呻吟語 / 内篇・應務・責善の六戒
責善要看其人何如,其人可責以善,又當自盡長善救失之道。無指摘其所忌,無盡數其所失,無對人,無峭直,無長言,無累言,犯此六戒,雖忠告,非善道矣。其不見聽,我亦且有過焉,何以責人?
新字:責善要看其人何如,其人可責以善,又当自尽長善救失之道。無指摘其所忌,無尽数其所失,無対人,無峭直,無長言,無累言,犯此六戒,雖忠告,非善道矣。其不見聴,我亦且有過焉,何以責人?
書き下し
善を責むるは其の人の何如を看るを要す。其の人善を以て責む可くんば、又た當に自ら長を善くし失を救ふの道を盡くすべし。其の忌む所を指摘する無かれ、其の失する所を盡數する無かれ、人に對する無かれ、峭直なる無かれ、長言する無かれ、累言する無かれ。此の六戒を犯さば、忠告と雖も、善道に非ざるなり。其の聽かれざれば、我も亦た且つ過ち有り。何を以て人を責めん。
現代語訳
善を勧め過ちを正すには、その人がどういう人かを見る必要があります。その人が善で責めてよい相手なら、さらに長所を伸ばし過ちを救う道を尽くすべきです。相手が触れられたくない所を指さしてはならず、失敗を数え上げてはならず、人前でしてはならず、鋭くまっすぐすぎてはならず、長く語ってはならず、繰り返してはなりません。この六つの戒めを犯せば、忠告であっても善い伝え方ではありません。聞き入れられなければ、こちらにも過ちがあります。それで人を責められるでしょうか。
解説
忠告の作法を、六つの禁止で示します。急所を突かない、数え上げない、人前でしない、鋭すぎない、長くしない、繰り返さない。どれも忠告する側が熱心なほど犯しがちなものばかりです。そして聞き入れられなければ、こちらにも過ちがあると結ぶ。伝わらなかった責任を伝える側に置く、この書らしい一段になっています。伝わらなかった責任を、伝える側に置く一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
忠告作法六戒伝達責任
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