講孟余話 / 滕文公上 第二章
三年ノ喪ハ三代ノ通用スル所ナルニ、滕ノ百官族人、却テ魯ノ先君モ吾先君モ之ヲ行フ者ナシト云ハ何ソヤ、曰ク、是今ノ事情ヲ以テ推セハ得ベシ、且本藩ノ事ヲ以テ言フニ烈祖三靈ノ建置給フコトハ、実ニ千百世ノ重典ト云ヘシ、然トモ今直ニ之ヲ行ハヽ、俗吏古ニ通セサル者ハ、必ズ駁シテ先例旧格ニ非ズトセン、殊テ知ラス俗吏ノ先例旧格トスル所ハ、多クハ後世沿習ノ流例ニシテ、眞ノ重典ニ戾ルコト亦少カラズ、烈祖以來僅ニ二三百年、已ニ斯ノ如シ、况ヤ周家天下ヲ治ルコト七百餘年、天下方ニ爭戰ノ場トナル時ニ當テ其謬妄是ニ至ル、何ソ怪ムニ足ラン、故ニ守成ノ君ノ貴フ所ハ、務テ祖宗ノ遺訓ニ遵ヒ、邦家ノ旧章ニ率ヒ、紛更変乱ノ漸ヲ杜クニアリ、学者モ亦玆ニ注意スベシ、
新字:三年ノ喪ハ三代ノ通用スル所ナルニ、滕ノ百官族人、却テ魯ノ先君モ吾先君モ之ヲ行フ者ナシト云ハ何ソヤ、曰ク、是今ノ事情ヲ以テ推セハ得ベシ、且本藩ノ事ヲ以テ言フニ烈祖三霊ノ建置給フコトハ、実ニ千百世ノ重典ト云ヘシ、然トモ今直ニ之ヲ行ハヽ、俗吏古ニ通セサル者ハ、必ズ駁シテ先例旧格ニ非ズトセン、殊テ知ラス俗吏ノ先例旧格トスル所ハ、多クハ後世沿習ノ流例ニシテ、真ノ重典ニ戻ルコト亦少カラズ、烈祖以来僅ニ二三百年、已ニ斯ノ如シ、況ヤ周家天下ヲ治ルコト七百余年、天下方ニ争戦ノ場トナル時ニ当テ其謬妄是ニ至ル、何ソ怪ムニ足ラン、故ニ守成ノ君ノ貴フ所ハ、務テ祖宗ノ遺訓ニ遵ヒ、邦家ノ旧章ニ率ヒ、紛更変乱ノ漸ヲ杜クニアリ、学者モ亦玆ニ注意スベシ、
書き下し
三年の喪は三代の通用する所なるに、滕の百官族人、却つて「魯の先君も吾が先君も之れを行ふ者なし」と云ふは何ぞや。曰く、是れ今の事情を以て推せば得べし。且つ本藩の事を以て言ふに、烈祖三霊の建置し給ふことは、実に千百世の重典と云ふべし。然れども今直ちに之れを行はば、俗吏古に通ぜざる者は、必ず駁して先例旧格に非ずとせん。殊に知らず、俗吏の先例旧格とする所は、多くは後世沿習の流例にして、真の重典に戻ること亦少なからず。烈祖以来僅かに二三百年、已に斯くの如し。況や周家天下を治むること七百余年、天下方に争戦の場となる時に当りて、其の謬妄是れに至る、何ぞ怪しむに足らん。故に守成の君の貴ぶ所は、務めて祖宗の遺訓に遵ひ、邦家の旧章に率ひ、紛更変乱の漸を杜ぐにあり。学者も亦茲に注意すべし。
現代語訳
三年の喪は夏・殷・周の三代に通じて行われたものなのに、滕の役人や一族が、かえって「宗主国の魯の先君も、わが先君も、これを行った者はいない」と言ったのはなぜか。答えて言おう。これはいまの事情から推し量れば分かる。わが藩のことで言えば、烈祖である三人の御霊がお定めになったことは、まことに千年百年の重い掟と言うべきである。しかし、いますぐそれを行おうとすれば、古に通じていない俗な役人は必ず反対して、先例や旧来の格式にないと言うだろう。まったく分かっていないのである。俗な役人が先例や旧格とするものの多くは、後世に習慣として流れてきたやり方にすぎず、真の重い掟に背くことも少なくない。烈祖以来わずか二、三百年でさえ、すでにこうである。まして周の王朝が天下を治めること七百年余り、天下がまさに戦乱の場となった時代に、その誤りがここまで至ったのは、何の不思議もない。だから先代の業を守る君主が貴ぶべきことは、つとめて祖先の遺訓に従い、国の古い掟に従って、みだりな改変や混乱の兆しを防ぐことにある。学ぶ者もまた、ここに注意すべきである。
解説
この章句が説くこと
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史記 孫子呉起列伝楚の悼王、素より起の賢なるを聞き、至れば則ち楚に相とす。法を明らかにし令を審らかにし、不急の官を捐て、公族の疏遠なる者を廃し、以て戦闘の士を撫養す。要は兵を彊くし、馳説の従横を言ふ者を破るに在り。是に於いて南は百越を平らげ、北は陳・蔡を并せ、三晋を卻け、西は秦を伐つ。諸侯、楚の彊きを患ふ。故に楚の貴戚尽く呉起を害せんと欲す。悼王死するに及び、宗室大臣、乱を作して呉起を攻む。呉起、走りて王の尸に之きて之に伏す。起を撃つの徒、因りて呉起を射刺し、并せて悼王に中つ。悼王既に葬られ、太子立ち、乃ち令尹をして尽く呉起を射て并せて王の尸に中つる者を誅せしむ。起を射るに坐して宗を夷げられて死せし者七十余家。
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『韓非子』問田第四十二亂主闇上の患禍を憚らずして、必ず以て民萌の資利を齊えんと思うは、仁智の行なり。...亂主闇上の患禍を憚りて、死亡の害を避け、...は、貪鄙の為なり。
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史記 袁盎鼂錯列伝其の弁を以て太子に幸を得、太子の家号して「智嚢」と曰ふ。数(しばしば)孝文の時に上書し、諸侯を削る事、及び法令の更定すべき者を言ふ。書数十たび上るも、孝文聴かず、然れども其の材を奇とし、遷して中大夫と為す。是の時に当たり、太子錯の計策を善しとし、袁盎・諸大功臣多く錯を好まず。景帝即位し、錯を以て内史と為す。錯常に数(しばしば)閒を請ひて事を言ひ、輒ち聴かれ、寵幸九卿を傾け、法令多く更定する所あり。丞相申屠嘉心に便とせず、力未だ以て傷つくる有らず。内史の府は太上廟の壖(ぜん)中に居り、門東に出で、便ならず。錯乃ち両門を穿ちて南に出だし、廟の壖垣を鑿つ。丞相嘉聞き、大いに怒り、此の過ちに因りて奏請して錯を誅せんと欲す。錯之を聞き、即ち夜閒を請ひ、具さに上の為に之を言ふ。丞相事を奏し、因りて錯擅に廟垣を鑿ちて門と為す、廷尉に下して誅せんことを請ふと言ふ。上曰く、「此れ廟垣に非ず、乃ち壖中の垣なり、法に致さず」と。丞相謝す。朝を罷め、怒りて長史に謂ひて曰く、「吾当に先づ斬りて以て聞すべきに、乃ち先づ請ひ、児の売る所と為る、固より誤れり」と。丞相遂に病を発して死す。錯此を以て愈(いよい)よ貴し。遷りて御史大夫と為り、諸侯の罪過を請ひ、其の地を削り、其の枝郡を収めんとす。奏上し、上公卿列侯宗室をして集議せしむ。敢へて難ずる莫く、独り竇嬰之を争ふ。此に由りて錯と卻(げき)有り。錯の更むる所の令三十章、諸侯皆諠譁して鼂錯を疾む。錯の父之を聞き、潁川より来たり、錯に謂ひて曰く、「上初めて即位し、公政を為して事を用ひ、諸侯を侵削し、人の骨肉を別疏す。人口議して多く公を怨む者は、何ぞや」と。鼂錯曰く、「固よりなり。此の如くならずんば、天子尊からず、宗廟安からず」と。錯の父曰く、「劉氏は安けれども、鼂氏は危ふし。吾公を去りて帰らん」と。遂に薬を飲みて死し、曰く、「吾禍の吾が身に及ぶを見るに忍びず」と。
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