講孟余話 / 公孫丑上 首章
故家、遺俗、流風、善政、故家ハ註ニ云旧家ノ家也、遺俗ハ殘リタル風俗ナリ、流風ハ上ヨリ下々ヘ流レ下ル風ナリ、善政ハヨキ仕置也、三代聖人ノ世ハ、何レモ故家、遺俗、流風、善政ノ四ツノ者ハ必ズ有ルコトナレトモ、殷ノ政ハ特ニ質朴ヲ尙ヒ、文飾ヲ事トセズ、且湯王以來大甲・大戊・祖乙・盤庚・武丁ノ如ク、賢聖ノ君多ク出玉ヒタル故、別シテ四者盛ニシテ観ルヘキナリ、抑国ノ治安長久ナルハ、地廣キニモ在ラズ、民衆キニモ在ラズ、但頼ミトスヘキ者ハ此四者ニシクハナシ、然レハ政ヲ爲ス者茲ニ心ヲ用ヒスンハアルベカラズ、是ヲ知ラズシテ妄ニ祖宗ノ成法ヲ変シ、国家ノ美俗ヲ易ユル者ハ、国賊ト云ベシ、今吾輩至賤ト云トモ苟モ国ノ爲ニセンコトヲ思ハヽ、亦茲ニ心ヲ用ユベシ、我家先代ノ事ヲ考ヘ、又君家祖宗ノ業ヲ稽ヘ、次ハ大臣其他勳旧ノ家ノ傳記ヲ尋ネ、古來ノ制度風俗等ニ至ル迄悉ク考究シテ、湮沒ヲ著シ晦昧ヲ顯シ、務メテ古ヲ存スル如ク心掛ベシ、心ヲ用ルノ深ク、功ヲ積ムノ久シクシテ、遂ニ一大撰述ヲ成シ、遍ク世ニ傳ヘ、故家遺俗流風善政益々盛ニ益々明ナラシメハ、是亦国ノ爲ナリ、是学者最モ務ムヘキコト也、余常ニ茲ニ志アリ、而シテ未タ及フコト能ハズ、今此章ヲ読テ益々憤発ス、願クハ徐ニ諸君ト是ヲ謀ラン
新字:故家、遺俗、流風、善政、故家ハ註ニ云旧家ノ家也、遺俗ハ残リタル風俗ナリ、流風ハ上ヨリ下々ヘ流レ下ル風ナリ、善政ハヨキ仕置也、三代聖人ノ世ハ、何レモ故家、遺俗、流風、善政ノ四ツノ者ハ必ズ有ルコトナレトモ、殷ノ政ハ特ニ質朴ヲ尚ヒ、文飾ヲ事トセズ、且湯王以来大甲・大戊・祖乙・盤庚・武丁ノ如ク、賢聖ノ君多ク出玉ヒタル故、別シテ四者盛ニシテ観ルヘキナリ、抑国ノ治安長久ナルハ、地広キニモ在ラズ、民衆キニモ在ラズ、但頼ミトスヘキ者ハ此四者ニシクハナシ、然レハ政ヲ為ス者茲ニ心ヲ用ヒスンハアルベカラズ、是ヲ知ラズシテ妄ニ祖宗ノ成法ヲ変シ、国家ノ美俗ヲ易ユル者ハ、国賊ト云ベシ、今吾輩至賤ト云トモ苟モ国ノ為ニセンコトヲ思ハヽ、亦茲ニ心ヲ用ユベシ、我家先代ノ事ヲ考ヘ、又君家祖宗ノ業ヲ稽ヘ、次ハ大臣其他勲旧ノ家ノ伝記ヲ尋ネ、古来ノ制度風俗等ニ至ル迄悉ク考究シテ、湮没ヲ著シ晦昧ヲ顕シ、務メテ古ヲ存スル如ク心掛ベシ、心ヲ用ルノ深ク、功ヲ積ムノ久シクシテ、遂ニ一大撰述ヲ成シ、遍ク世ニ伝ヘ、故家遺俗流風善政益々盛ニ益々明ナラシメハ、是亦国ノ為ナリ、是学者最モ務ムヘキコト也、余常ニ茲ニ志アリ、而シテ未タ及フコト能ハズ、今此章ヲ読テ益々憤発ス、願クハ徐ニ諸君ト是ヲ謀ラン
書き下し
故家・遺俗・流風・善政。故家は註に云ふ旧家の家なり、遺俗は残りたる風俗なり、流風は上より下々へ流れ下る風なり、善政はよき仕置なり。三代聖人の世は、何れも故家・遺俗・流風・善政の四つの者は必ず有ることなれども、殷の政は特に質朴を尚び、文飾を事とせず、且つ湯王以来、太甲・太戊・祖乙・盤庚・武丁の如く、賢聖の君多く出で玉ひたる故、別して四者盛んにして観るべきなり。抑々国の治安長久なるは、地の広きにも在らず、民の衆きにも在らず、但だ頼みとすべき者は此の四者にしくはなし。然れば政を為す者、茲に心を用ひずんばあるべからず。是れを知らずして妄りに祖宗の成法を変じ、国家の美俗を易ふる者は国賊と云ふべし。今吾輩至賤と云へども、苟も国の為めにせんことを思はば、亦茲に心を用ふべし。我が家先代の事を考へ、又君家祖宗の業を稽へ、次は大臣其の他勲旧の家の伝記を尋ね、古来の制度風俗等に至る迄悉く考究して、湮没を著し晦昧を顕し、務めて古を存する如く心掛くべし。心を用ふるの深く、功を積むの久しくして、遂に一大撰述を成し、遍く世に伝へ、故家・遺俗・流風・善政益々盛んに益々明らかならしめば、是れ亦国の為めなり。是れ学者最も務むべきことなり。余常に茲に志あり、而して未だ及ぶこと能はず。今此の章を読みて益々憤発す。願はくは徐ろに諸君と是れを謀らん。
現代語訳
「旧家、遺された風俗、流れる気風、良い政治」。故家とは注に言う旧家のこと、遺俗とは残った風俗、流風とは上から下々へ流れ下る気風、善政とは良い仕置きのことである。夏・殷・周の三代の聖人の世には、どれも旧家・遺俗・流風・善政の四つが必ずあったが、殷の政治はとりわけ質朴を尊び、飾りを事としなかった。しかも湯王以来、太甲・太戊・祖乙・盤庚・武丁のように、賢く聖なる君主が多く出られたので、とりわけこの四つが盛んで見るべきものがある。そもそも国が長く安らかに治まるのは、土地が広いからでも、民が多いからでもない。頼みとすべきものは、この四つに及ぶものはない。だから政治をする者は、ここに心を用いなければならない。これを知らずにむやみに祖先の定めた法を変え、国の美しい風俗を改める者は、国賊と言うべきである。いま私たちはきわめて卑しい身分だが、もし国のためにしたいと思うなら、ここに心を用いるべきである。自分の家の先代のことを考え、また主家の祖先の事業を調べ、次には重臣やそのほか功労ある旧家の伝記をたずね、昔からの制度や風俗に至るまで残らず研究して、埋もれたものを明らかにし、はっきりしないものを顕し、努めて昔を保つように心がけるべきである。深く心を用い、長く努力を積んで、ついに一つの大きな書物を著し、広く世に伝え、旧家・遺俗・流風・善政をますます盛んに、ますます明らかにできれば、これもまた国のためである。これこそ学者が最も努めるべきことである。私は常々ここに志しているが、まだ及ぶことができない。いまこの章を読んで、いっそう奮い立った。願わくはゆっくりと諸君とこれを計画したい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『茶の本』第四章 茶室・洋式建築の無分別な模倣茶室はある個人的趣味に適するように建てらるべきだということは、芸術における最も重要な原理を実行することである。芸術が充分に味わわれるためには、その同時代の生活に合っていなければならぬ。それは後世の要求を無視せよというのではなくて、現在をなおいっそう楽しむことを努むべきだというのである。また過去の創作物を無視せよというのではなくて、それをわれらの自覚のなかに同化せよというのである。伝統や型式に屈従することは、建築に個性の表われるのを妨げるものである。現在日本に見るような洋式建築の無分別な模倣を見てはただ涙を注ぐほかはない。われわれは不思議に思う、最も進歩的な西洋諸国の間に、何ゆえに建築がかくも斬新を欠いているのか、かくも古くさい様式の反復に満ちているのかと。
-
『墨子』非儒下儒者曰く、「君子は必ず古を服し古を言い、然る後に仁なり」と。之に應じて曰く、所謂る古なる者は、皆な嘗て新しかりき。而して古人、之を服せば、則ち君子なり。然らば則ち必ず君子に非ざるの法を法とし、君子に非ざるの言を言いて、而る後に仁ならんや。
-
『墨子』節葬下今、厚葬久喪を執る者の言に曰く、厚葬久喪は不可以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からずと使むと雖も、然れども此れ聖王の道なり、と。子墨子曰く、然らず。昔者、堯、北のかた八狄に教え、道に死し、鞏山の隂に葬らる。衣衾は三領、榖木の棺、葛以て之を緘し、既にして後に哭し、埳を滿たして封無し。已に葬れば、牛馬、之に乗る。舜、西のかた七戎に教え、道に死し、南已の市に葬らる。衣衾は三領、榖木の棺、葛以て之を緘す。已に葬れば、市人、之に乗る。禹、東のかた九夷に教え、道に死し、㑹稽の山に葬らる。衣衾は三領、桐棺は三寸、葛以て之を緘し、之を絞りて合わせず、之を道びきて塪せず、土地の深さは、下は泉に及ぶ毋く、上は臭を通ずる毋し。既に葬れば、餘壤を其の上に收め、壟は參耕の畝の若くして、止まるを取るのみ。若し此の若の三聖王を以て之を觀れば、則ち厚葬久喪は果たして聖王の道に非ず。故に三王なる者は、皆な貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。豈に財用の足らざるを憂えんや。以為えらく此くの如きは葬埋の法なりと。
-
論語・子罕篇子曰く、麻冕は礼なり。今や純なるは倹なり。吾は衆に従わん。下に拝するは礼なり。今上に拝するは泰なり。衆に違うと雖も、吾は下に従わん。
-
『墨子』非命中今、夫れ有命者、言いて曰く、「我れ之を後世に作すに非ざるなり。昔三代より若き言有りて以て傳流せり」と。今、故に先王、之に對せんか。曰く、夫れ有命者は、昔の三代の聖善の人を志さざるか。意うに亡くば昔の三代の暴不肖の人か。何を以て之を知る。初めの列士・卿大夫は、言を慎み行を知り、此れ上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は其の君長の賞を得、下は其の百姓の譽を得。列士・卿大夫の聲聞、廢れず、傳流して今に至る。而して天下、皆な其の力なりと曰う。一
-
『茶の本』第四章 茶室・古人を憬慕し模倣は少なくたぶん今、芸術の民本主義の時代を経過しつつ、一方にある君主らしい支配者が出現して新たな王朝をおこすのを待っているのであろう。願わくは古人を憬慕することはいっそうせつに、かれらに模倣することはますます少なからんことを。ギリシャ国民の偉大であったのは、決して古物に求めなかったからであると伝えられている。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る