講孟余話 / 公孫丑下 第十二章
今世ノ君ニ事ルハ暫ク論セズ、請フ朋友ニ交ル所以ヲ論セン、朋友相交ルハ善道ヲ以テ忠告スルコト固ナリ、而シテ朋友中不幸ニシテ狂悖ナル者アラハ、反復誨諭スベシ、必ズ已ムヲ得サルニ至テハ或ハ交ヲモ絶ツベシ、而シテ其間假令優柔不断ニ似タレトモ、敢テ是ヲ匆々急遽ニセス、宜ク三宿晝ヲ出ルノ意アルベシ、况ヤ交旣ニ絕ルニ至テ、悪声ヲ出スコトアランヤ、今世朋友ニ交ル者、善道ヲ以テ忠告スル者少シ、其過悪ヲ戒諭スル者最モ少シ、若或ハ私忿ニ因テ交ヲ絕ツニ至テハ、譬ハ悻々然見於其面、去則窮日之力而後宿ト云如ク、且怒リ且罵リ、毫モ生平ノ交態ヲ存セス、甚シキハ仇敵ヲ以テ是ヲ視ルニ至ル者、往々然リ、其薄情極レリ、少シク孟子ノ風ヲ学テ、忠厚ノ途ニ向ハセ度コトナリ、夫孟子ノ和氣ト、今人ノ薄情ト、其起ル所何事ソト尋ルニ、物ヲ愛スルノ心ト、己ヲ衒フノ心ト、其途ヲ異ニスルニ由ルナリ、然ラハ有志ノ士物ヲ愛スルヲ以テ心トシ、切ニ己ヲ衒フノ念ヲ禁遏スヘシ
新字:今世ノ君ニ事ルハ暫ク論セズ、請フ朋友ニ交ル所以ヲ論セン、朋友相交ルハ善道ヲ以テ忠告スルコト固ナリ、而シテ朋友中不幸ニシテ狂悖ナル者アラハ、反復誨諭スベシ、必ズ已ムヲ得サルニ至テハ或ハ交ヲモ絶ツベシ、而シテ其間仮令優柔不断ニ似タレトモ、敢テ是ヲ匆々急遽ニセス、宜ク三宿昼ヲ出ルノ意アルベシ、況ヤ交既ニ絶ルニ至テ、悪声ヲ出スコトアランヤ、今世朋友ニ交ル者、善道ヲ以テ忠告スル者少シ、其過悪ヲ戒諭スル者最モ少シ、若或ハ私忿ニ因テ交ヲ絶ツニ至テハ、譬ハ悻々然見於其面、去則窮日之力而後宿ト云如ク、且怒リ且罵リ、毫モ生平ノ交態ヲ存セス、甚シキハ仇敵ヲ以テ是ヲ視ルニ至ル者、往々然リ、其薄情極レリ、少シク孟子ノ風ヲ学テ、忠厚ノ途ニ向ハセ度コトナリ、夫孟子ノ和気ト、今人ノ薄情ト、其起ル所何事ソト尋ルニ、物ヲ愛スルノ心ト、己ヲ衒フノ心ト、其途ヲ異ニスルニ由ルナリ、然ラハ有志ノ士物ヲ愛スルヲ以テ心トシ、切ニ己ヲ衒フノ念ヲ禁遏スヘシ
書き下し
今世の君に事ふるは暫く論ぜず、請ふ朋友に交はる所以を論ぜん。朋友相交はるは善道を以て忠告すること固なり。而して朋友中不幸にして狂悖なる者あらば、反復誨諭すべし。必ず已むを得ざるに至りては或は交はりをも絶つべし。而して其の間仮令優柔不断に似たれども、敢へて是れを匆々急遽にせず、宜しく三宿して昼を出づるの意あるべし。況や交はり既に絶ゆるに至りて、悪声を出すことあらんや。今世朋友に交はる者、善道を以て忠告する者少なし、其の過悪を戒諭する者最も少なし。若し或は私忿に因りて交はりを絶つに至りては、譬へば「悻々然として其の面に見はれ、去れば則ち日の力を窮めて而る後に宿る」と云ふ如く、且つ怒り且つ罵り、毫も生平の交態を存せず、甚しきは仇敵を以て是れを視るに至る者、往々然り、其の薄情極まれり。少しく孟子の風を学びて、忠厚の途に向はせ度きことなり。夫れ孟子の和気と、今人の薄情と、其の起る所何事ぞと尋ぬるに、物を愛するの心と、己を衒ふの心と、其の途を異にするに由るなり。然らば有志の士、物を愛するを以て心とし、切に己を衒ふの念を禁遏すべし。
現代語訳
今の世で主君に仕えることについてはしばらく論じないでおく。友人と交わるあり方を論じたい。友人どうしの交わりでは、善い道をもって忠告するのは当然である。そして友人のなかに不幸にも道に外れた者がいれば、繰り返し教え諭すべきである。どうしてもやむを得なくなれば、交わりを絶つこともあるだろう。しかしその間は、たとえ優柔不断に見えても、あえて慌ただしく急いで絶とうとせず、孟子が三晩泊まってから昼の町を出たような気持ちを持つべきである。まして交わりがすでに絶えたのちに、悪口を言うことなどあってよいはずがない。いまの世で友人と交わる者は、善い道をもって忠告する者が少なく、その過ちを戒め諭す者はもっとも少ない。もし私的な怒りから交わりを絶つことになると、孟子の言う「むっとした顔つきをあらわにし、去るとなれば一日中歩き尽くしてからようやく宿る」というように、怒ったり罵ったりして、ふだんの交わりの面影は少しも残さず、ひどい場合には仇敵のように見るに至る者が、しばしばいる。その薄情さは極まっている。少しでも孟子の風を学んで、誠実で手厚い道に向かってほしいものである。孟子の和やかさと今の人の薄情さが、どこから起こるのかと尋ねれば、物を愛する心と、自分を誇る心とで、その道が違うからである。そうであれば、志ある士は物を愛することを心とし、自分を誇ろうとする思いを強く抑えるべきである。
解説
この章句が説くこと
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