講孟余話 / 梁惠王下 第十四章
齊人將築薛、城ニ二樣アリ、城ヲ築テ人ヲ衞ル一ナリ、国々ノ本城ハ大抵然リ、城ヲ築テ地ヲ守ル二也、境目城ノ類是ナリ、薛ハ滕ト甚近シ、而シテ臨菑齊ノ都ヨリハ稍遠シ、故ニ薛取ルト雖トモ城ヲ築キ戍兵ヲ置カサレハ其地ヲ守ルコト能ハズ、故ニ齊人薛ニ築クハ境目城ノ類ニシテ、已ニ其地ヲ守リ足溜ヲ拵ヘ、漸々ニ滕ニ逼ントスルナリ、滕人豈恐サルコトヲ得ンヤ、抑下田箱舘ノ地、滕ノ薛ニ於ケル於ケルトト如何ソヤ、吾甚疑フ創業垂統、爲可継也、業ヲ創メ統ヲ垂ルヽニハ継ヘキ爲スト云フコト最モ心ヲ付ヘシ、當今藩国ヲ以テ云フニ、天朝ヲ尊ヒ幕府ヲ敬ヒ、祖法ニ則リ、多士ヲ養ヒ、萬民ヲ愛シ、賢才ヲ招キ武備ヲ修ムルノ類、皆継クヘキノ事ナリ、君如彼何哉、此言亦深思スベシ、兎角敵國ノ事ハ、我心ニ任セヌ事ナレハ、我ハ我ガ彊ムヘキ所ヲ彊ムルコト肝要ナリ、然ルニ敵ヲ弱カレト思ヒ衰ヘカシト思フハ、皆愚痴ノ甚シキナリ、吾盛ナレハ何ソ敵ノ盛ヲ恐レン、我強ナレハ何ソ敵ノ強ヲ畏レン、吾盛強ヲ勉メスシテ人ノ衰弱ヲ願フ、是今人ノ見ナリ、悲カナ、悲カナ
新字:斉人将築薛、城ニ二様アリ、城ヲ築テ人ヲ衛ル一ナリ、国々ノ本城ハ大抵然リ、城ヲ築テ地ヲ守ル二也、境目城ノ類是ナリ、薛ハ滕ト甚近シ、而シテ臨菑斉ノ都ヨリハ稍遠シ、故ニ薛取ルト雖トモ城ヲ築キ戍兵ヲ置カサレハ其地ヲ守ルコト能ハズ、故ニ斉人薛ニ築クハ境目城ノ類ニシテ、已ニ其地ヲ守リ足溜ヲ拵ヘ、漸々ニ滕ニ逼ントスルナリ、滕人豈恐サルコトヲ得ンヤ、抑下田箱舘ノ地、滕ノ薛ニ於ケル於ケルトト如何ソヤ、吾甚疑フ創業垂統、為可継也、業ヲ創メ統ヲ垂ルヽニハ継ヘキ為スト云フコト最モ心ヲ付ヘシ、当今藩国ヲ以テ云フニ、天朝ヲ尊ヒ幕府ヲ敬ヒ、祖法ニ則リ、多士ヲ養ヒ、万民ヲ愛シ、賢才ヲ招キ武備ヲ修ムルノ類、皆継クヘキノ事ナリ、君如彼何哉、此言亦深思スベシ、兎角敵国ノ事ハ、我心ニ任セヌ事ナレハ、我ハ我ガ彊ムヘキ所ヲ彊ムルコト肝要ナリ、然ルニ敵ヲ弱カレト思ヒ衰ヘカシト思フハ、皆愚痴ノ甚シキナリ、吾盛ナレハ何ソ敵ノ盛ヲ恐レン、我強ナレハ何ソ敵ノ強ヲ畏レン、吾盛強ヲ勉メスシテ人ノ衰弱ヲ願フ、是今人ノ見ナリ、悲カナ、悲カナ
書き下し
斉人将に薛に築かんとす。城に二様あり。城を築きて人を衛る、一なり、国々の本城は大抵然り。城を築きて地を守る、二なり、境目城の類是れなり。薛は滕と甚だ近し、而して臨淄斉の都よりは稍遠し。故に薛を取ると雖も、城を築き戍兵を置かざれば其の地を守ること能はず。故に斉人薛に築くは境目城の類にして、已に其の地を守り足溜を拵へ、漸々に滕に逼らんとするなり、滕人豈に恐れざることを得んや。抑々下田・箱館の地、滕の薛に於けると如何ぞや。吾甚だ疑ふ。業を創め統を垂るるは、継ぐべきを為すなり。業を創め統を垂るるには、継ぐべきを為すと云ふこと最も心を付くべし。当今藩国を以て云ふに、天朝を尊び幕府を敬ひ、祖法に則り、多士を養ひ、万民を愛し、賢才を招き武備を修むるの類、皆継ぐべきの事なり。君彼を如何せん、此の言亦深く思ふべし。兎角敵国の事は我が心に任せぬ事なれば、我は我が彊むべき所を彊むること肝要なり。然るに敵を弱かれと思ひ衰へかしと思ふは、皆愚痴の甚しきなり。吾盛んなれば何ぞ敵の盛んなるを恐れん、我強なれば何ぞ敵の強きを畏れん。吾盛強を勉めずして人の衰弱を願ふ、是れ今人の見なり。悲しいかな、悲しいかな。
現代語訳
「斉の人が薛に城を築こうとしている」。城には二種類ある。城を築いて人を守るのが一つで、各国の本城はたいていそうである。城を築いて土地を守るのが二つ目で、国境の城の類がそれである。薛は滕にたいへん近く、斉の都の臨淄からはやや遠い。だから薛を取っても、城を築いて守備兵を置かなければ、その土地を守れない。だから斉の人が薛に城を築くのは国境の城の類で、その土地を守って足場をこしらえ、しだいに滕に迫ろうとするのである。滕の人が恐れないわけがあろうか。そもそも下田や箱館の地は、滕にとっての薛と比べてどうであろうか。私は大いに疑う。「事業を始め、筋道を後に伝えるには、後の者が継げることをする」。事業を始め筋道を伝えるには、継げることをするということに、最も心を付けるべきである。今の藩国について言えば、朝廷を尊び、幕府を敬い、祖先の法にのっとり、多くの士を養い、万民を慈しみ、賢い人材を招き、武備を整えるといったことは、みな継ぐべきことである。「君はあれをどうしようとなさるのか」、この言葉もまた深く考えるべきである。とかく敵国のことは自分の思うようにならないのだから、自分は自分の努めるべきところを努めることが肝要である。それなのに、敵が弱ければいい、衰えればいいと思うのは、みな愚かさの極みである。自分が盛んであれば、どうして敵の盛んなことを恐れよう。自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れよう。自分が盛んで強くなることに努めずに、人の衰えを願う。これが今の人の考えである。悲しいことだ、悲しいことだ。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』実業と士道・此の如き誤解あり由来競争は何物にも伴うもので、その最も激烈を極むるものは競馬とか競漕とかいう場合である。その他朝起きるにも競争がある。読書するにも競争がある。また徳の高い人が徳の低い人から尊重されるにも、それぞれ競争がある。けれどもこれら後の方のものにおいては、あまり激烈なものは認めない。しかるに競馬競漕となると、命を懸けても構わないというほどになる。自己の財産を増すについてもこれと同様で、激烈なる競争の念を起こし、彼よりも我に財産の多からんことを欲する。その極、道義の観念も打ち忘れて、いわゆる目的のためには手段を択ばぬというようにもなる。すなわち同僚を誤り、他人を毀ち、あるいは大いに自己を腐敗する。古語に「富をなせば仁ならず」というのも、畢竟そういう所から出た言葉であろう。アリストートルは「すべての商売は罪悪なり」と言っているそうであるが、それはいまだ人文の開けぬ時代のことで、いかに大哲学者の申し分とあっても、真面目には受け取れない。しかし孟子も「富をなせば仁ならず、仁をなせば富まず」と言っているから、等しく味わうべき言葉である。
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
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説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
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説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯舜由り湯に至るまで、五百有餘歲。禹・皋陶の若きは、則ち見て之を知る。湯の若きは、則ち聞きて之を知る。湯由り文王に至るまで、五百有餘歲。伊尹・萊朱の若きは、則ち見て之を知る。文王の若きは、則ち聞きて之を知る。文王由り孔子に至るまで、五百有餘歲。太公望・散宜生の若きは、則ち見て之を知る。孔子の若きは、則ち聞きて之を知る。孔子由り而來今に至るまで、百有餘歲。聖人の世を去ること、此の若く其れ未だ遠からざるなり。聖人の居に近きこと、此の若く其れ甚しきなり。然り而して有ること無しとせば、則ち亦た有ること無からん。」
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・七百年に蓄積したる動量其メーソニック・サイン明亮なることは、個々の間、暗号を有せずしてなお能く直ちに感通するを得るに足るものあり、となす。武士道の我国民、特に士林に印象したる性格は、之を以て種属の具有する不変の要素を形成するものなりと称するを得ずと雖、なお之れが活力を保有せることは、復た疑を容れず。武士道もしただ物理力に過ぎずとすとも、なお既往七百年の間に蓄積したる動量は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道はただ遺伝によりてのみ継承したりとすとも、其感化の範囲はすこぶる広大ならずんばあらず。試みに思へ、仏国経済学者ケソン氏が、仮に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少くも二千万人の血液を伝ふるものなり』と云へるを。
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