講孟余話 / 公孫丑上 第三章
此章王覇ノ辨ヲ論スルコト明ナリ、味フベシ、世人或ハ謂ラク、王ハ天子ノ事ニシテ覇ハ諸矦ノ事ナリト、而シテ孟子ノ論スル所ハ然ルニ非ズ、故ニ七十里ニテモ王ナリ、百里ニテモ王ナリ、是ヲ以テ推スニ賤民ト雖トモ王アリ覇アリ、夫富商大賈金銀財帛ノ力ヲ有シ、恩ヲ賣リ名ヲ要スル爲ニシテ窮民丐兒ヲ收養賑恤スルハ覇ナリ、又身貧困ナリト雖トモ、一箪ノ食、一瓢ノ飮ヲモ、分テ親戚故旧ト是ヲ共ニシ、或ハ仰事俯畜ノ餘資ヲ以テ貧乏ヲ惠救スル類ハ王ナリ、嗚呼世道ノ衰フル、天子諸矦ニ就テ覇者ヲ求ムルニ絕テ無シテ僅カニアリ、何ソ况王者ヲヤ、名教ノ敗ル、士農工賈ニ就テ覇者ヲ求ムルニ又僅ニアリテ多クアラズ、何ソ况ヤ王者ヲヤ、哀夫々々
新字:此章王覇ノ弁ヲ論スルコト明ナリ、味フベシ、世人或ハ謂ラク、王ハ天子ノ事ニシテ覇ハ諸矦ノ事ナリト、而シテ孟子ノ論スル所ハ然ルニ非ズ、故ニ七十里ニテモ王ナリ、百里ニテモ王ナリ、是ヲ以テ推スニ賤民ト雖トモ王アリ覇アリ、夫富商大賈金銀財帛ノ力ヲ有シ、恩ヲ売リ名ヲ要スル為ニシテ窮民丐児ヲ収養賑恤スルハ覇ナリ、又身貧困ナリト雖トモ、一箪ノ食、一瓢ノ飲ヲモ、分テ親戚故旧ト是ヲ共ニシ、或ハ仰事俯畜ノ余資ヲ以テ貧乏ヲ恵救スル類ハ王ナリ、嗚呼世道ノ衰フル、天子諸矦ニ就テ覇者ヲ求ムルニ絶テ無シテ僅カニアリ、何ソ況王者ヲヤ、名教ノ敗ル、士農工賈ニ就テ覇者ヲ求ムルニ又僅ニアリテ多クアラズ、何ソ況ヤ王者ヲヤ、哀夫々々
書き下し
此の章王覇の弁を論ずること明かなり、味はふべし。世人或は謂へらく、王は天子の事にして覇は諸侯の事なりと。而して孟子の論ずる所は然るに非ず。故に七十里にても王なり、百里にても王なり。是れを以て推すに賤民と雖も王あり覇あり。夫れ富商大賈金銀財帛の力を有し、恩を売り名を要むる為にして窮民丐児を収養賑恤するは覇なり。又身貧困なりと雖も、一箪の食、一瓢の飲をも、分ちて親戚故旧と是れを共にし、或は仰事俯畜の余資を以て貧乏を恵救する類は王なり。嗚呼世道の衰ふる、天子諸侯に就きて覇者を求むるに絶えて無くして僅かにあり、何ぞ況や王者をや。名教の敗るる、士農工賈に就きて覇者を求むるに又僅かにありて多くあらず、何ぞ況や王者をや。哀しいかな、哀しいかな。
現代語訳
この章は王道と覇道の区別をはっきり論じている。よく味わうべきである。世間には、王とは天子のことで、覇とは諸侯のことだと考える人がいる。しかし孟子の論はそうではない。だから七十里の小国でも王たりうるし、百里の国でも王たりうる。これを推し広めれば、身分の低い民にも王があり覇がある。金銀や財物の力を持つ豪商が、恩を売り名声を得るために、困窮した民や物乞いの子を養い施しをするのは覇である。一方、自分は貧しくても、わずかな食べ物や飲み物さえ親戚や古い友人と分け合い、あるいは親に仕え子を養ったあとの余りで貧しい人を助けるような類は王である。ああ、世の道が衰え、天子や諸侯のなかに覇者を探しても、ほとんどいないほどわずかである。まして王者などなおさらである。名分の教えが崩れ、士農工商のなかに覇者を探しても、これもわずかで多くはない。まして王者などなおさらである。悲しいことだ、悲しいことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』非攻下則ち夫の攻伐を好むの君、又た其の説を飾りて曰く、我れ金玉子女壤地を以て足らずと為すに非ざるなり。我れ義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來さんと欲するなり、と。子墨子曰く、今、若し能く義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來す者有らば、天下の服すること立ちどころに待つ可きなり。夫れ天下、攻伐に處ること久し。譬うるに猶お傅子の馬を為るが然り。
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『墨子』非命下是の故に子墨子曰く、今、天下の君子の文章を為り言談を出だすは、将に其の頰舌を勤勞し、其の唇呡を利せんとするに非ざるなり。中に實に将に其の國家邑里萬民の刑政を為さんと欲する者なり。今や王公大人の早く朝し晏く退き、獄を聴き政を治め、終朝、均しく分かちて敢えて怠倦せざる所以の者は、何ぞや。曰く、彼れ以為えらく强ければ必ず治まり、强からざれば必ず亂れ、强ければ必ず寕く、强からざれば必ず危うしと。故に敢えて怠倦せず。
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論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」
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司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
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