講孟余話 / 滕文公下 首章
抑虞人サヘモ志士勇士ニ比肩スルコトヲ得ル者アリ、然ルニ士大夫トシテ、却テ虞人ニ比スルコトヲ得サルハ、將何ノ面目カアル、枉己者未有能直人者也、此語誠ニ切実ト云ヘシ、全章ノ議論此一轉ニ至リ、皆是脫卸スルナリ、世ノ政ヲ爲ス者、大氏己カ身心ニ原クルコトヲ知ラズ、文武ヲ興シ節儉ヲ崇ミ廉耻ヲ勵スナト云類、号令篠ノ如ク下レトモ、悉皆張釈之所謂具文トナリ、毫モ其效ナキ者ハ、人心ハ上ノ令ニ從ハスシテ、上ノ好ミニ從フ者ナルヲ以テナリ、今在上ノ君子眞ニ能ク斯ニ心付キ、晏安偷惰ノ欲ヲ絕チ、身ヲ戰場ニ置クノ思ヲナシ、以テ率ヒ先ンスル時ハ、令セスシテ下民自ラ從フヘシ、誰一人此義ヲ以テ明主ノ前ニ陳說スル者ナキヤ、悲カナ
新字:抑虞人サヘモ志士勇士ニ比肩スルコトヲ得ル者アリ、然ルニ士大夫トシテ、却テ虞人ニ比スルコトヲ得サルハ、将何ノ面目カアル、枉己者未有能直人者也、此語誠ニ切実ト云ヘシ、全章ノ議論此一転ニ至リ、皆是脱卸スルナリ、世ノ政ヲ為ス者、大氏己カ身心ニ原クルコトヲ知ラズ、文武ヲ興シ節倹ヲ崇ミ廉耻ヲ励スナト云類、号令篠ノ如ク下レトモ、悉皆張釈之所謂具文トナリ、毫モ其効ナキ者ハ、人心ハ上ノ令ニ従ハスシテ、上ノ好ミニ従フ者ナルヲ以テナリ、今在上ノ君子真ニ能ク斯ニ心付キ、晏安偸惰ノ欲ヲ絶チ、身ヲ戦場ニ置クノ思ヲナシ、以テ率ヒ先ンスル時ハ、令セスシテ下民自ラ従フヘシ、誰一人此義ヲ以テ明主ノ前ニ陳説スル者ナキヤ、悲カナ
書き下し
抑々虞人さへも志士勇士に比肩することを得る者あり。然るに士大夫として、却つて虞人に比することを得ざるは、将た何の面目かある。「己を枉ぐる者は未だ能く人を直くする者有らざるなり」。此の語誠に切実と云ふべし。全章の議論此の一転に至り、皆是れ脱卸するなり。世の政を為す者、大抵己が身心に原づくることを知らず。文武を興し、節倹を崇び、廉恥を励ますなど云ふ類、号令篠の如く下れども、悉皆張釈之の所謂具文となり、毫も其の効なき者は、人心は上の令に従はずして、上の好みに従ふ者なるを以てなり。今在上の君子、真に能く斯に心付き、晏安偸惰の欲を絶ち、身を戦場に置くの思ひをなし、以て率ゐて先んずる時は、令せずして下民自ら従ふべし。誰一人此の義を以て明主の前に陳説する者なきや。悲しいかな。
現代語訳
そもそも山林の番人でさえ、志士や勇士と肩を並べることができた者がいる。それなのに士大夫でありながら、かえって番人にも及ばないのでは、いったい何の面目があろうか。「自分を曲げる者が、人をまっすぐにできた例はない」。この言葉はまことに切実である。章全体の議論はこの一転に至って、すべて解き明かされる。世の政治をする者は、たいてい自分の身と心に根本があることを知らない。文武を盛んにせよ、倹約を重んじよ、廉恥を励めなどと、号令は篠を束ねたように次々と下るが、すべて張釈之の言う「形だけの文書」となり、少しも効き目がないのは、人の心は上の命令には従わず、上の好みに従うものだからである。いま上に立つ君子が本当にこのことに気づき、安楽や怠惰を求める欲を断ち、戦場に身を置く思いで、自ら率先するならば、命令しなくても民は自然に従うだろう。誰一人として、この道理を名君の前で説く者はいないのか。悲しいことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二政を為すの道は、教養の二者、闕くべからず。二者は養を先と為し、教之に次ぐ。是れ先づ養ひて而る後に教ふるなり。舜は先づ后稷をして民に稼穡を教へしめ、五穀熟して民人育す。而る後に契をして司徒と為し、教ふるに人倫を以てせしむ。此れ養ひて而る後に教ふるなり。既に之を養ひ又之を教へて、民従はず。所以に刑有りて其の罪を正し、民をして教へに従はしむるなり。是を以て舜又皐陶に命じ、士と為りて五刑を司らしむ。其の序の紊るべからざること此くの如し。夫れ後世の政にも、亦た刑法有り。既に刑法有れば、則ち復た先づ教へ無かるべからず。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。此れ以て聖人の政は、養を先にし中ごろ教へ刑を後にす。蓋し既に養ひ且つ教へて、苟も従はざる者有らば、已むを得ずして刑を用ゐるのみ。
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『慎思録』巻之五天地の間、人を殺すこと最も多き者、四件有り。刑・兵・歳・病なり。刑罰を省き曲直を明らかにすれば、則ち寃死無し。乱源を禁遏すれば、則ち兵死無し。歳の凶なるに方りて、窮民を周恤すれば、則ち餓死無し。医を択びて病を済へば、則ち枉死無し。政に従ふ者、知らざるべからず。
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論語・顔淵篇季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「政とは、正なり。子帥いるに正を以てせば、孰か敢えて正しからざらん。」
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論語・為政篇或るひと孔子に謂いて曰く、「子奚ぞ政を為さざる。」子曰く、「書に云う、『孝なるかな惟れ孝、兄弟に友なり。』有政に施すと。是れも亦た政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すことのみを為さんや。」
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『学問のすゝめ』初編・愚民の上に苛き政府ありかかる愚民を支配するには、とても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においても、この人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えて、なお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。
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『慎思録』巻之六君たり吏たる者、卑賤の人に対して、厳威過ぎて高ければ、則ち勢分相隔絶して、下に在る者、其の情を尽くすことを得ずして、下情達せず、其の利害を詳らかにすること能はず。苟も温顔にして言を受くれば、則ち下情通ず。大率政を為すの道は、下情を通ずるを以て善と為す。
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