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講孟余話 / 公孫丑上 第四章

禍福無不自己求之者、此語甚タ妙、禍福ノ二字皆示ニ從フ、凢ソ示ニ從フ字ハ、神祇祥禎ノ類、皆天道鬼神ニカヽル字ナリ、故ニ禍福ト云ハ、世俗ニ所謂天罰ノ中ル神罸ヲ蒙ルト云ヒ、又神ノ惠ヲ受ル天福ヲ承ト云類ナリ、古今共ニ愚昧ノ人情ハ同シ事ニテ、兎角天ヤ神ヤノ禍福ヲ降ス如ク思フ故ニ、孟子特ニ云ク、禍福天ヨリ降ルニ非ス神ヨリ出ルニ非ス、己ヨリ求メサル者ナシトナリ、此理ヲ知リテ初テ共ニ道ニ入ルベシ、此理ヲ知ラサル者ハ天地鬼神ニノミ諂ヒ諛ヒテ、己ノ行ハ修メズ、是ヲ福ヲ辞シテ禍ヲ求ムルト云、小人ノ行フ所皆然リ、憐ムヘキノミ

新字:禍福無不自己求之者、此語甚タ妙、禍福ノ二字皆示ニ従フ、凢ソ示ニ従フ字ハ、神祇祥禎ノ類、皆天道鬼神ニカヽル字ナリ、故ニ禍福ト云ハ、世俗ニ所謂天罰ノ中ル神罰ヲ蒙ルト云ヒ、又神ノ恵ヲ受ル天福ヲ承ト云類ナリ、古今共ニ愚昧ノ人情ハ同シ事ニテ、兎角天ヤ神ヤノ禍福ヲ降ス如ク思フ故ニ、孟子特ニ云ク、禍福天ヨリ降ルニ非ス神ヨリ出ルニ非ス、己ヨリ求メサル者ナシトナリ、此理ヲ知リテ初テ共ニ道ニ入ルベシ、此理ヲ知ラサル者ハ天地鬼神ニノミ諂ヒ諛ヒテ、己ノ行ハ修メズ、是ヲ福ヲ辞シテ禍ヲ求ムルト云、小人ノ行フ所皆然リ、憐ムヘキノミ

書き下し

「禍福は己より之れを求めざる者なし」。此の語甚だ妙なり。禍福の二字皆示に従ふ。凡そ示に従ふ字は、神祇祥禎の類、皆天道鬼神にかかる字なり。故に禍福と云ふは、世俗に所謂天罰の中る、神罰を蒙ると云ひ、又神の恵を受くる、天福を承くると云ふ類なり。古今共に愚昧の人情は同じ事にて、兎角天や神やの禍福を降す如く思ふ故に、孟子特に云ふ、禍福は天より降るに非ず、神より出づるに非ず、己より求めざる者なしとなり。此の理を知りて初めて共に道に入るべし。此の理を知らざる者は天地鬼神にのみ諂ひ諛ひて、己の行は修めず。是れを福を辞して禍を求むと云ふ。小人の行ふ所皆然り、憐むべきのみ。

現代語訳

「禍いも幸いも、自分から求めないものはない」。この言葉はたいへん巧みである。「禍」と「福」の二字は、どちらも示へんである。およそ示へんの字は、神祇・祥・禎などの類で、みな天の道や鬼神にかかわる字である。だから禍福と言えば、世間でいう「天罰が当たる」「神罰をこうむる」、また「神の恵みを受ける」「天の福を授かる」といった類のことである。昔も今も愚かな人の心は同じで、とかく天や神が禍福を下すかのように思っている。だから孟子はとくに、禍福は天から降ってくるのでも神から出てくるのでもなく、すべて自分から求めたものだと言ったのである。この道理を知って、はじめて共に道に入ることができる。この道理を知らない者は、天地の神々にこびへつらうばかりで、自分の行いを修めない。これを、福を断って禍を求めると言う。つまらない人間のすることはみなそうであり、哀れむべきことである。

解説

孟子はこの章で『詩経』『書経』を引き、「禍福は己より之を求めざる者なし」と結びます。松陰は、禍・福がともに示へん、つまり神事にかかわる字であることに目をとめ、人はとかく幸不幸を天や神のせいにするが、孟子はそれを退けたのだと説きます。神仏に頼る心そのものを笑うのではなく、自分の行いを修めずに祈るだけでは、福を断って禍を求めるのと同じだ、という指摘です。結果を外のせいにせず、自分の側から変えられることに目を向けよという、松陰の一貫した考え方が表れています。

この章句が説くこと

禍福自責修身主体性天命

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