講孟余話 / 滕文公上 第三章
死徒無出鄉、鄉田同井、出入相友、守望相助、疾病相扶持、則百姓親睦、此章大意井地穀祿学校ノ三件ニアリ、分テ前後二段トス、前段ハ直ニ文公ニ荅フ、井田学校ノ大意ヲ言フ、世祿ハ滕固ヨリ之ヲ行フト云テ、穀祿ノ一件ヲ略ス、後段ハ畢戰ニ答フ、井地穀祿ノ詳ヲ言フ、學校ノ事ハ明言セス、百姓親睦ト云内ニ籠テ言ナリ、是全章ノ大意ナリ、而テ其尤モ熟味スヘキハ此一節ニアリ、盖シ井地穀祿学校ノ事ハ、皆制度ニ關係スルコトナレハ、容易ニ議スヘキニ非ス、唯此一節ハ其行フヘキノ実ヲ云、尤モ親切著明ナリ、今世ノ制、民間ニモ士林ニモ伍組ノ法ハアルコトナレハ、此法ニ因テ此意ヲ行ヒ度コトナリ、橫渠先生学者ト議シ、田地ヲ買ヒ画シテ数井トナシ、経界ヲ正シ宅里ヲ分チ、歛法ヲ立、儲蓄ヲ廣メ、学校ヲ興シ礼俗ヲ成シ、菑ヲ救ヒ患ヲ恤ヒ、本ヲ厚シ末ヲ抑ヘバ、亦以テ先王ノ遺法ヲ推シテ、當今ノ行フヘキヲ明ニスルニ足ラントノ志アリシ由、圈外ノ註ニ見ユ、實ニ尤ナルコトナリ、
新字:死徒無出郷、郷田同井、出入相友、守望相助、疾病相扶持、則百姓親睦、此章大意井地穀禄学校ノ三件ニアリ、分テ前後二段トス、前段ハ直ニ文公ニ荅フ、井田学校ノ大意ヲ言フ、世禄ハ滕固ヨリ之ヲ行フト云テ、穀禄ノ一件ヲ略ス、後段ハ畢戦ニ答フ、井地穀禄ノ詳ヲ言フ、学校ノ事ハ明言セス、百姓親睦ト云内ニ籠テ言ナリ、是全章ノ大意ナリ、而テ其尤モ熟味スヘキハ此一節ニアリ、盖シ井地穀禄学校ノ事ハ、皆制度ニ関係スルコトナレハ、容易ニ議スヘキニ非ス、唯此一節ハ其行フヘキノ実ヲ云、尤モ親切著明ナリ、今世ノ制、民間ニモ士林ニモ伍組ノ法ハアルコトナレハ、此法ニ因テ此意ヲ行ヒ度コトナリ、横渠先生学者ト議シ、田地ヲ買ヒ画シテ数井トナシ、経界ヲ正シ宅里ヲ分チ、歛法ヲ立、儲蓄ヲ広メ、学校ヲ興シ礼俗ヲ成シ、菑ヲ救ヒ患ヲ恤ヒ、本ヲ厚シ末ヲ抑ヘバ、亦以テ先王ノ遺法ヲ推シテ、当今ノ行フヘキヲ明ニスルニ足ラントノ志アリシ由、圏外ノ註ニ見ユ、実ニ尤ナルコトナリ、
書き下し
「死徙も郷を出づることなく、郷田井を同じくし、出入相友とし、守望相助け、疾病相扶持すれば、則ち百姓親睦す」。此の章大意、井地・穀禄・学校の三件にあり。分ちて前後二段とす。前段は直ちに文公に答ふ、井田・学校の大意を言ふ。世禄は滕固より之れを行ふと云ひて、穀禄の一件を略す。後段は畢戦に答ふ、井地・穀禄の詳を言ふ。学校の事は明言せず、「百姓親睦す」と云ふ内に籠めて言ふなり。是れ全章の大意なり。而して其の尤も熟味すべきは此の一節にあり。蓋し井地・穀禄・学校の事は、皆制度に関係することなれば、容易に議すべきに非ず。唯此の一節は其の行ふべきの実を云ふ、尤も親切著明なり。今世の制、民間にも士林にも伍組の法はあることなれば、此の法に因りて此の意を行ひ度きことなり。横渠先生学者と議し、田地を買ひ画して数井となし、経界を正し宅里を分ち、斂法を立て、儲蓄を広め、学校を興し礼俗を成し、菑を救ひ患を恤み、本を厚くし末を抑へば、亦以て先王の遺法を推して、当今の行ふべきを明かにするに足らんとの志ありし由、圏外の註に見ゆ。実に尤もなることなり。
現代語訳
「死んでも移り住んでも郷里を出ず、郷里の田は井田を同じくし、出入りには互いに連れ立ち、見張りには互いに助け合い、病気には互いに支え合えば、民は親しみ睦み合う」。この章の大意は、井田(土地区画)・穀禄(俸禄)・学校の三件にある。前後二段に分けられる。前段は文公に直接答えて、井田と学校の大意を言う。世襲の禄は滕でもとより行っていると言って、穀禄の一件を省いている。後段は畢戦に答えて、井田と穀禄の詳細を言う。学校のことははっきり言わず、「民は親しみ睦み合う」という中に込めて言っている。これが全章の大意である。そのなかで最もよく味わうべきはこの一節である。思うに、井田・穀禄・学校のことはみな制度にかかわることなので、軽々しく議論すべきではない。ただこの一節だけは、行うべき実際を言っていて、もっとも親身で明らかである。いまの世の制度にも、民間にも武士の間にも五人組の仕組みはあるのだから、この仕組みによってこの意を行いたいものである。張横渠先生は学ぶ者たちと相談して、田地を買って区画し数個の井田とし、境界を正し住まいを分け、徴税の法を立て、蓄えを広げ、学校を興して礼の風俗を成し、災いを救い患いを憐れみ、本業を厚くして末業を抑えれば、先王の遺した法を推し広めて、いま行うべきことを明らかにするに足るだろうという志を持っていたと、朱子注の圏外の注に見える。まことにもっともなことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・滕文公章句上滕の文公、國を為むるを問う。孟子曰く、「民事は緩うす可からざるなり。詩に云う、『晝は爾于きて茅かれ、宵は爾索を綯え。亟かに其れ屋に乘れ。其れ始めて百穀を播せん。』民の道為るや、恆I有る者は恆心有り。恆I無き者は恆心無し。苟くも恆心無ければ、放辟邪侈、為さざる無きのみ。罪に陥いるに及んで、然る後從って之を刑す。是れ民を罔するなり。焉くんぞ仁人位に在る有って、民を罔して為す可けんや。是の故に賢君は必ず恭儉にして下に禮し、民を取るに制有り。陽虎曰く、『富を為せば仁ならず、仁を為せば富まず。』夏后氏は五十にして貢し、殷人は七十にして助し、周人は百畝にして徹す。其の實は皆什の一なり。徹とは、徹なり。助とは、藉なり。龍子曰く、『地を治むるは助より善きは莫く、貢より善からざるは莫し。』貢とは、數歲の中を校して以て常と為す。樂歲には、粒米狼戻し、多く之を取るも虐と為さざるに、則ち寡く之を取る。凶年には、其の田に糞するも足らざるに、則ち必ず取り盈たす。民の父母と為りて、民をして盻盻然として、將た終歲勤動するも、以て其の父母を養うを得ざらしむ。又貸を稱して之を益し、老稚をして溝壑に轉ずぜしむ。惡くんぞ其の民の父母為るに在らんや。夫れ祿を世々にするは、滕固より之を行えり。詩に云う、『我が公田に雨ふり、遂に我が私に及べ。』惟だ助のみ公田有りと為す。此に由り之を觀れば、周と雖も亦た助するなり。庠序學校を設け為して、以て之を教う。庠とは、養なり。校とは、教なり。序とは、射なり。夏は校と曰い、殷は序と曰い、周は庠と曰う。學は則ち三代之を共にす。皆人倫を明らかにする所以なり。人倫上に明らかにして、小民下に親しむ。王者起こる有らば、必ず來たりて法を取らん。是れ王者の師と為るなり。詩に云う、『周は舊邦と雖も、其の命は惟れ新たなり。』文王の謂なり。子力めて之を行わば、亦た以て子の國を新たにせん。」畢戰をして井地を問わしむ。孟子曰く、「子の之、君將に仁政を行わんとし、選擇して子を使しむ。子必ず之を勉めよ。夫れ仁政は、必ず經界自り始む。經界正しからざれば、井地鈞しからず、穀祿平らかならず。是の故に暴君汙吏は必ず慢其の經界を慢にす。經界既に正しければ、田を分かち祿を制すること、坐して定む可きなり。夫れ滕は壤地褊小なれども、將た君子為り、將た野人為り。君子無くんば野人を治むる莫く、野人無くんば君を養う莫し。請う野は九が一にして助し、國中は什が一にして自ら賦せしめんことを。卿以下には必ず圭田有り。圭田は五十畝。餘夫は二十五畝。死徙、鄉を出づる無く、鄉田、井を同じくし、出入相友とし、守望相助け、疾病相扶持せば、則ち百姓親睦せん。方は里にして井す。井は九百畝、其の中公田為り。八家皆百畝を私し、同じく公田を養う。公事畢りて、然る後敢て私事を治む。野人を別つ所以なり。此れ其の大略なり。夫れ之を潤澤する若きは、則ち君と子とに在り。」
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『講孟余話』滕文公上 第三章余をして横渠の時に生れしめば、必ず此の事を成さん者をと思へども、幽明道遥かにして詮方なし。況や今囹圄の囚となり、志ありと云へども遂ぐべき様なし。徒に横渠の説を読みて感涙胸を沽すのみ。但し横渠の説は田を画し井となすか最も用意の所と見えたり。仁政は経界より始まるとあれば、此の事固より要務にはあるべけれど、是れは法制に係りたることにて、万一人情に合し土俗に宜からぬことあれば、大いに民間を擾乱するに至る。故に夫れよりは此の一節に云ふ所の実を主として行ひ度きことなり。
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『近思録』巻9 制度苟も之を処するに術有れば、期するに数年を以てし、一人をも刑せずして復すべし。病む所は特だ上の未だ行はざるのみ。乃ち言ひて曰く、「縦ひ之を天下に行ふこと能はずとも、猶ほ之を一郷に験すべし」と。方に学者と古の法を議し、共に田一方を買ひ、画して数井と為す。上は公家の賦役を失はず、退きて其の私を以て経界を正し、宅里を分ち、斂法を立て、儲蓄を広め、学校を興し、礼俗を成す。菑を救ひ患を恤み、本を敦くし末を抑ふ。以て先王の遺法を推し、当今の行ふべきを明らかにするに足る。此れ皆志有りて未だ就らず。横渠先生雲巌の令と為り、政事は大抵本を敦くし俗を善くするを以て先と為す。毎に月吉を以て酒食を具へ、郷人の高年を召して県庭に会し、親ら為に勧酬す。人をして老を養ひ長に事ふるの義を知らしむ。因りて民の疾苦を問ひ、及び弟子を訓戒する所以の意を告ぐ。横渠先生曰く、古者は「東宮有り、西宮有り、南宮有り、北宮有り、宮を異にして財を同じくす」。此の礼も亦行ふべし。古人の慮り遠し。目下相疎きに似たりと雖も、其の実は此くの如くして乃ち能く久しく相親しむ。蓋し数十百口の家、自ら是れ飲食衣服一なるを得難し。又宮を異にすれば乃ち子の其の私を伸ぶるを得るを容る。「子の私を避くる」所以なり。「子其の父を私せざれば、則ち子為るを成さず」。古の人は曲に人情を尽す、必ずや宮を同じくせんか。叔父伯父有れば、則ち子為る者何を以てか独り其の父に厚くせん。父為る者も又烏んぞ之に当るを得ん。父子宮を異にするは、命士以上の為なり。愈貴ければ則ち愈厳なり。故に宮を異にするは、猶ほ今世の逐位有るがごとく、異居の如きに非ざるなり。天下を治むるは井地に由らざれば、終に平らかなるを得るに由無し、周道は止だ是れ均平なり。井田は卒に封建に帰して乃ち定まる。
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『講孟余話』盡心下 第二十二章此の章の文義、朱子已に其の暁るべからざるを云ふ、今敢へて割記する所あらず。此の章を熟読して、賑恤は一時の奇策なれども、永久の長策に非ざるを知るべし。蓋し孟子初めて斉王に見えてより、首として五畝の宅・百畝の田・庠序学校の説を発す。謂へらく、此の策を行ふこと数年、旱乾水溢ありと云へども、民餓莩なきに足る、復た賑恤を事とすることなしと。孟子曾て梁恵王の民を移し粟を移すの政を謂ひて五十歩百歩と云ふも同意なり。故に孟子斉に勧めて棠の倉を発き民を救ふものは、先づ民に饑色あり野に餓莩あるを救ひ、因りて次を逐ひて田宅学校の政に及ぼさんとするなり。然るに斉王其の説を信用せず、孟子将に去らんとす。故に復た王に勧めず。且つ已に去らんとして君の物を以て自ら民に悦ばるることをなすを欲せず。及び再び賑はし三たび恤まば、其の民上恵に習れ、惰頑に陥り、復た治むべからざるに至るをも惧るるなるべし。故に余常に謂ふ、孟子の定策は田宅の制にあり。然れども当今に在りては、田宅の制断々改むべからず。若し必ず要務を問はば、薄税軽斂にあり。之れを要するに賑恤は一時の事なり。
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『講孟余話』滕文公上 第五章上篇凡そ五章、此の篇王政を論ずること最も詳らかなり。就中第三章は王政の正面なり。第四章は許行の異説を破るなり。而して王政は親に孝するを以て本とす。因りて第二章先づ三年の喪を論じて起こしとし、第五章墨者の異説を破りて結びとす。其の首章に於ては、学問政事皆聖人を以て師とすべきことを論じ、全篇の発端とす。是れ上篇五章の脈絡なり。
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孟子・梁惠王章句上今や民の産を制するに、仰ぎては以て父母に事ふるに足らず、俯しては以て妻子を畜ふに足らず、楽歳には終身苦しみ、凶年には死亡を免れず。此れ惟だ死を救ひて贍らざるを恐る、奚ぞ礼義を治むるに暇あらんや。王之を行はんと欲せば、則ち盍ぞ其の本に反らざる。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣る可し。鶏豚狗彘の畜、其の時を失ふ無くんば、七十の者以て肉を食ふ可し。百畝の田、其の時を奪ふ勿くんば、八口の家以て饑うる無かる可し。庠序の教へを謹み、之に申ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せず。老者帛を衣肉を食ひ、黎民饑ゑず寒えず、然り而して王たらざる者は、未だ之有らざるなり。」
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