呻吟語 / 内篇・應務・忠告して善く之を道く
今子弟受父兄之責也,尚有所不堪,而況他人乎?孔子曰:「忠告而善道之,不可則止。」此語不止全交,亦可養氣。
新字:今子弟受父兄之責也,尚有所不堪,而況他人乎?孔子曰:「忠告而善道之,不可則止。」此語不止全交,亦可養気。
書き下し
今子弟の父兄の責を受くるや、尚ほ堪へざる所有り。而るに況んや他人をや。孔子曰く、「忠告して善く之を道き、不可なれば則ち止む」と。此の語は交はりを全うするに止まらず、亦た以て氣を養ふ可し。
現代語訳
今の子弟は父や兄から責められてさえ、耐えられないところがあります。まして他人からならなおさらです。孔子は、真心をもって告げ上手に導き、聞き入れられなければやめよと言いました。この言葉は交わりを全うするだけでなく、自分の気を養うことにもなります。
解説
忠告の限界を、身内の例から導きます。親や兄の言葉すら受け止められないのだから、他人ならなおさら届かない。そこで孔子の、聞き入れられなければやめよという一句が引かれます。そして最後の一言が面白い。やめることは相手のためだけでなく、自分の気を守ることにもなる。忠告をやめる理由が二つ示された形です。やめる理由が二つ示されているのが、この一段の要点です。
この章句が説くこと
忠告限界やめる交わり養気
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