学問のすゝめ / 十四編・世話の字の義・朋友に屡すれば疎ぜらるる
古人の教えに「朋友に屡すれば疎ぜらるる」とあり。そのわけは、「わが忠告をも用いざる朋友に向かいて余計なる深切を尽くし、その気前をも知らずして厚かましく意見をすれば、ついにはかえってあいそつかしとなりて、先の人に嫌われ、あるいは怨まれ、あるいは馬鹿にせられて、事実に益なきゆえ、大概に見計ろうてこちらから寄りつかぬようにすべし」との趣意なり。この趣意もすなわち指図の世話の行き届かぬところには保護の世話をなすべからずということなり。
書き下し
古人の教えに「朋友に屡すれば疎ぜらるる」とあり。そのわけは、「わが忠告をも用いざる朋友に向かいて余計なる深切を尽くし、その気前をも知らずして厚かましく意見をすれば、ついにはかえってあいそつかしとなりて、先の人に嫌われ、あるいは怨まれ、あるいは馬鹿にせられて、事実に益なきゆえ、大概に見計ろうてこちらから寄りつかぬようにすべし」との趣意なり。この趣意もすなわち指図の世話の行き届かぬところには保護の世話をなすべからずということなり。
現代語訳
古人の教えに、友人にしばしば忠告すれば疎んじられる、とあります。そのわけは、自分の忠告を用いない友人に向かって余計な親切を尽くし、その気持ちも知らずに厚かましく意見をすれば、ついにはかえって愛想を尽かされ、相手に嫌われ、あるいは怨まれ、あるいは馬鹿にされて、実際には益がないのだから、ほどほどに見計らってこちらから寄りつかないようにすべきだ、という趣旨です。この趣旨もすなわち、指図の世話が行き届かないところには保護の世話をしてはならない、ということです。
解説
論語の一句が、この編の原則で読み直されます。忠告を繰り返せば疎んじられる、という教えの理由が、範囲の不一致として説明されるのです。指図が受け入れられない相手に保護だけ差し出すのは釣り合いを欠く、と。引き際の作法として読まれてきた言葉に、なぜそうなのかという理屈が与えられており、古典を道具として使う姿勢がここにも出ています。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
忠告引き際範囲論語解釈
関連する章句
-
論語・顔淵篇子貢、友を問う。子曰く、「忠告して善く之を道き、不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること毋かれ。」
-
『宋名臣言行録』前集巻十・魏野處士魏野、字は仲先。東郊に居る。草堂を架す。水竹の勝有り。琴を彈じ詩を作るを好む。清苦にして時に聞こゆること多し。上、汾隂を祀る。之を召す。疾を辭して至らず。詩を以て王文正公に贄して曰く、從前の輔相は皆な頻りに出づ。獨り中書に在ること十五秋。泰嶽・汾隂、俱に禮畢わる。這迴、好し赤松に伴いて遊べと。公、之を覽て喜び、色に形る。酒茗・藥物を以て荅と爲す。旦、詩を得て感悟し、疾を以て屢々政柄を辭す。遂に太尉・玉清昭應宫使を拜す。野、冦準に謂いて曰く、古より功名蓋世にして全きこと有るは少なしと。因りて詩を與えて曰く、好し去りて天に上りて將相を辭し、歸り來りて平地に神仙と作れと。貶せらるるに及び、始めて野の言を用いざるを悔ゆ。野の子閑も亦た仕えず。嘉祐中、清逸處士の號を賜う。
-
『武士訓』卷四・第8段わがあしき事をつぐる人あらば。拜してよろこぶべし。太公曰。女無明鏡。不知面精粗。士無良友。不知行歩虧踰とあるがごとし。およそ一箇のおくりものを得てだに。よろこんでむくひんことをおもふ。いはむや身をおさむるのたよりとなれることをや。其あやまちをきくことをいはば。身をほろぼすの大敵うちに有とわきまふべし。
-
『呻吟語』内篇・應務・忠告して善く之を道く今子弟の父兄の責を受くるや、尚ほ堪へざる所有り。而るに況んや他人をや。孔子曰く、「忠告して善く之を道き、不可なれば則ち止む」と。此の語は交はりを全うするに止まらず、亦た以て氣を養ふ可し。
-
『呻吟語』内篇・修身・我を攻むるの益に感ず我が過ちを攻むる者は、未だ必ずしも皆な過ち無きの人ならざるなり。苟しくも過ち無きの人の我を攻むるを求めば、則ち終身過ちを聞くを得ざらん。我は當に其の我を攻むるの益に感ずるのみ。彼に過ち有るか過ち無きか、何ぞ計るに暇あらんや。
-
『斉家論』上然れども推し出だし儒者とはいはれまじ。又世間に沙汰なき人にも出会うて見れば、経書はいふに及ばず、詩作文章達者なる能き学者あり。又儒者ならねども、少し心がけある人には、汝ぐらゐの学者は町並にも有るべし。其の中にて無縁の講釈すると、口広き事はいはれまじ。夫をもかまはず書付を出だされなば、聴く者もあるべけれど、一度聞きては、素読同前の講釈なりといひ、又口の悪しき者は、あの学問にて講釈するは、笑ふにたらずと譏るべし。たとひ十日廿日入れかはり聴衆ありとも、つづくまじ。其の時に至り、しまはんよりは、今七八年も学問し出でられなば、本望もとげ、恥を受くることも少なからんといはれし人も、過ぎ去りむかしがたりになりぬ。或人のいへるごとく、