講孟余話 / 梁惠王下 第十五章
此章両說ヲ設クト云トモ、主意效死勿去ノ上ニアリ、第十三章ト同シ、但シ大王ノ一說人多ク了解セズ、蓋シ狄人ノ初テ來侵スヤ、大王ノ胸中已ニ定算アリ、謂ラク狄人ノ勢正ニ盛強ナリ、宜シク驕セテ後是ヲ制スベシ、故ニ皮幣犬馬珠玉ヲ以テ事ル至ラサル所ナシ、遂ニ土地ヲ擧テ是ニ與フルニ至ル、狄人ノ心益々驕ル、而シテ我民ノ心ハ愈々我カ仁心ニ服ス、是ヲ以テ去テ岐ニ往キ邑ヲナシ、終ニ周家大業ノ基ヲ開クコトヲ得ルナリ、是皆大王ノ定算ニシテ、彼ヲ審ニシ己ヲ審ニシ、宏量偉度ノ人ニ非サレハ及ヘキニ非ス、豈滕文輩ノ能ク與リ知ル所ナランヤ、然此大志ナクンハ、區々ノ小成敗ニ頓着シテ、遂ニ自ラ喪亡センノミ
新字:此章両説ヲ設クト云トモ、主意効死勿去ノ上ニアリ、第十三章ト同シ、但シ大王ノ一説人多ク了解セズ、蓋シ狄人ノ初テ来侵スヤ、大王ノ胸中已ニ定算アリ、謂ラク狄人ノ勢正ニ盛強ナリ、宜シク驕セテ後是ヲ制スベシ、故ニ皮幣犬馬珠玉ヲ以テ事ル至ラサル所ナシ、遂ニ土地ヲ挙テ是ニ与フルニ至ル、狄人ノ心益々驕ル、而シテ我民ノ心ハ愈々我カ仁心ニ服ス、是ヲ以テ去テ岐ニ往キ邑ヲナシ、終ニ周家大業ノ基ヲ開クコトヲ得ルナリ、是皆大王ノ定算ニシテ、彼ヲ審ニシ己ヲ審ニシ、宏量偉度ノ人ニ非サレハ及ヘキニ非ス、豈滕文輩ノ能ク与リ知ル所ナランヤ、然此大志ナクンハ、区々ノ小成敗ニ頓着シテ、遂ニ自ラ喪亡センノミ
書き下し
此の章両説を設くと云へども、主意は死を効して去ること勿れの上にあり、第十三章と同じ。但し大王の一説、人多く了解せず。蓋し狄人の初めて来侵するや、大王の胸中已に定算あり。謂へらく、狄人の勢正に盛強なり、宜しく驕らせて後是れを制すべしと。故に皮幣・犬馬・珠玉を以て事へ、至らざる所なし。遂に土地を挙げて是れに与ふるに至る。狄人の心益々驕る、而して我が民の心は愈々我が仁心に服す。是れを以て去りて岐に往き邑をなし、終に周家大業の基を開くことを得るなり。是れ皆大王の定算にして、彼を審らかにし己を審らかにし、宏量偉度の人に非ざれば及ぶべきに非ず、豈に滕文輩の能く与り知る所ならんや。然れども此の大志なくんば、区々の小成敗に頓着して、遂に自ら喪亡せんのみ。
現代語訳
この章は二つの説を示しているが、主眼は「命を懸けて守り、去ってはならない」の方にあり、第十三章と同じである。ただ、周の大王の説は多くの人が理解していない。思うに、狄人が初めて攻めてきたとき、大王の胸中にはすでに見通しがあった。狄人の勢いはまさに盛んで強い、おごらせてから制するのがよい、と考えたのである。だから皮や絹、犬や馬、珠玉を贈って仕え、尽くさないことはなかった。ついには土地まで丸ごと与えた。狄人の心はますますおごり、わが民の心はいよいよ大王の仁の心に服した。だから大王が去って岐山に行き町を作ると、民もついて行き、ついに周の大事業の基礎を開くことができたのである。これはみな大王の見通しで、相手をよく見極め、自分をよく見極めた、度量の大きな人でなければできない。滕の文公のような者が関われることではない。しかしこの大きな志がなければ、目先の小さな成功失敗にこだわって、ついには自ら滅びるだけである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下滕の文公、問いて曰く、「滕は、小國なり。力を竭くして以て大國に事うるも、則ち免るるを得ず。之を如何せば則ち可ならん。」孟子對えて曰く、「昔者、大王、邠に居る。狄人、之を侵す。之に事うるに皮幣を以てすれども、免るるを得ず。之に事うるに犬馬を以てすれども、免るるを得ず。之に事うるに珠玉を以てすれども、免るるを得ず。乃ち其の耆老を屬(あつめる)めて、之に告げて曰く、『狄人の欲する所の者は、吾が土地なり。吾、之を聞く。君子は人を養う所以の者を以て人を害せずと。二三子、何ぞ君無きを患えん。我將に之を去らんとす。』邠を去り、梁山を踰え,岐山の下に邑して居る。邠人曰く、『仁人なり、失う可からざるなり。』之に從う者、市に歸(おもむく)くが如し。或いは曰く、『世々の守りなり。身の能く為す所に非ざるなり。死を效すも去る勿れ。』君請う斯の二者を擇べ。」
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孟子・梁惠王章句下滕の文公問ひて曰く、「滕は小国なり、斉・楚に間す。斉に事へんか、楚に事へんか。」孟子対へて曰く、「是の謀は吾が能く及ぶ所に非ざるなり。已む無くんば、則ち一有り。斯の池を鑿ち、斯の城を築き、民と之を守り、死を効して民去らずんば、則ち是れ為す可きなり。」滕の文公問ひて曰く、「斉人将に薛に築かんとす。吾甚だ恐る。之を如何にせば則ち可ならん。」孟子対へて曰く、「昔者大王邠に居る。狄人之を侵す。去りて岐山の下に之きて居れり。択びて之を取るに非ず、已むを得ざるなり。苟も善を為さば、後世の子孫必ず王たる者有らん。君子は業を創め統を垂れ、継ぐ可きを為すなり。夫の成功の若きは、則ち天なり。君彼を如何せんや。強めて善を為さんのみ。」
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『講孟余話』梁惠王下 第十三章此の章の義熟味すべし。小国を以て両大国の間に挟まるる、是れ大難事なり。楚に事ふれば斉怒り、斉に事ふれば楚怒る、利しき所なし、是れ文公の問なり。孟子対ふ、是の謀は吾が能く及ぶ所に非ざるなりと。是れ徒に推諉の言を為すに非ず。此の事は実に文公の決心より出づるに非ざれば、他人の智慧を借りて行ふ様の事にて遂ぐべきに非ず。然れども聞かんと欲するの心親切にして已むことなきに至りては、亦以て一説を発すべし。斯の池を鑿ち、斯の城を築くとは、茫然手を拱いて備へざるに非ず、防禦の手段を尽くして、不意の伺ふべきなからしむるなり。民と之れを守るとは、上下一致し、君臣相親しみて高城深池を守るなり。死を効して民去らずとは、万一事敗れ城池も人に奪はるるに至らば、君民上下城を枕にして切腹と覚悟を究むることなり。果して是くの如くなれば、是れ為すべきなりとて、斉に事ふることも為すべし、楚に事ふることも為すべし、斉楚共に事へざることもなすべし。是に於て事ふるも事へざるも、其の権我が掌握にあるなり。兵家に籠城の大将心定を説きて、籠城致す上は、負けば必ず切腹と思ひ定むべしと云ふも亦此の義なり。
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呂氏春秋・審爲②太王亶父、邠に居りしとき、狄人、之を攻む。事うるに皮帛を以てすれども受けず、事うるに珠玉を以てすれども肯ぜず。狄人の求むる所の者は地なり。太王亶父曰く、「人の兄と居りて其の弟を殺し、人の父と處りて其の子を殺すは、吾為すに忍びざるなり。皆勉めて處れ。吾が臣為ると狄人の臣たると、奚を以て異ならん。且つ吾之を聞く、養う所以を以て養う所を害せず、と。」策を杖つきて去る、民相連りて之に從い、遂に國を岐山の下に成せり。太王亶父、能く生を尊べりと謂う可し。能く生を尊ぶものは、富貴と雖も養を以て身を傷わず。貧賤と雖も利を以て形を累わさず。今其の先人の爵祿を受くれば、則ち必ず之を失うことを重んず。生の自ら來たる所の者は久し、而るに之を失うことを輕んずるは、豈に惑わずや。
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荘子・譲王大王亶父(たいおうたんぽ)邠(ひん)に居る。狄人(てきじん)之を攻む。之に事(つか)うるに皮帛を以てするも受けず。之に事うるに犬馬を以てするも受けず。之に事うるに珠玉を以てするも受けず。狄人の求むる所の者は土地なり。大王亶父曰く、「人の兄と与に居りて其の弟を殺し、人の父と与に居りて其の子を殺すは、吾忍びざるなり。子皆な勉めて居れ。吾が臣たると狄人の臣たると、奚(なに)を以て異ならんや。且つ吾之を聞く、用うる所を以て養う所を害せずと」と。因りて杖策して之を去る。民相連なりて之に従い、遂に国を岐山の下に成す。夫れ大王亶父は能く生を尊ぶと謂うべし。能く生を尊ぶ者は、貴富なりと雖も養を以て身を傷(そこな)わず、貧賎なりと雖も利を以て形を累(わずら)わさず。今世の人、高官尊爵に居る者は、皆な之を失うを重(おも)んず。利を見て軽々しく其の身を亡ぼす。豈に惑わずや。
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孟子・梁惠王章句下齊の宣王問いて曰く、「鄰國に交わるに道有るか。」孟子對えて曰く、「有り。惟だ仁者のみ能く大を以て小に事うるを為す。是の故に湯は葛に事え、文王は昆夷に事えたり。惟だ智者のみ能く小を以て大に事うるを為す。故に大王は獯鬻(クン・イク)に事え、句踐は呉に事えたり。大を以て小に事うる者は、天を樂しむ者なり。小を以て大に事うる者は、天を畏るる者なり。天を樂しむ者は天下を保ち、天を畏るる者は其の國を保つ。詩に云う、『天の威を畏れ、時に于て之を保つ。』」王曰く、「大なるかな言や。寡人疾有り、寡人勇を好む。」對えて曰く、「王請う小勇を好むこと無かれ。夫れ劍を撫して疾視して曰く、『彼惡んぞ敢て我に當らんや』と。此れ匹夫の勇にして、一人に敵する者なり。王請う之を大にせよ。詩に云う、『王赫として斯に怒り、爰に其の旅を整え、以て莒に徂くを遏め、以て周の祜(さいわい)を篤くし、以て天下に對う。』此れ文王の勇なり。文王一たび怒りて、天下の民を安んぜり。書に曰く、『天、下民を降し、之が君を作り、之が師を作る。惟れ曰く、其の上帝を助けよ、と。之を四方に寵す。罪有るも罪無きも、惟だ我在り。天下曷ぞ敢て厥の志を越す有らんや。』一人、天下に衡行するは、武王之を恥づ。此れ武王の勇なり。而して武王も亦た一たび怒りて天下の民を安んず。今王も亦た一たび怒りて、天下の民を安んぜば、民惟だ王の勇を好まざるを恐るるなり。」
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