講孟余話 / 公孫丑下 第二章
鄉黨莫如歯、三尊ハ天下ニ通達シタルコトナレハ、是ヲ達尊ト云、今萩中ノ風ヲ観察スルニ、爵ノ尊キヲ知テ德ノ尊キヲ知ラズ、德ノ尊ヲ知テ歯ノ尊キヲ知ラズ、憂ヘキノ甚シキナリ、田舍ニハ稍質実ノ古風モ存シ、歯ヲ尊フノ風アレトモ、萩中ノ風ハ大抵才ニ伐リ、能ニ矜リ、老輩長者ヲ凌忽輕蔑スルコト甚シ、是レ人々ノ学フ所、功利ノ末ニ流レ、仁義ノ本ヲ務メサルヨリ起ルコトナリ、余曾テ水府熊府ノ士人ト好テ交ルニ、其風頗ル歯ヲ尊フノ意ヲ存シ、大ニ萩中浮薄ノ風ト異ル者アルヲ覚フ、余至愚タリト雖、誓テ古道ヲ身ニ行ハント欲ス、是等実ニ至要至急ノ事ナリ、何ソ徒ニ水府熊府ヲ羨ムコトヲセンヤ、若夫德ヲ尊ヒ爵ヲ尊フニ至テハ、今ノ風固ヨリ善至リ、美盡ストセズト雖トモ、歯ヲ尊フノ念、誠心ニ發セハ、豈更ニ他道アランヤ、
新字:郷党莫如歯、三尊ハ天下ニ通達シタルコトナレハ、是ヲ達尊ト云、今萩中ノ風ヲ観察スルニ、爵ノ尊キヲ知テ徳ノ尊キヲ知ラズ、徳ノ尊ヲ知テ歯ノ尊キヲ知ラズ、憂ヘキノ甚シキナリ、田舎ニハ稍質実ノ古風モ存シ、歯ヲ尊フノ風アレトモ、萩中ノ風ハ大抵才ニ伐リ、能ニ矜リ、老輩長者ヲ凌忽軽蔑スルコト甚シ、是レ人々ノ学フ所、功利ノ末ニ流レ、仁義ノ本ヲ務メサルヨリ起ルコトナリ、余曽テ水府熊府ノ士人ト好テ交ルニ、其風頗ル歯ヲ尊フノ意ヲ存シ、大ニ萩中浮薄ノ風ト異ル者アルヲ覚フ、余至愚タリト雖、誓テ古道ヲ身ニ行ハント欲ス、是等実ニ至要至急ノ事ナリ、何ソ徒ニ水府熊府ヲ羨ムコトヲセンヤ、若夫徳ヲ尊ヒ爵ヲ尊フニ至テハ、今ノ風固ヨリ善至リ、美尽ストセズト雖トモ、歯ヲ尊フノ念、誠心ニ発セハ、豈更ニ他道アランヤ、
書き下し
「郷党は歯に如くは莫し」。三尊は天下に通達したることなれば、是れを達尊と云ふ。今萩中の風を観察するに、爵の尊きを知りて徳の尊きを知らず、徳の尊きを知りて歯の尊きを知らず、憂ふべきの甚しきなり。田舎には稍々質実の古風も存し、歯を尊ぶの風あれども、萩中の風は大抵才に伐り、能に矜り、老輩長者を凌忽軽蔑すること甚し。是れ人々の学ぶ所、功利の末に流れ、仁義の本を務めざるより起ることなり。余曾て水府・熊府の士人と好んで交るに、其の風頗る歯を尊ぶの意を存し、大いに萩中浮薄の風と異なる者あるを覚ゆ。余至愚たりと雖も、誓ひて古道を身に行はんと欲す。是等実に至要至急の事なり。何ぞ徒に水府・熊府を羨むことをせんや。若し夫れ徳を尊び爵を尊ぶに至りては、今の風固より善至り美尽くすとせずと雖も、歯を尊ぶの念、誠心に発せば、豈に更に他道あらんや。
現代語訳
「郷里では年齢に勝るものはない」。爵位・年齢・徳の三つの尊さは天下に通じたものなので、これを達尊という。いま萩の城下の風俗を見ると、爵位の尊さは知っていても徳の尊さを知らず、徳の尊さを知っていても年齢の尊さを知らない。たいへん憂うべきことである。田舎にはまだいくらか素朴な古い風も残り、年長者を敬う気風があるが、萩の城下の風は、たいてい才能を誇り、能力をひけらかして、年寄りや目上の人をひどく侮り軽んじている。これは人々の学ぶところが功利の末に流れ、仁義という根本に努めないことから起こるのである。私はかつて水戸や熊本の武士と好んで交わったが、その気風には年長者を敬う心が大いに残っていて、萩の浮ついた風とは大きく違うと感じた。私はこの上なく愚かではあるが、誓って古の道をわが身に行いたいと思う。これらは実にもっとも肝要で急ぐべきことである。どうしてむなしく水戸や熊本をうらやむだけでいられようか。徳を尊び爵位を尊ぶことについては、いまの風がもとより十分に善く美しいとは言えないにしても、年長者を敬う思いが真心から出てくるならば、ほかに道があろうか。
解説
この章句が説くこと
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史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
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史記 魏公子列伝魏に隠士有り、侯嬴と曰ふ、年七十、家貧しく、大梁の夷門の監者為り。公子これを聞き、往きて請ひ、厚くこれに遺らんと欲す。受くるを肯んぜずして曰く、「臣、身を脩め行ひを絜くすること数十年、終に監門の困しみの故を以て公子の財を受けず」と。公子是に於いて乃ち酒を置きて大いに賓客を会す。坐定まり、公子車騎を従へ、左を虚しくして、自ら夷門の侯生を迎ふ。侯生、敝れたる衣冠を摂め、直ちに上りて公子の上坐に載り、譲らず、以て公子を観んと欲す。公子轡を執ること愈々恭し。侯生また公子に謂ひて曰く、「臣に客の市の屠中に在る有り、願はくは車騎を枉げてこれに過れ」と。公子車を引きて市に入る。侯生下りてその客朱亥に見え、俾倪して故らに久しく立ち、その客と語り、微かに公子を察す。公子の顔色愈々和らぐ。是の時に当たり、魏の将相・宗室・賓客堂に満ち、公子の酒を挙ぐるを待つ。市人皆公子の轡を執るを観る。従騎皆竊かに侯生を罵る。侯生、公子の色の終に変ぜざるを視て、乃ち客に謝して車に就く。家に至り、公子、侯生を引きて上坐に坐せしめ、遍く賓客に賛す、賓客皆驚く。酒酣にして、公子起ち、寿を侯生の前に為す。侯生因りて公子に謂ひて曰く、「今日、嬴の公子の為にするもまた足れり。嬴は乃ち夷門の抱関者なり、而るに公子親ら車騎を枉げ、自ら嬴を衆人広坐の中に迎ふ、宜しく過る所有るべからざるに、今公子故らにこれに過る。然れども嬴は公子の名を就さんと欲す、故に久しく公子の車騎を市中に立たしめ、客に過りて以て公子を観る、公子愈々恭し。市人皆嬴を以て小人と為し、而して公子を以て長者にして能く士に下ると為すなり」と。是に於いて酒を罷め、侯生遂に上客と為る。
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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