講孟余話 / 公孫丑上 第四章
此章両ノ及是時ノ語ヲ下ス、朱註並ニ惟日不足之意ト云、最妙味フベシ、今ヤ東墨西歐駸々來リ逼ル、官皆枉テ其意ニ適從ス、輿地圖ヲ披テ是ヲ檢スルニ、蝦夷ノクシュンコタン旣ニ魯人ノ城壘ヲ築ク、松前ノ箱舘伊豆ノ下田已ニ墨人ノ互市塲トナル、肥前ノ長崎暗拂ノ來航頻々ナリ、其他武藏ノ神奈川、志摩ノ鳥羽、攝津ノ難波等、夷人已ニ去ルト雖トモ、腥膻ノ氣汗染シテ未タ去ラズ、然ラハ則神州ノ其汗ヲ受ケサル者幾許ソヤ、事已ニ茲ニ至ル、間暇又幾時ソヤ、幸ニ今数年ノ災ヲ紓フ、実ハ不治ノ病ヲ護ス、是時ニ乘シ惟日モ足ラズトシテ、日夜刻苦勉勵、上ニ在テハ其政教ヲ修メ、士大夫ニ在テハ其学藝ヲ鍊リ、農工商賈ハ各其業ヲ勤メ、務メテ牖戶ヲ綢繆シ、下民ノ侮ヲ禦クベシ、然ルニ今ハ然ラズ、是時ニ乘シ惟日モ足ラズ日夜般樂怠敖スルコト何事ソヤ、古今同慨ナルカナ、
新字:此章両ノ及是時ノ語ヲ下ス、朱註並ニ惟日不足之意ト云、最妙味フベシ、今ヤ東墨西欧駸々来リ逼ル、官皆枉テ其意ニ適従ス、輿地図ヲ披テ是ヲ検スルニ、蝦夷ノクシュンコタン既ニ魯人ノ城塁ヲ築ク、松前ノ箱舘伊豆ノ下田已ニ墨人ノ互市塲トナル、肥前ノ長崎暗払ノ来航頻々ナリ、其他武蔵ノ神奈川、志摩ノ鳥羽、摂津ノ難波等、夷人已ニ去ルト雖トモ、腥膻ノ気汗染シテ未タ去ラズ、然ラハ則神州ノ其汗ヲ受ケサル者幾許ソヤ、事已ニ茲ニ至ル、間暇又幾時ソヤ、幸ニ今数年ノ災ヲ紓フ、実ハ不治ノ病ヲ護ス、是時ニ乗シ惟日モ足ラズトシテ、日夜刻苦勉励、上ニ在テハ其政教ヲ修メ、士大夫ニ在テハ其学芸ヲ錬リ、農工商賈ハ各其業ヲ勤メ、務メテ牖戸ヲ綢繆シ、下民ノ侮ヲ禦クベシ、然ルニ今ハ然ラズ、是時ニ乗シ惟日モ足ラズ日夜般楽怠敖スルコト何事ソヤ、古今同慨ナルカナ、
書き下し
此の章両つの「是の時に及びて」の語を下す。朱註並びに「惟れ日も足らざるの意」と云ふ、最も妙なり、味はふべし。今や東墨西欧駸々として来り逼る、官皆枉げて其の意に適従す。輿地図を披きて是れを検するに、蝦夷のクシュンコタン既に魯人の城塁を築く。松前の箱館、伊豆の下田已に墨人の互市場となる。肥前の長崎、暗払の来航頻々なり。其の他武蔵の神奈川、志摩の鳥羽、摂津の難波等、夷人已に去ると雖も、腥膻の気汗染して未だ去らず。然らば則ち神州の其の汗を受けざる者幾許ぞや。事已に茲に至る、間暇又幾時ぞや。幸に今数年の災を紓ぶ、実は不治の病を護す。是の時に乗じ惟れ日も足らずとして、日夜刻苦勉励、上に在りては其の政教を修め、士大夫に在りては其の学芸を錬り、農工商賈は各々其の業を勤め、務めて牖戸を綢繆し、下民の侮を禦ぐべし。然るに今は然らず、是の時に乗じ惟れ日も足らず日夜般楽怠敖すること何事ぞや。古今同慨なるかな。
現代語訳
この章には「この時に及んで」という言葉が二度出てくる。朱子の注はどちらにも「一日の時間も足りないと思うほど励む意味」と言っている。まことに巧みな注で、よく味わうべきである。いま東のアメリカ、西のヨーロッパが、ひたひたと迫って来ている。役人はみな自分の考えを曲げて、彼らの意向に従っている。地図を開いて調べてみると、蝦夷のクシュンコタンにはすでにロシア人が城塁を築いている。松前の箱館、伊豆の下田はすでにアメリカ人の交易場となっている。肥前の長崎には、イギリス船やフランス船の来航がしきりである。そのほか武蔵の神奈川、志摩の鳥羽、摂津の難波などは、外国人はもう去ったとはいえ、生臭い気が染みついてまだ消えない。そうであれば、わが国でその汚れを受けていないところがどれほど残っているだろうか。事はもうここまで来ている。猶予はあとどれほどあるだろうか。幸いいまは数年間災いが先送りになっているが、実のところ治らない病を抱えてかばっているにすぎない。この時に乗じて、一日でも足りないと思って昼夜刻苦勉励し、上に立つ者は政治と教化を整え、武士は学問と武芸を鍛え、農工商はそれぞれの仕事に励み、つとめて窓や戸を固く繕い、外からの侮りを防がなければならない。ところがいまはそうではない。この時に乗じて、一日でも足りないとばかりに昼夜遊び楽しみ怠けているとは、何ということか。昔も今も同じ嘆きである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』成公七年 懼るるを知る七年春、吳郯を伐つ。郯成す。季文子曰く、「中國旅を振るはず、蠻夷入りて伐つ。而して之を或いは恤ふる莫し。弔ふ者無きなり夫。詩に曰く、『昊天に弔(いた)まれず、亂定まる靡し』と。其れ此の謂か。上に弔はざる有らば、其れ誰か亂を受けざらん。吾が亡ぶること日無からん」と。君子曰く、「懼るるを知ること是くの如くならば、斯に亡びず」と。鄭の子良成公に相として以て晉に如きて見え、且つ師を拜す。夏、曹の宣公來朝す。秋、楚の子重鄭を伐ち、氾に師す。諸侯鄭を救ふ。鄭の共仲・侯羽、楚の師に軍し、鄖公鍾儀を囚へて、諸を晉に獻ず。
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『春秋左氏伝』定公六年 乃ち今為すべし四月己丑、吳の大子終纍、楚の舟師を敗り、潘子臣・小惟子及び大夫七人を獲。楚國大いに惕れ、亡びんことを懼る。子期、又陵師を以て繁揚に敗る。令尹子西、喜びて曰く、「乃ち今為すべし」と。是に於いてか郢を鄀に遷して、其の政を改紀し、以て楚國を定む。周の儋翩、王子朝の徒を率ゐ、鄭人に因りて將に以て亂を周に作さんとす。鄭、是に於いてか馮・滑・胥靡・負黍・狐人・闕外を伐つ。六月、晉の閻沒、周を戍り、且つ胥靡に城く。
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『春秋左氏伝』哀公七年 猶ほ鐘声を聞く秋、邾を伐ち、范門に及ぶ。猶ほ鍾聲を聞く。大夫諫むるも、聽かず。茅成子、吳に告げんことを請ふ。許さずして曰く、「魯は柝を擊てば邾に聞こゆ。吳は二千里、三月ならずんば至らず。何ぞ我に及ばん。且つ國內豈に足らざらんや」と。成子、茅を以て叛く。師遂に邾に入り、其の公宮に處る。眾師晝に掠む。邾の眾は繹に保つ。師宵に掠む。邾子益を以て來り、亳社に獻じ、諸を負瑕に囚ふ。負瑕、故に繹有り。邾の茅夷鴻、束帛乘韋を以て、自ら救ひを吳に請ひて曰く、「魯は晉を弱しとして吳を遠しとし、其の眾を馮恃して君の盟に背き、君の執事を辟(さ)けて、以て我が小國を陵ぐ。邾は敢へて自ら愛むに非ず。君の威の立たざるを懼るるなり。君の威の立たざるは、小國の憂ひなり。若し夏に鄫衍に盟ひて、秋にして之に背き、求むるを成して違はずんば、四方の諸侯、其れ何を以てか君に事へん。且つ魯の賦は八百乘、君の貳なり。邾の賦は六百乘、君の私なり。私を以て貳に奉ずるは、唯だ君之を圖れ」と。吳子之に從ふ。宋人曹を圍む。鄭の桓子思曰く、「宋人曹を有たば、鄭の患ひなり。以て救はざるべからず」と。
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『韓非子』解老第二十人禍有れば則ち心畏恐し、心畏恐すれば則ち行い端直に...行い端直なれば則ち思慮熟し、思慮熟すれば則ち事理を得、事理を得れば則ち必ず功を成す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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