルコト至レリ盡セリト云ヘシ、

新字:名之曰幽厲、雖孝子慈孫、百世不能改也、謚ノ事吾固ヨリ是ヲ疑フ、何トナレハ秦ノ始皇カ云如ク、子トシテ父ヲ議シ臣トシテ君ヲ議スルノ道ナレハ忠孝ノ訓ニ害アルカ如シ、然レトモ謚法廃スル時ハ公道従テ廃ス、人主何ノ戒ムル所アランヤ、吾反復之ヲ考テ初テ其説ヲ得タリ、蓋シ謚法ハ周ニ起ル、周公ノ制作ニ出ル所ナリ、周公ハ文王ノ子、武王ノ弟、成王ノ叔父ニシテ、周家ヲ造立シテ八百年ノ基業ヲ開キ給フコト皆此公ノ動労ナリ、故ニ周公ハ文王武王成王ト一体ノ人也、是ヲ以テ三王ノ心ヲ以テ己カ心トシ謚法ヲ制シ後世子孫天下諸矦ニ号令シ、今ヨリ後死喪ノ事アラハ、子父ニ私スルコトナク、臣君ニ私スルコトナク、公義ヲ明ニシ謚号ヲ論スヘシ、三王及ヒ吾身ニ於テ少モ忌諱スルコトナク、天下後世ノ模範トスヘシ、是ヲ以テ後世臣子敢テ君父ヲ妄議スルニ非ス、乃チ周公ノ法ヲ奉シテ周旋スルノミ、如是ニシテ公道初テ天下ニ行ハル、周公猶以テ足ラストス、故ニ左史事ヲ記シ右史言ヲ記スルノ法ヲ立、君臣ノ挙動言語逐一其実ヲ記シテ毫モ回避スルコトナシ、是ニ於テ公道益々行ル、周公ノ後世ヲ憂患スルコト至レリ尽セリト云ヘシ、

書き下し

「之れに名づけて幽・厲と曰ふ。孝子慈孫と雖も、百世改むること能はざるなり」。諡の事、吾固より是れを疑ふ。何となれば秦の始皇が云ふ如く、子として父を議し、臣として君を議するの道なれば、忠孝の訓に害あるが如し。然れども諡法廃する時は公道従ひて廃す。人主何の戒むる所あらんや。吾反復之れを考へて初めて其の説を得たり。蓋し諡法は周に起こる、周公の制作に出づる所なり。周公は文王の子、武王の弟、成王の叔父にして、周家を造立して八百年の基業を開き給ふこと皆此の公の勤労なり。故に周公は文王・武王・成王と一体の人なり。是れを以て三王の心を以て己が心とし、諡法を制し、後世子孫・天下諸侯に号令し、今より後死喪の事あらば、子父に私することなく、臣君に私することなく、公義を明らかにし諡号を論ずべし、三王及び吾が身に於て少しも忌諱することなく、天下後世の模範とすべし、と。是れを以て後世臣子敢へて君父を妄議するに非ず、乃ち周公の法を奉じて周旋するのみ。是くの如くにして公道初めて天下に行はる。周公猶以て足らずとす。故に左史事を記し右史言を記すの法を立て、君臣の挙動言語逐一其の実を記して毫も回避することなし。是に於て公道益々行はる。周公の後世を憂患すること至れり尽くせりと云ふべし。

現代語訳

「これに幽王・厲王という名を付ければ、孝行な子や慈しみ深い孫であっても、百代たってもそれを改めることはできない」。死後の諡のことは、私は以前から疑問に思っていた。なぜなら秦の始皇帝が言ったように、子が父を論評し、臣が君を論評するやり方だから、忠孝の教えに害があるように思えたからである。しかし諡の法がなくなれば、公の道理もそれに従ってなくなる。君主は何を戒めとすることがあろうか。繰り返し考えて、初めてその理由がわかった。思うに諡の法は周に起こり、周公が定めたものである。周公は文王の子、武王の弟、成王の叔父であって、周の王家を築いて八百年の基礎を開いたのは、みなこの方の働きである。だから周公は文王・武王・成王と一体の人である。そこで三王の心を自分の心として諡の法を定め、後の子孫や天下の諸侯に命じた。今後、誰かが亡くなったときは、子は父に、臣は君に私情をはさまず、公の義を明らかにして諡を論じよ。三王と私自身についても少しも遠慮することなく、天下後世の手本とせよ、と。だから後の臣子が勝手に君父を論評するのではなく、周公の法を奉じて行うだけなのである。このようにして初めて公の道理が天下に行われる。周公はそれでもなお足りないとして、左史が事を記し右史が言葉を記す法を立て、君臣の行いや言葉を一つ一つありのままに記録して、少しも避けることがなかった。こうして公の道理はますます行われた。周公が後世を思いやったことは、至れり尽くせりと言うべきである。

解説

孟子は、仁を行わない君主は暴君の幽王・厲王と諡され、孝行な子孫でも百世改められないと言いました。松陰は初め、子が父を、臣が君を評価する諡の制度は忠孝に反するのではと疑い、考え抜いて答えを出します。諡の法は周公が、自分と三代の王も例外なく公に評価せよと定めたものであり、臣下はその法に従うにすぎない、と。さらに周公は左史・右史に言行をありのままに記録させました。上に立つ者ほど死後に公正に評価される仕組みがあってこそ、公道が保たれるという考えです。記録と評価の仕組みが権力を律するという視点は、今の組織運営にも通じます。

この章句が説くこと

公道評価記録諡周公

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