講孟余話 / 滕文公下 第八章
試ニ盡心上篇斉宣王喪ヲ短セント欲スルノ章ノ意ヲ以テ知ルヘシ、」宣王喪ヲ短セント欲ス、公孫丑問フ、朞ノ喪ヲスルハ猶已ムニ愈ランカ、孟子曰是ハ兄ノ臂ヲ戾ラス者アランニ、姑ラク徐々セヨト云カ如シ、夫ニテハ人ノ弟タルモノヲ教ル所以ニ非ス、夫ヨリハ孝弟ヲ教ルノ外アルマシ、然レハ喪ヲ短スルノ非ヲ知ラハ、必ス三年ノ喪ヲ勤ムヘシ、朞ニテ止ムヘキノ理ナシト云ヘリ、此章如知非其義、斯速已矣、何待來年ノ意、即チ此義ナリ、又公孫丑ノ問ニ、王子其母死スル者アリ、嫡母ニ憚アリテ喪ヲ終フルコト能ハサル故、其傅是カ爲ニ数月ノ喪ヲ請フ、此ノ若キ者ハ何如ト、孟子云ク、是ハ喪ヲ終ント欲シテ、得ヘカラサル者ナリ、一日ナリトモ喪ヲ勤ムル時ハ已ムニ愈レリ、前ノ兄ノ臂ヲ戾ラスノ喩ハ是ヲ禁スルコトナクシテ爲サル者ヲ云トイヘリ、」然レハ盈之信ニ能民ヲ愛スルノ誠心アリテ、節儉ヲ行ヒ国用ヲ足シ、少シナリトモ征稅ヲ輕クシ、実惠民ニ下ラハ、假令速ニ什一去關市之稅ノ昔ニ及フコト能ハストモ、孟子必ス云ン、一升ヲ輕フスト云トモ已ムニ愈レリト、故ニ孟子ノ盈之ヲ責ムルハ、來年ヲ待ツノ語ヲ責ルニ非ス、虛言アリテ実心ナキヲ責ルナリ
新字:試ニ尽心上篇斉宣王喪ヲ短セント欲スルノ章ノ意ヲ以テ知ルヘシ、」宣王喪ヲ短セント欲ス、公孫丑問フ、朞ノ喪ヲスルハ猶已ムニ愈ランカ、孟子曰是ハ兄ノ臂ヲ戻ラス者アランニ、姑ラク徐々セヨト云カ如シ、夫ニテハ人ノ弟タルモノヲ教ル所以ニ非ス、夫ヨリハ孝弟ヲ教ルノ外アルマシ、然レハ喪ヲ短スルノ非ヲ知ラハ、必ス三年ノ喪ヲ勤ムヘシ、朞ニテ止ムヘキノ理ナシト云ヘリ、此章如知非其義、斯速已矣、何待来年ノ意、即チ此義ナリ、又公孫丑ノ問ニ、王子其母死スル者アリ、嫡母ニ憚アリテ喪ヲ終フルコト能ハサル故、其傅是カ為ニ数月ノ喪ヲ請フ、此ノ若キ者ハ何如ト、孟子云ク、是ハ喪ヲ終ント欲シテ、得ヘカラサル者ナリ、一日ナリトモ喪ヲ勤ムル時ハ已ムニ愈レリ、前ノ兄ノ臂ヲ戻ラスノ喩ハ是ヲ禁スルコトナクシテ為サル者ヲ云トイヘリ、」然レハ盈之信ニ能民ヲ愛スルノ誠心アリテ、節倹ヲ行ヒ国用ヲ足シ、少シナリトモ征税ヲ軽クシ、実恵民ニ下ラハ、仮令速ニ什一去関市之税ノ昔ニ及フコト能ハストモ、孟子必ス云ン、一升ヲ軽フスト云トモ已ムニ愈レリト、故ニ孟子ノ盈之ヲ責ムルハ、来年ヲ待ツノ語ヲ責ルニ非ス、虚言アリテ実心ナキヲ責ルナリ
書き下し
試みに盡心上篇、斉の宣王喪を短くせんと欲するの章の意を以て知るべし。宣王喪を短くせんと欲す。公孫丑問ふ、「期の喪をするは猶已むに愈らんか」。孟子曰く、「是れは兄の臂を戾る者あらんに、姑く徐々にせよと云ふが如し。夫れにては人の弟たるものを教ふる所以に非ず。夫れよりは孝弟を教ふるの外あるまじ」。然れば喪を短くするの非を知らば、必ず三年の喪を勤むべし、期にて止むべきの理なしと云へり。此の章「如し其の義に非ざるを知らば、斯に速やかに已めよ、何ぞ来年を待たん」の意、即ち此の義なり。又公孫丑の問ひに、「王子其の母死する者あり。嫡母に憚りありて喪を終ふること能はざる故、其の傅是れが為めに数月の喪を請ふ。此の若き者は何如」と。孟子云ふ、「是れは喪を終へんと欲して、得べからざる者なり。一日なりとも喪を勤むる時は已むに愈れり。前の兄の臂を戾るの喩へは、是れを禁ずることなくして為さざる者を云ふ」といへり。然れば盈之信に能く民を愛するの誠心ありて、節倹を行ひ国用を足し、少しなりとも征税を軽くし、実恵民に下らば、仮令速やかに什一・関市の税を去るの昔に及ぶこと能はずとも、孟子必ず云はん、「一升を軽くすと云へども已むに愈れり」と。故に孟子の盈之を責むるは、来年を待つの語を責むるに非ず、虚言ありて実心なきを責むるなり。
現代語訳
試しに盡心上篇の、斉の宣王が喪の期間を短くしようとした章の意味から考えてみるとよい。宣王が喪を短くしようとしたとき、公孫丑が「一年の喪でも、しないよりはましでしょうか」と問うた。孟子は言った。「それは兄の腕をねじる者がいるのに、まあゆっくりねじれと言うようなものだ。それでは弟たる者を教えることにならない。それよりは孝悌を教えるほかないだろう」。つまり、喪を短くするのが誤りだと知ったなら、必ず三年の喪を勤めるべきで、一年でやめてよい理屈はないと言ったのである。この章の「それが義に外れると知ったなら、すぐにやめよ。どうして来年を待つことがあろう」という意味も、まさにこれである。また公孫丑が「王子で母が亡くなった者がいるが、正妻に遠慮して喪を全うできないので、守り役がそのために数か月の喪を願い出た。これはどうか」と問うたとき、孟子は「それは喪を全うしたくてもできない者である。一日でも喪を勤めれば、しないよりはましだ。先の兄の腕をねじる喩えは、誰も禁じていないのにしない者のことを言ったのだ」と答えた。とすれば、もし戴盈之に本当に民を愛する真心があって、倹約して国の財政を足らせ、少しでも税を軽くし、実際の恵みが民に届くのであれば、たとえすぐに十分の一の税や関所・市場の税をやめた昔に戻ることができなくても、孟子はきっと「一升でも軽くすれば、しないよりはましだ」と言うだろう。だから孟子が盈之を責めたのは、来年を待つという言葉を責めたのではなく、口先ばかりで本気の心がないことを責めたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上齊宣王、喪を短くせんと欲す。公孫丑曰く、「朞の喪を為すは、猶ほ已むに愈れるか。」孟子曰く、「是れ猶ほ其の兄の臂を紾(ねじる)るもの或らんに、子、之に謂いて、姑く徐徐にせよと爾云うがごとし。亦た之に孝弟を教えんのみ。」王子に其の母死する者有り。其の傅、之が為に數月の喪を請う。公孫丑曰く、「此の若き者は、何如ぞや。」曰く、「是れ之を終えんと欲するも、得可からざるなり。一日を加うと雖も、已むに愈れり。夫の之を禁ずる莫くして、為さざる者を謂うなり。」 <語釈> ○「公孫丑曰」、趙注:公孫丑に因りて自ら其の意を以てして孟子に問わしむ。公孫丑を通じて孟子に尋ねさせた。○「其傅為之請數月之喪」、趙注:王の庶夫人死す、適夫人に迫られ、其の親を喪するの數を行うを得ず。正夫人の圧迫があって、三年の喪が行えなかったので、数か月でも喪に服すことを願い出た。
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『講孟余話』滕文公下 第八章成周井田の法、什一の税、破壊已に久し。春秋魯の宣公の時より、既に私田を征することを見ゆれば、戦国の時に至り、其の重税苛斂推して知るべし。今一旦什一の税を用ひ、剰へ関市の征をも去てんとすること、豈に容易ならんや。凡そ国用限りあり、非常の節倹を行ふに非ずんば、何を以て数百年来仕来りの征税を軽くすることを得んや。戴盈之来年を待ちて是れを已めんと云ふは、勇断に非ずんば安んぞ能く是くの如くならんや。然るに孟子乃ち隣の鶏を攘む者に比するは、豈に甚しからずや。余謂ふに、井田の廃久し、中々大勇断にて非常の節倹を用ふるに非ざれば成らざることなるを、盈之容易に是れを云ふ。是れ虚言のみにして実心あるに非ず。故に孟子深く是れを拒絶するなり。
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『講孟余話』滕文公上 第二章此の章孟子対ふる所の主意は自尽の二字にあり。故に初対に口を開き即ち是れを言ふ。次対に「以て他に求むべからざる者なり」と云ひ、「世子に在り」と云ふ。世子是れを開き「誠に我に在り」と云ふに至りては、既に孟子の意を領す。宜なるかな能く三年の喪を成すこと。然れども其の論独り喪事のみに非ず、万事皆然らざることなし。故に孔子曰く「仁を為すは己れに由る、而して人に由らんや」。誠なるかな此の言や。三年の喪行はれざること蓋し亦久し。孔門の弟子、子張已に「高宗諒闇三年言はず」を疑ひ、宰我三年の喪の久しきを憂ふ。又尽心下篇に公孫丑が斉の宣王の短喪を問ふことあり。此の類を以て此の章に合せ考ふるに、三年の喪上より先づ廃して下是れに従ふなり。三代以下、晋の武帝、元魏の孝文、南宋の孝宗の如き、三年の喪を行ふの君三数人に過ぎず。此の時に当りて其の臣下徒に其の美を将順すること能はざるのみならず、又従ひて俗論を造作して是れを沮歇するに至る。礼法の頽廃是れに至る、実に歎息に余りあることなり。
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『講孟余話』盡心上 第四十六章「三年の喪を能くせずして、緦・小功を之れ察し、放飯流歠して、歯決すること無きを問ふ。是れを之れ務めを知らずと謂ふ」、亦良き喩へなり。今人大眼目なし、好んで瑣事末節を論ず。此の弊、読書人尤も甚だし。不忠不孝不信不義は人の大罪なり、却つて措きて論ぜず。極論直言する者を不敬と号し、酒を飲み人を罵れば狂気と号す。其の書を講ずるに至りては、一言半句朱註に戻れば異端雑学と号す。天下国家を憂ふれば蘇秦・張儀と号す。膺懲撻伐を論ずれば麤豪と号す。而して其の自ら行ふ所を見れば、辺幅を修飾し、言語を沈重にし、小廉曲謹、郷里善人の名を貪り、権勢の門に伺候し、阿諛曲従至らざる所なし。行々の色著はれず、侃々の声聞こえず、忠ならず孝ならず尤も朋友に信ならず、而して自ら居りて愧づることを知らず。是れを之れ務めを知らずと謂ふ。此の篇、下篇と相属く、故に総論は下篇にて云ふべし。但し此の篇大抵尽心の二字を以て骨子とし、君子窮達の道、国政王覇の弁等、皆尽くせり。或いは三四章も相連なり、或いは断ちて他事に及ぶもあり。各章に於て已に略之れを論ず、意を留めて是れを見ば自ら知らん。結末三章相承く、是れ亦尤も尽心の工夫なり。講孟劄記巻之四中終。
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『講孟余話』盡心上 第三十九章此の章本義明白、弁を待たず。余嘗て滕文公下篇第八章に於て割記して、征を去るの喩へとす。今又勤学の士に就きて一喩を発せん。凡そ読書の功は昼夜を舎てず、寸陰を惜しみて是れを励むに非ざれば、其の功を見ることなし。玆に一書生あり、「我勤学に倦めり、将に学を廃せんと欲す」と。其の師之に教へて曰く、「全く廃せんよりは、遊惰心に任せて、時に其の間を得ば読書すべし」と。余必ず傍らより掎して云はん、「学をなして斯くの如きは、遂に功見ることなし、全く廃するの勝れるに如かず」と。若し一弟子あり、入りては孝、出でては悌、躬行の余力を以て、二三日間時に或いは書を読み学を講ぜば、余将に其の志を憐んで益々是れを励まし、「一日を加ふと雖も已むに勝れり」と云はんとす。而して遂に読書の功を得ん者は、前の一書生に在らずして、後の一弟子にあること必せり。此の類万事に就きて熟考し、「之を終へんと欲して得べからず」と「之を禁ずる莫くして為さざる者」との別を知るべし。特り居喪の礼然るのみにあらず。
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『講孟余話』盡心下 首章章 「不仁なるかな、梁の恵王や」。首の一句、是れ全章の主意なり。是れを承くるに、仁者・不仁者の両股を以てし、其の下公孫丑の問ひに因りて梁の恵王の不仁なる訳を云ひて、不仁の一股を釈す。仁の一股は言外に蘊するのみにて敢へて発顕せず。然れども其の落着却つて発顕せざる処にあり。恵王の事実は梁恵王上篇第五章を考ふべし。又仁の訳も同章に云ふ所を以て知るべし。「仁政を施し、刑罰を省き、税斂を薄くし」、入りて事へ、出でて事ふるの類是れなり。
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