講孟余話 / 公孫丑下 第二章
有所不召之臣、此事余千万国家ノ爲メニ願望スル所ナリ、成湯桓公ノ後、漢ノ照烈ノ諸葛亮ニ於ル、唐ノ肅宗ノ李泌ニ於ル、亦皆相似タリ、故ニ善ク三分ノ大業ヲ興シ、中興ノ偉績ヲ成スコト彼カ如シ、今ヤ国步艱難何ソ独リ茲ニ及ハサルヤ、其地醜德齊、莫能相尙、亦何ソ怪マン、儒臣経筵ニ侍シ、此等ノ章ヲ講スル果シテ何ノ說ヲカナス、宰執此等ノ講ヲ聞ク、又果シテ何ノ面ヲカナスヤ
新字:有所不召之臣、此事余千万国家ノ為メニ願望スル所ナリ、成湯桓公ノ後、漢ノ照烈ノ諸葛亮ニ於ル、唐ノ粛宗ノ李泌ニ於ル、亦皆相似タリ、故ニ善ク三分ノ大業ヲ興シ、中興ノ偉績ヲ成スコト彼カ如シ、今ヤ国歩艱難何ソ独リ茲ニ及ハサルヤ、其地醜徳斉、莫能相尚、亦何ソ怪マン、儒臣経筵ニ侍シ、此等ノ章ヲ講スル果シテ何ノ説ヲカナス、宰執此等ノ講ヲ聞ク、又果シテ何ノ面ヲカナスヤ
書き下し
「召さざる所の臣あり」。此の事余千万国家の為めに願望する所なり。成湯・桓公の後、漢の昭烈の諸葛亮に於ける、唐の粛宗の李泌に於ける、亦皆相似たり。故に善く三分の大業を興し、中興の偉績を成すこと彼が如し。今や国歩艱難、何ぞ独り茲に及ばざるや。「其の地醜しく徳斉しく、能く相尚ぶことなし」、亦何ぞ怪しまん。儒臣経筵に侍し、此等の章を講ずる、果して何の説をかなす。宰執此等の講を聞く、又果して何の面をかなすや。
現代語訳
「呼びつけたりしない臣下がいる」。このことは、私が国家のために心から願うところである。殷の湯王や斉の桓公の後では、蜀漢の昭烈帝(劉備)が諸葛亮に対したやり方、唐の粛宗が李泌に対したやり方も、みなこれによく似ている。だから三国の一つを興す大業や、唐の中興の偉業を、あのように成し遂げることができたのである。いま国の歩みは困難の中にあるのに、どうしてここに及ぶ者がいないのか。「国の大きさも徳も同じくらいで、互いに抜きん出ることができない」というのも、何の不思議があろうか。儒者が殿様の御前講義に侍ってこのような章を講じるとき、いったいどんな説明をしているのか。家老たちはこのような講義を聞いて、いったいどんな顔をしているのか。
解説
この章句が説くこと
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
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尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
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