講孟余話 / 滕文公上 首章
若藥不瞑眩、厥疾不瘳、此言実ニ是吾輩ノ良藥是ニ過ルコトナシ、但シ此藥瞑眩スル所以ニ至テハ、眞ニ志ヲ立ル者ニ非レハ、知ルコト能ハズ、請フ試ニ是ヲ言ン、今常人ノ通情ヲ察スルニ、善ヲ好ミ悪ヲ惡ムハ固ナレトモ、大氏十人並ノ人トナラント思フ迄ニテ、百人千人万人ニ傑出セント思フ者更ニ少シ、堯舜文王ハ万世ニ傑出スル人ナリ、今遽ニ是ヲ師トセントスルハ瞑眩ノ藥ニ非スヤ、滕ハ五十里ノ小国ニシテ、斉楚強大ノ国ニ間レリ、其自ラ存スル且難シトス、今乃チ是ヲ謂テ善国トナスヘシト云、亦瞑眩ノ藥ニ非スヤ、然レトモ常人ノ情トシテ、自ラ行フヲ勤メス、好テ無當ノ大言ヲナシ、聖人トナルモ、善国トナスモ、茶漬ヲ食フ如クニ言者多シ、亦烏ゾ此藥ノ瞑眩ヲ知ルコトヲ得ンヤ、吾輩自ラ反シテ是ヲ思フ時ハ、汗背赧面自ラ容ルヽ所ナシ、是実ニ吾輩ノ良藥ナルカナ
新字:若薬不瞑眩、厥疾不瘳、此言実ニ是吾輩ノ良薬是ニ過ルコトナシ、但シ此薬瞑眩スル所以ニ至テハ、真ニ志ヲ立ル者ニ非レハ、知ルコト能ハズ、請フ試ニ是ヲ言ン、今常人ノ通情ヲ察スルニ、善ヲ好ミ悪ヲ悪ムハ固ナレトモ、大氏十人並ノ人トナラント思フ迄ニテ、百人千人万人ニ傑出セント思フ者更ニ少シ、堯舜文王ハ万世ニ傑出スル人ナリ、今遽ニ是ヲ師トセントスルハ瞑眩ノ薬ニ非スヤ、滕ハ五十里ノ小国ニシテ、斉楚強大ノ国ニ間レリ、其自ラ存スル且難シトス、今乃チ是ヲ謂テ善国トナスヘシト云、亦瞑眩ノ薬ニ非スヤ、然レトモ常人ノ情トシテ、自ラ行フヲ勤メス、好テ無当ノ大言ヲナシ、聖人トナルモ、善国トナスモ、茶漬ヲ食フ如クニ言者多シ、亦烏ゾ此薬ノ瞑眩ヲ知ルコトヲ得ンヤ、吾輩自ラ反シテ是ヲ思フ時ハ、汗背赧面自ラ容ルヽ所ナシ、是実ニ吾輩ノ良薬ナルカナ
書き下し
「若し薬瞑眩せずんば、厥の疾瘳えず」。此の言実に是れ吾輩の良薬、是れに過ぐることなし。但し此の薬瞑眩する所以に至りては、真に志を立つる者に非ざれば、知ること能はず。請ふ試みに是れを言はん。今常人の通情を察するに、善を好み悪を悪むは固なれども、大抵十人並の人とならんと思ふ迄にて、百人千人万人に傑出せんと思ふ者更に少なし。堯舜文王は万世に傑出する人なり、今遽かに是れを師とせんとするは瞑眩の薬に非ずや。滕は五十里の小国にして、斉・楚強大の国に間はれり、其の自ら存すること且つ難しとす。今乃ち是れを謂ひて善国となすべしと云ふ、亦瞑眩の薬に非ずや。然れども常人の情として、自ら行ふを勤めず、好んで無当の大言をなし、聖人となるも、善国となすも、茶漬を食ふ如くに言ふ者多し。亦烏んぞ此の薬の瞑眩を知ることを得んや。吾輩自ら反して是れを思ふ時は、汗背赧面、自ら容るる所なし。是れ実に吾輩の良薬なるかな。
現代語訳
「もし薬が目がくらむほど強くなければ、その病は治らない」。この言葉こそまことに我々にとっての良薬であり、これにまさるものはない。ただ、この薬がなぜ目がくらむほど強いのかについては、真に志を立てた者でなければ分からない。試みにそれを言ってみよう。いま普通の人の心持ちを見ると、善を好み悪を憎むのは当然としても、たいていは人並みの人になろうと思う程度で、百人、千人、万人に抜きん出ようと思う者はさらに少ない。堯・舜・文王は万世に抜きん出た人である。いま急にこれを師としようとするのは、目がくらむほどの薬ではないか。滕は五十里の小国で、斉と楚という強大な国のあいだに挟まれ、自分の国を保つことさえ難しい。それなのに、この国を善い国にすることができると言うのも、目がくらむほどの薬ではないか。けれども普通の人の常として、自分で行うことには励まず、好んで見当外れの大きなことを言い、聖人になるのも善い国にするのも、お茶漬けを食べるように簡単に言う者が多い。それでは、この薬の目がくらむほどの強さを知ることなどできようか。我々が自分に引き返してこれを思うと、背に汗が流れ顔が赤らんで、身の置きどころがない。これこそまことに我々の良薬である。
解説
この章句が説くこと
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