講孟余話 / 滕文公下 第九章
作於其心、害於其事、作於其事、害於其政、聖人復起、不易吾言矣、浩然ノ氣ノ章ニハ事ノ字、政ノ字、位ヲ易フ、義異ルコトナシ、此語浩然ノ氣ノ章公孫丑上篇第二章ナリニモ出ツ、亦聖人復起、必從吾言矣ト云テ自賛ス、知ルヘシ孟子畢生得意ノ言ナルコトヲ、因テ詳ニ其義ヲ論ス、作於其心トハ初一念ノ事ナリ、人ハ初一念カ大切ナル者ニテ、ドコマテモ付回リテ、政事ニ至リテハ其害最モ著ルヽナリ、今学問ヲ爲ス者ノ初一念モ種々アリ、就中誠心道ヲ求ムルハ上ナリ、名利ノ爲ニスルハ下ナリ、故ニ初一念名利爲ニ初メシタル学問ハ、進メハ進ム程其弊著ハレ、博学宏詞ヲモツテ是ヲ粉飾スト云トモ、遂ニ是ヲ掩フコト能ハス、大事ニ臨ミ進退拠ヲ失ヒ、節義ヲ欠、勢利ニ屈シ、醜態云フニ忍ヒサルニ至ル、」
新字:作於其心、害於其事、作於其事、害於其政、聖人復起、不易吾言矣、浩然ノ気ノ章ニハ事ノ字、政ノ字、位ヲ易フ、義異ルコトナシ、此語浩然ノ気ノ章公孫丑上篇第二章ナリニモ出ツ、亦聖人復起、必従吾言矣ト云テ自賛ス、知ルヘシ孟子畢生得意ノ言ナルコトヲ、因テ詳ニ其義ヲ論ス、作於其心トハ初一念ノ事ナリ、人ハ初一念カ大切ナル者ニテ、ドコマテモ付回リテ、政事ニ至リテハ其害最モ著ルヽナリ、今学問ヲ為ス者ノ初一念モ種々アリ、就中誠心道ヲ求ムルハ上ナリ、名利ノ為ニスルハ下ナリ、故ニ初一念名利為ニ初メシタル学問ハ、進メハ進ム程其弊著ハレ、博学宏詞ヲモツテ是ヲ粉飾スト云トモ、遂ニ是ヲ掩フコト能ハス、大事ニ臨ミ進退拠ヲ失ヒ、節義ヲ欠、勢利ニ屈シ、醜態云フニ忍ヒサルニ至ル、」
書き下し
「其の心に作れば、其の事に害あり。其の事に作れば、其の政に害あり。聖人復た起こるとも、吾が言を易へじ」。浩然の気の章には事の字・政の字、位を易ふ。義異なることなし。此の語、浩然の気の章(公孫丑上篇第二章なり)にも出づ。亦「聖人復た起こるとも、必ず吾が言に従はん」と云ひて自賛す。知るべし、孟子畢生得意の言なることを。因りて詳らかに其の義を論ず。「其の心に作る」とは初一念の事なり。人は初一念が大切なる者にて、どこまでも付き回りて、政事に至りては其の害最も著るるなり。今学問を為す者の初一念も種々あり。就中誠心道を求むるは上なり、名利の為めにするは下なり。故に初一念名利の為めに初めたる学問は、進めば進む程其の弊著はれ、博学宏詞をもつて是れを粉飾すと云へども、遂に是れを掩ふこと能はず。大事に臨み進退拠を失ひ、節義を欠き、勢利に屈し、醜態云ふに忍びざるに至る。
現代語訳
「邪説がその人の心に起これば、その行う事に害が出る。行う事に起これば、その政治に害が出る。聖人がまた現れても、私のこの言葉を変えはしないだろう」。浩然の気を論じた章では「事」と「政」の字の位置が入れ替わっているが、意味は変わらない。この言葉は浩然の気の章(公孫丑上篇第二章)にも出ており、そこでも「聖人がまた現れても、必ず私の言葉に従うだろう」と自賛している。孟子が生涯で最も自信を持った言葉であることがわかる。そこで詳しくその意味を論じる。「其の心に作る」とは、最初の一念のことである。人は最初の一念が大切なもので、それがどこまでもついて回り、政治に至っては、その害が最もはっきり現れる。いま学問をする者の最初の一念にもいろいろある。中でも、真心から道を求めるのが上であり、名声や利益のためにするのが下である。だから、最初の一念が名利のために始めた学問は、進めば進むほどその弊害が表に出てきて、博学や美文でいくら飾っても、ついに覆い隠すことはできない。大事に臨むと進退のよりどころを失い、節義を欠き、権勢や利益に屈して、口にするのも忍びない醜態をさらすに至る。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』外篇・品藻・便宜を討らざる底の學問便宜を討らざる底の學問を做さば、便ち是れ真儒なり。
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