講孟余話 / 梁惠王下 首章
今是カ爲メニ一ツノ切當ナル譬喩ヲ得タリ、学問ノ術固ヨリ端緒多シ、訓詁ノ学アリ、詞章ノ学アリ、考據ノ学アリ、老佛ノ学アリ、是ヲ皆曲学トス、樂ニ世俗ノ樂アルカ如シ、吾党ノ志トスル義理經濟ノ正学ト異ナリ、義理經濟ノ学ハ譬ハ古ノ樂ノ如シ、故ニ樂ノ善悪ヲ論セハ、古樂ヲ貴テ俗樂ヲ賤シメ、学ノ善悪ヲ論セハ、正学ヲ崇ンテ曲学ヲ排スルハ固リナリ、然トモ今玆ニ一人ナリ、眞ニ志ヲ立テ己ヲ益シ人ニ益セントノ心ニテ、偶々正學知ラズ、曲學ヲ主トスル者アラバ、豈一概ニ是ヲ非トスルヲ得ンヤ、又其学フ所正学ニ似タレトモ、其志却テ名ノ爲メニシ利ノ爲ニスル者ナラハ、亦豈一概ニ是ヲ是トスルヲ得ンヤ、然レハ学ヲ言ハ志ヲ主トス、其曲ト正トニ至テハ第二義ニ落ルナリ、是孟子古樂俗樂ノ說ナリ、
新字:今是カ為メニ一ツノ切当ナル譬喩ヲ得タリ、学問ノ術固ヨリ端緒多シ、訓詁ノ学アリ、詞章ノ学アリ、考拠ノ学アリ、老仏ノ学アリ、是ヲ皆曲学トス、楽ニ世俗ノ楽アルカ如シ、吾党ノ志トスル義理経済ノ正学ト異ナリ、義理経済ノ学ハ譬ハ古ノ楽ノ如シ、故ニ楽ノ善悪ヲ論セハ、古楽ヲ貴テ俗楽ヲ賤シメ、学ノ善悪ヲ論セハ、正学ヲ崇ンテ曲学ヲ排スルハ固リナリ、然トモ今玆ニ一人ナリ、真ニ志ヲ立テ己ヲ益シ人ニ益セントノ心ニテ、偶々正学知ラズ、曲学ヲ主トスル者アラバ、豈一概ニ是ヲ非トスルヲ得ンヤ、又其学フ所正学ニ似タレトモ、其志却テ名ノ為メニシ利ノ為ニスル者ナラハ、亦豈一概ニ是ヲ是トスルヲ得ンヤ、然レハ学ヲ言ハ志ヲ主トス、其曲ト正トニ至テハ第二義ニ落ルナリ、是孟子古楽俗楽ノ説ナリ、
書き下し
今是れが為めに一つの切当なる譬喩を得たり。学問の術、固より端緒多し。訓詁の学あり、詞章の学あり、考拠の学あり、老仏の学あり、是れを皆曲学とす。楽に世俗の楽あるが如し。吾が党の志とする義理経済の正学と異なり。義理経済の学は譬へば古の楽の如し。故に楽の善悪を論ぜば、古楽を貴びて俗楽を賤しめ、学の善悪を論ぜば、正学を崇んで曲学を排するは固よりなり。然れども今茲に一人あり、真に志を立て、己を益し人に益せんとの心にて、偶々正学を知らず、曲学を主とする者あらば、豈に一概に是れを非とするを得んや。又其の学ぶ所正学に似たれども、其の志却つて名の為めにし利の為めにする者ならば、亦豈に一概に是れを是とするを得んや。然れば学を言はば志を主とす、其の曲と正とに至りては第二義に落つるなり。是れ孟子の古楽俗楽の説なり。
現代語訳
このことについて、ぴったりのたとえを一つ見つけた。学問のやり方には、もともといろいろな入り口がある。字句の注釈の学問、詩文の学問、考証の学問、老荘や仏教の学問があり、これらはみな曲がった学問である。音楽に世俗の音楽があるようなもので、私たちが志す、道理と世を治める実際についての正しい学問とは違う。道理と経世の学問は、たとえれば古の音楽のようなものである。だから音楽の善し悪しを論じれば、古の音楽を尊び俗な音楽を卑しみ、学問の善し悪しを論じれば、正しい学問を尊び曲がった学問を退けるのは当然である。しかし、ここに一人の人がいて、本当に志を立て、自分を高め人のためになろうとする心で学んでいるのに、たまたま正しい学問を知らず、曲がった学問を主にしているとしたら、どうしてそれを一概に否定できようか。また、学んでいることは正しい学問に似ていても、その志がかえって名声や利益のためであるなら、どうしてそれを一概に肯定できようか。だから学問を語るなら志を主とする。曲がっているか正しいかは、二の次になるのである。これが孟子の、古の音楽と俗な音楽の説である。
解説
この章句が説くこと
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