孟子 / 梁惠王章句下
滕文公問曰、滕小國也。竭力以事大國、則不得免焉。如之何則可。孟子對曰、昔者大王居邠。狄人侵之。事之以皮幣、不得免焉。事之以犬馬、不得免焉。事之以珠玉、不得免焉。乃屬其耆老而告之曰、狄人之所欲者、吾土地也。吾聞之也。君子不以其所以養人者害人。二三子何患乎無君?我將去之。去邠、踰梁山、邑于岐山之下居焉。邠人曰、仁人也。不可失也。從之者如歸市。或曰、世守也。非身之所能為也。效死勿去。君請擇於斯二者。
新字:滕文公問曰、滕小国也。竭力以事大国、則不得免焉。如之何則可。孟子対曰、昔者大王居邠。狄人侵之。事之以皮幣、不得免焉。事之以犬馬、不得免焉。事之以珠玉、不得免焉。乃属其耆老而告之曰、狄人之所欲者、吾土地也。吾聞之也。君子不以其所以養人者害人。二三子何患乎無君?我将去之。去邠、踰梁山、邑于岐山之下居焉。邠人曰、仁人也。不可失也。従之者如帰市。或曰、世守也。非身之所能為也。効死勿去。君請択於斯二者。
書き下し
滕の文公、問いて曰く、「滕は、小國なり。力を竭くして以て大國に事うるも、則ち免るるを得ず。之を如何せば則ち可ならん。」孟子對えて曰く、「昔者、大王、邠に居る。狄人、之を侵す。之に事うるに皮幣を以てすれども、免るるを得ず。之に事うるに犬馬を以てすれども、免るるを得ず。之に事うるに珠玉を以てすれども、免るるを得ず。乃ち其の耆老を屬(あつめる)めて、之に告げて曰く、『狄人の欲する所の者は、吾が土地なり。吾、之を聞く。君子は人を養う所以の者を以て人を害せずと。二三子、何ぞ君無きを患えん。我將に之を去らんとす。』邠を去り、梁山を踰え,岐山の下に邑して居る。邠人曰く、『仁人なり、失う可からざるなり。』之に從う者、市に歸(おもむく)くが如し。或いは曰く、『世々の守りなり。身の能く為す所に非ざるなり。死を效すも去る勿れ。』君請う斯の二者を擇べ。」
現代語訳
滕の文公が孟子に尋ねた、 「滕は小国である。国を挙げて大国に仕えても、その侵略から免れることはできそうにない。どうしたらよかろうか。」 孟子は答えた、 「昔、周の大王(古公亶)は邠に居られましたが、異民族が侵入してきました。そこで大王は、毛皮や絹を献上しましたが、侵略を免れることはできませんでした。次いで犬や馬を献上しましたが駄目でした。更に珠や玉の宝石類を献上しましたが、やはり駄目でした。そこで大王は一族の長老たちを集めてお告げになりました、『彼らが望んでいる物は、我が土地である。私はこういうことを聞いている、君子たる者は、人を養う為の物、乃ち土地の為に争って、人を傷つけることはしないものだと。お前たちは私が去ったとしても、君主がいないと云って心配することはない。次の君主が来るのだから。私はここを去ろうと思う。』こうして邠を去り、梁山を越えて、岐山の麓に邑を作り、そこに落ち着きました。すると邠の人々は、あの方こそ仁徳の君主だ。この君を失うことはできない、と言って、大王に従って、まるで市場に出かけるように、ぞろぞろと附いて行きました。これは一つの考え方です。一方、土地は、代々守り継がれてきたものであって、自分の一存で棄て去ることが出来るものではない。たとえ死んでも立ち去るな、と言う考えもございます。王様、どうかこの二つの中から一つをお選びください。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・滕文公章句下陳代曰く、「諸侯を見ざるは、宜(ほとんど)ど小なるが若く然り。今、一たび之を見ば、大は則ち以て王たらしめ、小は則ち以て霸たらしめん。且つ志に曰く、『尺を枉げて尋を直くす。』宜ど為す可きが若し。」孟子曰く、「昔、齊の景公田す。虞人を招くに旌を以てす。至らず。將に之を殺さんとす。『志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うを忘れず。』孔子奚をか取れる。其の招きに非ざれば往かざるを取れるなり。其の招きを待たずして往くが如きは何ぞや。且つ夫れ尺を枉げて尋を直くすとは、利を以て言うなり。如し利を以てせば、則ち尋を枉げ尺を直くして利あらば、亦た為す可きか。昔者、趙簡子、王良をして嬖奚と乘らしむ。終日にして一禽をも獲ず。嬖奚反命して曰く、『天下の賤工なり。』或ひと以て王良に告ぐ。良曰く、『請う之を復びせん。』彊いて後に可く。一朝にして十禽を獲たり。嬖奚反命して曰く、『天下の良工なり。』簡子曰く、『我、女と乘ることを掌らしめん。』王良に謂う。良可かず。曰く、『吾、之が為に我が馳驅を範すれば、終日一をも獲ず。之が為に詭遇すれば、一朝にして十を獲たり。詩に云う、其の馳することを失わざれば、矢を舍ちて破るが如し、と。我、小人と乘ることを貫わず。請う辭せん。』御者すら且つ射る者と比するを羞づ。比して禽獸を獲ること丘陵の若しと雖も、為さざるなり。道を枉げて彼に從うが如きは何ぞや。且つ子過てり。己を枉ぐる者は、未だ能く人を直くする者有らざるなり。」
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孟子・告子章句上孟子曰く、「魚は我が欲する所なり。熊掌も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生も亦た我が欲する所なり。義も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、生を舎てて義を取る者なり。生も亦た我が欲する所なれども、欲する所生より甚だしき者有り。故に苟くも得るを為さざるなり。死も亦た我が惡む所なれども、惡む所死より甚だしき者有り。故に患も辟けざる所有るなり。如し人の欲する所をして生より甚だしきもの莫からしめば、則ち凡そ以て生を得可き者は、何ぞ用いざらんや。人の惡む所をして死より甚だしき者莫からしめば、則ち凡そ以て患いを辟く可き者は、何ぞ為さざらんや。是に由れば則ち生くるも、而も用いざること有るなり。是に由れば則ち以て患いを辟く可きも、而も為さざること有るなり。是の故に欲する所、生より甚だしき者有り、惡む所、死より甚だしき者有り。獨り賢者のみ是の心有るに非ざるなり。人皆之れ有り。賢者は能く喪うこと勿きのみ。一簞の食、一豆の羹も、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。嘑爾(コ・ジ)として之を與うれば、道を行くの人も受けず。蹴爾として之を與うれば、乞人も屑(いさぎよい)しとせざるなり。萬鍾は則ち禮義を辨ぜずして之を受く。萬鍾は我に於て何をか加えん。宮室の美・妻妾の奉・識る所の窮乏者の我に得るが為か。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は宮室の美の為に之を為す。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は妻妾の奉の為に之を為す。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は識る所の窮乏者の我に得るが為にして之を為す。是れ亦た以て已む可からざるか。此を之れ其の本心を失うと謂う。」
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孟子・公孫丑章句下孟子、臣為るを致して歸る。王就いて孟子を見て曰く、「前日、見んことを願いて得可からず。同朝に侍するを得て甚だ喜べり。今、又寡人を棄てて歸る。識らず、以て此に繼いで見るを得可きか。」對えて曰く、「敢て請わざるのみ。固より願う所なり。」他日、王、時子に謂いて曰く、「我、中國にして孟子に室を授け、弟子を養うに萬鍾を以てし、諸大夫國人をして、皆矜式する所有らしめんと欲す。子盍ぞ我が為に之を言わざる。」時子、陳子に因りて以て孟子に告げしむ。陳子、時子の言を以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「然り。夫の時子惡くんぞ其の不可なるを知らんや。如し予をして富を欲せしめば、十萬を辭して萬を受く。是れ富を欲すと為さんか。季孫曰く、『異なるかな子叔疑。己をして政を為さしむ。用いられざれば則ち亦た已まん。又其の子弟をして卿為らしむ。人亦た孰か富貴を欲せざらん。而して獨り富貴の中に於いて、龍斷を私する有り。』古の市為るや、其の有る所を以て其の無き所に易う者なり。有司は、之を治むるのみ。賤丈夫有り。必ず龍斷を求めて之に登り、以て左右望して市利を罔せり。人皆以て賤しと為す。故に從って之を征す。商を征するは、此の賤丈夫自り始まる。」
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史記 伯夷列伝伯夷・叔斉は孤竹の君の二子なり。父、叔斉を立てんと欲す。父卒するに及び、叔斉、伯夷に譲る。伯夷曰く、「父の命なり」と、遂に逃げ去る。叔斉も亦た立つを肯ぜずして之を逃る。国人、其の中子を立つ。是に於いて伯夷・叔斉、西伯昌の善く老を養ふを聞き、盍ぞ往きて帰せざらん、と。至るに及び、西伯卒す。武王、木主を載せ、号して文王と為し、東して紂を伐つ。伯夷・叔斉、馬を叩へて諫めて曰く、「父死して葬らず、爰に干戈に及ぶは、孝と謂ふ可きか。臣を以て君を弑するは、仁と謂ふ可きか」と。左右、之を兵せんと欲す。太公曰く、「此れ義人なり」と、扶けて之を去らしむ。武王、已に殷の乱を平らげ、天下、周を宗とす。而るに伯夷・叔斉は之を恥ぢ、義として周の粟を食らはず、首陽山に隠れ、薇を采りて之を食らふ。餓ゑて且に死せんとするに及び、歌を作る。其の辞に曰く、「彼の西山に登り、其の薇を采る。暴を以て暴に易へ、其の非を知らず。神農・虞・夏、忽焉として没わる。我、安にか適きて帰せん。于嗟、徂かん、命は之れ衰へたり」と。遂に首陽山に餓死す。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「人為さざる有り、而る後以て為す有る可し。」
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孟子・盡心章句上孟子、宋句踐に謂いて曰く、「子、遊を好むか。吾、子に遊を語らん。人、之を知るも亦た囂囂(ゴウ・ゴウ)たり。人、知らざるも亦た囂囂たり。」曰く、「何如なれば斯に以て囂囂たる可き。」曰く、「徳を尊び義を樂しめば、則ち以て囂囂たる可し。故に士は窮しても義を失わず、達しても道を離れず。窮しても義を失わず、故に士は己を得。達しても道を離れず、故に民は望みを失わず。古の人は、志を得れば、澤、民に加わり、志を得ざれば、身を修めて世に見わる。窮すれば則ち獨り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす。」