講孟余話 / 公孫丑下 第十二章
此章ニ於テ仁人ノ心ヲ知ルヘシ、燕ノ樂毅カ所謂古之君子交絕不出悪声、忠臣去国不潔其名ト云モ此義ナリ、孟子平生斉王ヲ諫爭教戒スル者甚タ備レリ、而王曾テ是ヲ聽納セズ、故ニ孟子斉ヲ去ル也、常人ヲシテ是ニ處セシメハ、必ズ怒罵シテ斎王ノ非ヲ数へ、自己ノ名ヲ衒セン、而シテ孟子斉ヲ去ル事ヲ記スルコト、前後凢ソ五章、一言ノ怨怒ノ氣ナク、斉王ヲ謗刺スルノ言ナシ、其和氣藹然掬スルニ餘アリ、且徒ニ言語ノ末然ルニ非ス、三宿晝ヲ出、濡滯ノ議ヲ顧ミス、眞ニ國ヲ去リテ其名ヲ潔セズト云ヘシ、
新字:此章ニ於テ仁人ノ心ヲ知ルヘシ、燕ノ楽毅カ所謂古之君子交絶不出悪声、忠臣去国不潔其名ト云モ此義ナリ、孟子平生斉王ヲ諫争教戒スル者甚タ備レリ、而王曽テ是ヲ聴納セズ、故ニ孟子斉ヲ去ル也、常人ヲシテ是ニ処セシメハ、必ズ怒罵シテ斎王ノ非ヲ数へ、自己ノ名ヲ衒セン、而シテ孟子斉ヲ去ル事ヲ記スルコト、前後凢ソ五章、一言ノ怨怒ノ気ナク、斉王ヲ謗刺スルノ言ナシ、其和気藹然掬スルニ余アリ、且徒ニ言語ノ末然ルニ非ス、三宿昼ヲ出、濡滞ノ議ヲ顧ミス、真ニ国ヲ去リテ其名ヲ潔セズト云ヘシ、
書き下し
此の章に於て仁人の心を知るべし。燕の楽毅が所謂「古の君子は交はり絶ゆるも悪声を出さず、忠臣国を去るも其の名を潔くせず」と云ふも此の義なり。孟子平生斉王を諫争教戒する者甚だ備はれり、而るに王曾て是れを聴納せず、故に孟子斉を去るなり。常人をして是れに処せしめば、必ず怒罵して斉王の非を数へ、自己の名を衒はん。而して孟子斉を去る事を記すること、前後凡そ五章、一言の怨怒の気なく、斉王を謗刺するの言なし。其の和気藹然、掬するに余りあり。且つ徒に言語の末然るに非ず、三宿して昼を出で、濡滞の議を顧みず、真に国を去りて其の名を潔くせずと云ふべし。
現代語訳
この章で仁ある人の心を知ることができる。燕の楽毅のいわゆる「昔の君子は交わりを絶っても相手の悪口を言わず、忠臣は国を去っても自分の名を潔白に見せようとはしない」というのも、この意味である。孟子は日ごろ斉王を諫め教え戒めることをたいへん尽くしていたが、王は一度もそれを聞き入れなかった。だから孟子は斉を去ったのである。普通の人がこのような立場に置かれたら、必ず怒り罵って斉王の誤りを数え立て、自分の名を誇ろうとするだろう。ところが孟子が斉を去ったことを記すくだりは、前後およそ五章あるが、恨みや怒りの気配は一言もなく、斉王をそしる言葉もない。その和やかで穏やかな気は、手にすくえるほどあふれている。しかもただ言葉の上だけでそうなのではない。三晩泊まってからようやく昼の町を出て、ぐずぐずしていると言われても顧みなかった。まことに、国を去っても自分の名を潔白に見せようとしなかったと言うべきである。
解説
この章句が説くこと
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