呻吟語 / 内篇・修身・我を攻むるの益に感ず
攻我之過者,未必皆無過之人也。苟求無過之人攻我,則終身不得聞過矣。我當感其攻我之益而已,彼有過無過何暇計哉?
新字:攻我之過者,未必皆無過之人也。苟求無過之人攻我,則終身不得聞過矣。我当感其攻我之益而已,彼有過無過何暇計哉?
書き下し
我が過ちを攻むる者は、未だ必ずしも皆な過ち無きの人ならざるなり。苟しくも過ち無きの人の我を攻むるを求めば、則ち終身過ちを聞くを得ざらん。我は當に其の我を攻むるの益に感ずるのみ。彼に過ち有るか過ち無きか、何ぞ計るに暇あらんや。
現代語訳
私の過ちを責める者が、みな過ちの無い人であるとは限りません。もし過ちの無い人が責めてくれるのを待つなら、一生自分の過ちを聞けません。私はただ、責めてもらった利益に感謝するだけです。相手に過ちがあるか無いかを、いちいち数えている暇はありません。
解説
あなたに言われたくない、という反論を封じる一段です。指摘の価値は、指摘した人の人格とは別だと言い切ります。完璧な人の忠告だけを待てば、一生何も聞けない。相手の資格を問う癖は、たいてい耳を塞ぐための口実になっています。自分の利益だけを数えよという割り切りが、実に呂坤らしい実際的な処方です。聞く力とは、相手を選ばない力のことでもあります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
忠告批判資格受容過ち
関連する章句
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『初学訓』巻之三人の過は知りやすく、わが過は知りがたきは、人を見るには私なし、故に明らかなり。我が身には私して、過悪をも知らず。わが身に過あれども知らざるは愚なり。知りて改めざるは悪なり、その罪ふかし。明鏡と雖も、其裏を照さず、智者といへども、わが身を知るには暗し。故に、君子はまづ我が身をかへりみて、其過を知るべし。其上道ある人に交りて、其諫をきき、過を改めて善にうつる、是学者の益なり。子路は、人其過を告げきかすれば喜べり。ここを以て、程子の言に、子路も亦百世の師なりといへり。人、わづかなる酒肴くだものなどの贈物をうけてだに、めで喜ばぬものなし。いはんや、過を告げ善言を進むるをや。これほど大なる恵みあらんや。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一人われをそしらば、わが身の悪しきを顧みとがめて、人を恨むべからず。もし我が身にあやまりなければ、謗ありても我が徳に害なし。もしわが身に過あらば、そしらるるは元より其理なれば、うらむべからず。いはんやそしりを聞きて、身のあやまちを改むれば、わが幸甚し。怒るべからず。孔子曰、丘幸あり。もし過あれば、人必ず之を知る。わが過を人に知られて咎めらるるは、わが幸なりとのたまへり。聖人の言たふとぶべし。
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『大和俗訓』巻之二・為学下学者必ここに常に心を用ふべし。およそ人のあやまり悪しき事は、皆その生れつきの偏なる癖よりおこる。ここを以て、学者は必気質を変化して、過を改むべし。是学問の要なり。我が気質の偏悪と、我が過をみづから知る人まれなり。かへりみて察し知るべし。正直にして、過をつぐる益友を求め、忠臣を近づけて諫を聞用ふべし。碁をうつ人は手見えず、傍より見る人は眼よく見ゆるが如し。
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『大和俗訓』巻之八・応接一人我をそしらば、誹るものを咎むべからず。我が身にかへりみて求むべし。我が身に一分の過あり、人我をそしること十分なりとも、我が過よりおこりし事なれば、恨むべからず。わが過をせむべし。是そしりを止むる道なり。左もなくて、ただ人をとがめ、人をうらみて、我に求めざれば、人のそしりは止むべからず。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一学問の道は、心をむなしくし、へりくだり、よく知れる事をも知らざるが如くにし、能く行ふ事をも行はざるが如くにし、我が才と行とにほこらず、わが智を先だてずして、人に問ひ、人のいさめを聞用ひ、我が過を改めて、善にうつるべし。かくの如くすれば、学問の益あり。善にすすむ事きはまりなし。もし自らほこり、我を是とし、人を非とし、人の諫を拒ぎ、我が過をきく事をきらはば、才学の長ずるにしたがひて、その心あしくなりて、学問の益なきのみにあらず、かへりて害となるべし。是己が為にせずして、人のためにする故、君子儒とならずして、小人儒となるなり。かくの如くならんは、学ばざるにおとれり。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一わが身の過を改めんため、人の諫を好むこと真実ならば、いさむるもの多からん。酒食は人の好む物なれば、人辞退して拒けども、しひて飲ませ食はしむるは、世のならひなり。是人の真実に酒食を好む事を知ればなり。酒食を好む如く、諫を好み、わが過を改めば、諫を言ふ人多くして、我が身の過なかるべし。