呻吟語 / 内篇・修身・我を攻むるの益に感ず
攻我之過者,未必皆無過之人也。苟求無過之人攻我,則終身不得聞過矣。我當感其攻我之益而已,彼有過無過何暇計哉?
新字:攻我之過者,未必皆無過之人也。苟求無過之人攻我,則終身不得聞過矣。我当感其攻我之益而已,彼有過無過何暇計哉?
書き下し
我が過ちを攻むる者は、未だ必ずしも皆な過ち無きの人ならざるなり。苟しくも過ち無きの人の我を攻むるを求めば、則ち終身過ちを聞くを得ざらん。我は當に其の我を攻むるの益に感ずるのみ。彼に過ち有るか過ち無きか、何ぞ計るに暇あらんや。
現代語訳
私の過ちを責める者が、みな過ちの無い人であるとは限りません。もし過ちの無い人が責めてくれるのを待つなら、一生自分の過ちを聞けません。私はただ、責めてもらった利益に感謝するだけです。相手に過ちがあるか無いかを、いちいち数えている暇はありません。
解説
あなたに言われたくない、という反論を封じる一段です。指摘の価値は、指摘した人の人格とは別だと言い切ります。完璧な人の忠告だけを待てば、一生何も聞けない。相手の資格を問う癖は、たいてい耳を塞ぐための口実になっています。自分の利益だけを数えよという割り切りが、実に呂坤らしい実際的な処方です。聞く力とは、相手を選ばない力のことでもあります。
この章句が説くこと
忠告批判資格受容過ち
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