講孟余話 / 滕文公上 第三章
有王者起、必來取法、是爲王者師也、君子ノ政ヲ爲スハ、我一国ノ爲ノミニ非ズ、天下後世ノ法トナランコトヲ要ス、若シ天下後世トナリ大ニ行ルヽ時ハ、何必シモ己ヨリ出自ラ爲スニ誇ルコトヲナサンヤ、近世水府ノ景山公ノ諸政ヲ更張スルヤ、他邦ヨリ來テ法ヲ取ルヲ期セラレシ故、他邦ヨリ來テ其政ヲ問ヒ其法ヲ観ント欲スル者アレハ、必ス襟胸ヲ開キ情実ヲ吐テ是ニ示シ、又其論說スル所ヲ取テ国政ニ施用セラレシト聞ク、実ニ志アリト云ヘシ、余近日諸藩ノ政ヲ爲スヲ觀ルニ、大氏目前ノ計ヲ爲スノミ、未タ天下後世ノ爲ニ志ヲ立ル者ヲ見ス、方今國步艱難ノ際ニ當レリ、士教民政ヨリ兵備ニ至ル迄、悉ク其至當至精ノ所ヲ究メ是ヲ行ハヽ、天下必ス來テ法ヲ取ラン、是天下ノ師トナルナリ、此事是人君天地ニ事ルノ誠心ヨリシテ成ル所ニシテ、區々功利ノ論ニ非ス、嗚呼是ニ非レハ遂ニ其国ヲ新ニスルニ足サルナリ、
新字:有王者起、必来取法、是為王者師也、君子ノ政ヲ為スハ、我一国ノ為ノミニ非ズ、天下後世ノ法トナランコトヲ要ス、若シ天下後世トナリ大ニ行ルヽ時ハ、何必シモ己ヨリ出自ラ為スニ誇ルコトヲナサンヤ、近世水府ノ景山公ノ諸政ヲ更張スルヤ、他邦ヨリ来テ法ヲ取ルヲ期セラレシ故、他邦ヨリ来テ其政ヲ問ヒ其法ヲ観ント欲スル者アレハ、必ス襟胸ヲ開キ情実ヲ吐テ是ニ示シ、又其論説スル所ヲ取テ国政ニ施用セラレシト聞ク、実ニ志アリト云ヘシ、余近日諸藩ノ政ヲ為スヲ観ルニ、大氏目前ノ計ヲ為スノミ、未タ天下後世ノ為ニ志ヲ立ル者ヲ見ス、方今国歩艱難ノ際ニ当レリ、士教民政ヨリ兵備ニ至ル迄、悉ク其至当至精ノ所ヲ究メ是ヲ行ハヽ、天下必ス来テ法ヲ取ラン、是天下ノ師トナルナリ、此事是人君天地ニ事ルノ誠心ヨリシテ成ル所ニシテ、区々功利ノ論ニ非ス、嗚呼是ニ非レハ遂ニ其国ヲ新ニスルニ足サルナリ、
書き下し
「王者起るあらば、必ず来りて法を取らん。是れ王者の師たるなり」。君子の政を為すは、我が一国の為のみに非ず、天下後世の法とならんことを要す。若し天下後世となり大いに行はるる時は、何ぞ必ずしも己れより出で自ら為すに誇ることをなさんや。近世水府の景山公の諸政を更張するや、他邦より来りて法を取るを期せられし故、他邦より来りて其の政を問ひ其の法を観んと欲する者あれば、必ず襟胸を開き情実を吐きて是れに示し、又其の論説する所を取りて国政に施用せられしと聞く。実に志ありと云ふべし。余近日諸藩の政を為すを観るに、大抵目前の計を為すのみ、未だ天下後世の為に志を立つる者を見ず。方今国歩艱難の際に当れり。士教・民政より兵備に至るまで、悉く其の至当至精の所を究めて是れを行はば、天下必ず来りて法を取らん。是れ天下の師となるなり。此の事是れ人君天地に事ふるの誠心よりして成る所にして、区々功利の論に非ず。嗚呼是れに非ざれば遂に其の国を新たにするに足らざるなり。
現代語訳
「王者が現れれば、必ずやって来て手本とするであろう。これが王者の師となるということである」。君子が政治を行うのは、自分の一国のためだけではなく、天下後世の手本となることを目指すのである。もし天下後世に大いに行われるようになれば、どうして自分から出たものだと誇る必要があろうか。近ごろ水戸の烈公(徳川斉昭)が諸政を改めたときは、他国からやって来て手本とされることを期しておられたので、他国から来てその政治を尋ね、その法を見たいという者があれば、必ず胸襟を開いて実情を包み隠さず示し、またその人たちが論じたことを取り入れて国政に用いられたと聞く。まことに志があると言うべきである。私が近ごろ諸藩の政治を見ると、たいてい目先の計らいをするだけで、天下後世のために志を立てる者をまだ見ない。いまはまさに国の歩みが困難なときである。士の教育や民政から軍備に至るまで、すべてそのもっとも適切で精密なところを究めて行えば、天下は必ずやって来て手本とするだろう。これが天下の師となるということである。このことは君主が天地に仕える真心から成るものであって、こせこせした功利の論ではない。ああ、これでなければ、ついにその国を新しくすることはできない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
-
論語・公冶長篇顔淵・季路侍る。子曰く、「盍ぞ各々爾の志を言わざる。」子路曰く、「願わくは車馬衣裘、朋友と共にし、之を敝るとも憾み無からん。」顔淵曰く、「願わくは善に伐ること無く、労を施すこと無からん。」子路曰く、「願わくは子の志を聞かん。」子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
-
『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
-
『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
-
『慎思録』巻之一或ひと疑ふ、世間書を読むの人多し。往往身心に益無き者は、何ぞやと。曰く、学を為すは志を立つるに在り。苟も志無きの人は、広覧博聞すと雖も、己に益無し。然れども志なる者は己に由りて有する所にして、別人に管せず。須らく自己奮起すべし。故に皮日休云ふ、聖人は人に道を与ふれども、人に志を与ふること能はずと。夫れ六経四書の載する所の者は、聖人の道なり。六経四書の文字は、聖人の言なり。志有る者は、其の言を誦して其の道を求む。益有る所以なり。志無き者は、其の言を誦して其の道を忘る。益無き所以なり。凡そ学ぶ者は、躬行して之を心得することを貴ぶ。苟も聖人の道を求むるに志無くんば、則ち躬行心得すること能はず。然らば則ち博学強記し、日日経義を説くと雖も、奚ぞ其の身に益有るべけんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る