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講孟余話 / 梁惠王下 第十六章

吾之不遇魯侯天也、此一語是レ孟子自ラ決心シテ天ニ誓フ所ナリ、故ニ時ニ遇フモ遇ヌモ皆天ニ任ミズ顧ミズ、我ニ在テハ道ヲ明ニシ義ヲ正フシ、言ヘキヲ言、爲スヘキヲ爲スノミ、是ヲ以テ孔孟終身世ニ遇ズシテ、道路ニ老死スレトモ、是カ爲メニ少シモ愧ルコトナク倦ムコトナシ、今吾輩ノ幽囚ニ陷リテ孟子ヲ読ム、宜シク深ク此義ヲ知ルベシ、梁惠王通篇、仁政ヲ說ク、末第十三章第十四章第十五章ニ至テハ、皆己ノ彊ムヘキ分ヲ尽シ、成敗ハ天ニ任スルヲ云、末章ニ至テハ、孟子自ラ遇不遇ハ天ニ任セテ斯道ヲ明ニスルノ本志ヲ云、並ニ皆首章仁義ヲ先ニシテ利ヲ後ニスルノ論ニ照應スルナリ

新字:吾之不遇魯侯天也、此一語是レ孟子自ラ決心シテ天ニ誓フ所ナリ、故ニ時ニ遇フモ遇ヌモ皆天ニ任ミズ顧ミズ、我ニ在テハ道ヲ明ニシ義ヲ正フシ、言ヘキヲ言、為スヘキヲ為スノミ、是ヲ以テ孔孟終身世ニ遇ズシテ、道路ニ老死スレトモ、是カ為メニ少シモ愧ルコトナク倦ムコトナシ、今吾輩ノ幽囚ニ陥リテ孟子ヲ読ム、宜シク深ク此義ヲ知ルベシ、梁恵王通篇、仁政ヲ説ク、末第十三章第十四章第十五章ニ至テハ、皆己ノ彊ムヘキ分ヲ尽シ、成敗ハ天ニ任スルヲ云、末章ニ至テハ、孟子自ラ遇不遇ハ天ニ任セテ斯道ヲ明ニスルノ本志ヲ云、並ニ皆首章仁義ヲ先ニシテ利ヲ後ニスルノ論ニ照応スルナリ

書き下し

吾の魯侯に遇はざるは天なり。此の一語、是れ孟子自ら決心して天に誓ふ所なり。故に時に遇ふも遇はぬも皆天に任せて顧みず、我に在りては道を明らかにし義を正しうし、言ふべきを言ひ、為すべきを為すのみ。是れを以て孔孟終身世に遇はずして道路に老死すれども、是れが為めに少しも愧づることなく倦むことなし。今吾輩の幽囚に陥りて孟子を読む、宜しく深く此の義を知るべし。梁恵王通篇、仁政を説く。末第十三章・第十四章・第十五章に至りては、皆己の彊むべき分を尽くし、成敗は天に任するを云ふ。末章に至りては、孟子自ら遇不遇は天に任せて斯の道を明らかにするの本志を云ふ。並びに皆首章の仁義を先にして利を後にするの論に照応するなり。

現代語訳

「私が魯の君に会えなかったのは天命である」。この一言は、孟子が自ら決心して天に誓ったものである。だから時世に用いられるか用いられないかは、みな天に任せて気にかけず、自分の側では道を明らかにし、義を正しくし、言うべきことを言い、すべきことをするだけである。だから孔子も孟子も、生涯世に用いられず道ばたで老いて死んだが、そのことで少しも恥じることなく、うんざりすることもなかった。いま私たちは幽囚の身となって孟子を読んでいる。この意味を深く知るべきである。梁恵王篇は全体を通じて仁政を説く。終わりの第十三章・第十四章・第十五章は、どれも自分の努めるべき分を尽くし、成否は天に任せることを言う。最後の章は、孟子自身が、用いられるかどうかは天に任せ、この道を明らかにするという本来の志を述べる。そしてどれも、最初の章の、仁義を先にし利を後にするという議論に照応している。

解説

魯の平公が孟子に会おうとして側近に止められ、孟子が「吾の魯侯に遇はざるは天なり」と言った、梁恵王篇の最終章です。松陰はこの一句を、孟子が天に誓った決心の言葉と読みます。用いられるかどうかは天に任せ、自分は言うべきを言い為すべきを為すだけだ、だから孔孟は生涯不遇でも恥じず倦まなかったのだと説き、獄中の自分たちもこの意味を知るべきだと言います。最後に梁恵王篇全体を、仁義を先にし利を後にする首章に照応させてまとめています。報われなさに向き合う人を支える一節です。

この章句が説くこと

天命不遇本分志仁義

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