講孟余話 / 公孫丑上 第七章
仁天之尊爵也、人之安宅也、尊爵安宅ハ正ニ人役ト相反ス、何ヲカ尊爵ト云、人本心ヲ存シ、人道ニ於テ失フ所ナケレハ、假令一時ニ屈抑セラルヽトモ、万世ニ発揚スベシ、俗輩ニ凌侮セラルヽトモ、知道者ニハ尊崇セラルベシ、知道者ノ尊崇ハ万世ニ発揚スルニ足ル、固ヨリ俗輩ノ凌侮一時ノ屈抑ノ比スヘキナランヤ、故ニ是ヲ尊爵ト云、何ヲカ安宅ト云、凡ソ人ノ居ル所金城湯池ト雖トモ、彫牆画屋ト雖トモ、是ニ居ルニ德ヲ以テセサレハ、衆怒並起リ、群怨日ニ盛ニシテ、一日モ其居ヲ安スルコト能ハズ、且一時ノ機ニ乘シ、富貴尊栄ヲ得ルト雖トモ、中心自ラ愧自ラ愁ヒ安ンセサルノ甚シキ、將タ何トカイワン、苟モ仁ニ於テ得ルコトアラハ、貧富苦樂死生得喪、往トシテ安ンシ且樂マサルコトナシ、若然ラサレハ、貧苦死喪固ヨリ哀シムへクシテ、富樂生得亦樂ムコトヲ得ズ、營々汲々人ノ役トナルノミ、故ニ世人ノ所謂尊爵ハ眞ノ尊爵ニ非ズシテ、安宅ハ眞ノ安宅ニ非ス、且眞ノ尊爵安宅ハ、人々固有スル所、得ント欲スレハ即チ得、世人ノ尊爵安宅ノ求メ難キカ如キニ非ズ、何ヲ苦ンテ久シク人ノ役トナルヤ、思ハザルノ甚シキナリ
新字:仁天之尊爵也、人之安宅也、尊爵安宅ハ正ニ人役ト相反ス、何ヲカ尊爵ト云、人本心ヲ存シ、人道ニ於テ失フ所ナケレハ、仮令一時ニ屈抑セラルヽトモ、万世ニ発揚スベシ、俗輩ニ凌侮セラルヽトモ、知道者ニハ尊崇セラルベシ、知道者ノ尊崇ハ万世ニ発揚スルニ足ル、固ヨリ俗輩ノ凌侮一時ノ屈抑ノ比スヘキナランヤ、故ニ是ヲ尊爵ト云、何ヲカ安宅ト云、凡ソ人ノ居ル所金城湯池ト雖トモ、彫牆画屋ト雖トモ、是ニ居ルニ徳ヲ以テセサレハ、衆怒並起リ、群怨日ニ盛ニシテ、一日モ其居ヲ安スルコト能ハズ、且一時ノ機ニ乗シ、富貴尊栄ヲ得ルト雖トモ、中心自ラ愧自ラ愁ヒ安ンセサルノ甚シキ、将タ何トカイワン、苟モ仁ニ於テ得ルコトアラハ、貧富苦楽死生得喪、往トシテ安ンシ且楽マサルコトナシ、若然ラサレハ、貧苦死喪固ヨリ哀シムへクシテ、富楽生得亦楽ムコトヲ得ズ、営々汲々人ノ役トナルノミ、故ニ世人ノ所謂尊爵ハ真ノ尊爵ニ非ズシテ、安宅ハ真ノ安宅ニ非ス、且真ノ尊爵安宅ハ、人々固有スル所、得ント欲スレハ即チ得、世人ノ尊爵安宅ノ求メ難キカ如キニ非ズ、何ヲ苦ンテ久シク人ノ役トナルヤ、思ハザルノ甚シキナリ
書き下し
「仁は天の尊爵なり、人の安宅なり」。尊爵・安宅は正に人役と相反す。何をか尊爵と云ふ。人本心を存し、人道に於て失ふ所なければ、仮令一時に屈抑せらるるとも、万世に発揚すべし。俗輩に凌侮せらるるとも、道を知る者には尊崇せらるべし。道を知る者の尊崇は万世に発揚するに足る、固より俗輩の凌侮・一時の屈抑の比すべきならんや。故に是れを尊爵と云ふ。何をか安宅と云ふ。凡そ人の居る所、金城湯池と雖も、彫牆画屋と雖も、是れに居るに徳を以てせざれば、衆怒並び起り、群怨日に盛んにして、一日も其の居を安んずること能はず。且つ一時の機に乗じ、富貴尊栄を得ると雖も、中心自ら愧ぢ自ら愁ひ安んぜざるの甚しき、将た何とか言はん。苟も仁に於て得ることあらば、貧富・苦楽・死生・得喪、往くとして安んじ且つ楽しまざることなし。若し然らざれば、貧苦・死喪固より哀しむべくして、富楽・生得亦楽しむことを得ず、営々汲々人の役となるのみ。故に世人の所謂尊爵は真の尊爵に非ずして、安宅は真の安宅に非ず。且つ真の尊爵・安宅は、人々固有する所、得んと欲すれば即ち得、世人の尊爵・安宅の求め難きが如きに非ず。何を苦しんで久しく人の役となるや、思はざるの甚しきなり。
現代語訳
「仁は天が与えた尊い爵位であり、人の安らかな住まいである」。尊い爵位と安らかな住まいは、まさに人に使われる身とは正反対のものである。何を尊い爵位と言うのか。人が本心を保ち、人の道において失うところがなければ、たとえ一時は押さえつけられても、永く後の世にまで輝くだろう。俗な連中に侮られても、道を知る人からは尊ばれるだろう。道を知る人から尊ばれれば、永く後世にまで輝くに足りる。俗人の侮りや一時の屈辱などとは比べものにならない。だからこれを尊い爵位と言う。何を安らかな住まいと言うのか。およそ人の住むところが、堅固な城と熱湯の堀であっても、彫刻した垣と絵を描いた家であっても、そこに徳をもって住むのでなければ、人々の怒りが次々に起こり、恨みが日に日に盛んになって、一日もその住まいに安んじることはできない。また一時の好機に乗じて富や地位や栄誉を得ても、心の中で自ら恥じ、自ら憂えて、まるで落ち着かない。これを何と言えばよいのか。もし仁において得るところがあれば、貧しくても富んでも、苦しくても楽しくても、生きるにも死ぬにも、得ても失っても、どこにいても安らかで楽しくないことはない。もしそうでなければ、貧苦や死別がもとより悲しいのはもちろん、富や楽しみや生や得るものさえ楽しむことができず、あくせくと人に使われる者になるだけである。だから世間でいう尊い爵位は真の尊い爵位ではなく、安らかな住まいも真の安らかな住まいではない。しかも真の尊い爵位と安らかな住まいは、人がもとから持っているもので、得ようと思えばすぐに得られる。世間の人が求める爵位や住まいのように手に入れにくいものではない。何を苦しんでいつまでも人に使われる身でいるのか。考えないことのはなはだしいものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
-
論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
-
論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
-
論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
-
論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
-
論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る