講孟余話 / 梁惠王下 第十三章
是謀非吾所能及也ニ於テモ亦感アリ、癸丑、亞美理駕使舶ノ來ル、国書ヲ幕府ニ呈ス、幕府乃チ遍ク諸藩ニ示シ、和戰ノ得失ヲ問フ、時ニ劔客斉藤彌九郎曰ク、幕府ノ和議已ニ決ス、凡ソ和戰ノ決ハ大將軍ノ方寸ニアルベシ、幕府眞ニ戰ント欲セハ、必ズ大號ヲ降シテ云ン、亞美理駕ノ無礼斯ノ如シ、吾レ旗下ノ衆ヲ提ケ、以テ其罪ヲ討セントス、天下志ヲ同フスル者ハ來テ力ヲ戮スベシト、果シテ然ラハ和戰ノ二字一朝ニシテ決スベシ、何ゾ小田原評諚ヲ以テセン、今則然ラズ、幕府和議已ニ決ス、尙天下是ヲ非スル者アランコトヲ恐レ、徐ニ夷書ヲ頒示シテ其意ヲ料ルノミト、已ニシテ甲寅ノ春夷舶再ヒ來ル、和議果シテ成ル、余彌九郎ガ卓識ニ服ス、古語ニモ我カ志先ツ定リテ、詢謀スルニ皆同シ、鬼神其倚龜筮協ヒ祐クト、然レハ志ノ定ルト定ラヌト、自ラ断スルニ在ノミ、孟子非吾所及也ノ意蓋シ斯ノ如シ
新字:是謀非吾所能及也ニ於テモ亦感アリ、癸丑、亜美理駕使舶ノ来ル、国書ヲ幕府ニ呈ス、幕府乃チ遍ク諸藩ニ示シ、和戦ノ得失ヲ問フ、時ニ剣客斉藤弥九郎曰ク、幕府ノ和議已ニ決ス、凡ソ和戦ノ決ハ大将軍ノ方寸ニアルベシ、幕府真ニ戦ント欲セハ、必ズ大号ヲ降シテ云ン、亜美理駕ノ無礼斯ノ如シ、吾レ旗下ノ衆ヲ提ケ、以テ其罪ヲ討セントス、天下志ヲ同フスル者ハ来テ力ヲ戮スベシト、果シテ然ラハ和戦ノ二字一朝ニシテ決スベシ、何ゾ小田原評諚ヲ以テセン、今則然ラズ、幕府和議已ニ決ス、尚天下是ヲ非スル者アランコトヲ恐レ、徐ニ夷書ヲ頒示シテ其意ヲ料ルノミト、已ニシテ甲寅ノ春夷舶再ヒ来ル、和議果シテ成ル、余弥九郎ガ卓識ニ服ス、古語ニモ我カ志先ツ定リテ、詢謀スルニ皆同シ、鬼神其倚亀筮協ヒ祐クト、然レハ志ノ定ルト定ラヌト、自ラ断スルニ在ノミ、孟子非吾所及也ノ意蓋シ斯ノ如シ
書き下し
是の謀は吾が能く及ぶ所に非ざるなりに於ても亦感あり。癸丑、亜美理駕の使舶来る、国書を幕府に呈す。幕府乃ち遍く諸藩に示し、和戦の得失を問ふ。時に剣客斎藤弥九郎曰く、幕府の和議已に決す。凡そ和戦の決は大将軍の方寸にあるべし。幕府真に戦はんと欲せば、必ず大号を降して云はん、亜美理駕の無礼斯くの如し、吾旗下の衆を提げ、以て其の罪を討たんとす、天下志を同じうする者は来りて力を戮すべしと。果して然らば和戦の二字一朝にして決すべし、何ぞ小田原評定を以てせん。今は則ち然らず、幕府和議已に決す、尚天下是れを非とする者あらんことを恐れ、徐ろに夷書を頒示して其の意を料るのみと。已にして甲寅の春、夷舶再び来る、和議果して成る。余弥九郎が卓識に服す。古語にも、我が志先づ定まりて、詢謀するに皆同じ、鬼神其れ依り、亀筮協ひ祐くと。然れば志の定まると定まらぬと、自ら断ずるに在るのみ。孟子の吾が及ぶ所に非ざるなりの意、蓋し斯くの如し。
現代語訳
「この策は私の及ぶところではない」という言葉にも、また感じるところがある。嘉永六年(癸丑)、アメリカの使節の船が来て、国書を幕府に差し出した。幕府はそれを広く諸藩に示し、和すべきか戦うべきかの得失を問うた。そのとき剣客の斎藤弥九郎はこう言った。「幕府の和議はもう決まっている。そもそも和か戦かの決断は将軍の胸ひとつにあるべきだ。幕府が本当に戦うつもりなら、必ず大号令を下してこう言うだろう。『アメリカの無礼はこのとおりだ。私は旗本を率いてその罪を討とうと思う。天下の志を同じくする者は来て力を合わせよ』。本当にそうなら、和か戦かは一朝で決まる。どうして小田原評定などするものか。今はそうではない。幕府は和議をすでに決めていて、なお天下にそれを非難する者がいるのを恐れ、ゆっくり外国の書を配ってみなの考えを探っているだけだ」。やがて安政元年(甲寅)の春に外国船が再び来て、和議は果たして成立した。私は弥九郎の見識に感服した。古い言葉にも「自分の志がまず定まってから相談すれば、みな同じ意見になり、神霊もそれに寄り添い、占いも合って助けてくれる」とある。だから志が定まるか定まらないかは、自分で決断するかどうかにかかっているだけである。孟子が「私の及ぶところではない」と言った意味は、思うにこのようなものである。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』盡心上 第四十四章余此の章に因りて一議あり。癸丑甲寅の変に当たりて、余同志と国家天下を憂ひ、共に論じて云く、「身を修めて而る後に家を斉へ、而る後に国を治め、而る後に天下平らかなりと云ふは、一定の論なれども、是れは尋常の事にて、非常を論ずる所以にあらず。且つ今日の事、天下相互に維持するの形勢なれば、天下正論有志の士と謀り、上列侯より下大夫士庶に至るまで、心を協へ、力を戮せ、相共に幕府を諫争し、天朝を尊奉し、外夷を撻伐せんこと然るべし。是れ則ち成己成物、修身・斉家・治国・平天下、一斉に並び下るの工夫、今日の急務なり」とて、東西奔走し、一日も寧処せざりしに、天下吾と志を同じくする者亦少なからず。奈何せん、俗論の輩交々其の議を沮みて云く、「自国だに治まらぬに、争でか天下の列藩と事を謀らんや。争でか幕府を諫争せんや。争でか天朝を尊奉せんや。又争でか外夷を撻伐せんや。宜しく先づ内自ら治むべし」と。此の説遂に頑乎として国是となれり。然れども余を以て思ふに、是れ皆身家を惜しみ、妻子を顧み、分毫も天下国家を憂ふる心なき不忠不孝の徒の言にして、其の徒却つて吾が輩を側目して云く、「事を好むは浪人の常にして世禄の臣の志に非ず」と。噫、天下浪人少なくして世臣多し。是れ其の今日の晦盲否塞を致す所以なるか。悲しいかな、悲しいかな。
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『講孟余話』梁惠王下 第十一章未だ千里を以て人を畏るる者を聞かざるなりの一語、胸を刺すが如し。皇国は東蝦夷に起こり、西琉球に至る、亦小とすべからず。魯西亜・米利堅大なりと雖も、亦何ぞ畏るるに足らん、況んや英吉利・仏蘭西の小なるをや。若し尚恐るる所あらば、内に政教を修め、外に強暴を平ぐること湯の如くんば、天下誰か敢へて吾を忤視せんや。今は則ち然らず、惴々焉として奉承の至らざらんことを恐る。孟子をして我が今日を目せしめば、其れ何とか云はん。在上の君子、読みて此の章に至らば、亦何の面目かある。
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『講孟余話』盡心下 第七章・第八章人の父を殺せば、人我が父を殺し、人の兄を殺せば、人我が兄を殺す。人の父を敬すれば、人我が父を敬し、人の兄を敬すれば、人我が兄を敬す。天下の理勢明白的切斯くの如し。釈氏三世の因果応報を説く、尚浮泛に失す。余孟子を読むことを受けてより二十年、此の章の如きは従来看て尋常の説話とす。癸丑の歳江戸にあり、米虜の変を目撃し、大いに此の章に感慨することあり。相模の浦賀は江戸最要の海関にして、二百年来関を或いは下田に置き、或いは浦賀に置く、時々沿革ありと聞く。天下諸国の船舶運漕の者、其の厳法を畏憚せざるはなし。今乃ち虜舶の出入に至りては、其の法甚だ寛縦にして絶えて譏察せず、絶えて征税せず。盗を揖して門に入れ、賊を延きて堂に登すと同じ。然らば則ち向きの厳法は適に暴を為す所以にして、今の寛法は又暴を禦ぐ所以に非ざるなり。孟子曾て云ふ、「貧の為にする者は、尊を辞して卑に居り、富を辞して貧に居る。悪にか宜しき、関を抱き柝を撃つ」萬章下篇第五章と。浦賀抱関の吏は卑か貧か、固より貧の為にするにて、国の為めにも非ず、民の為にも非ざるか。最も心得難き事どもなり。
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『講孟余話』梁惠王上 首章抑々近世文教日に隆盛、士大夫書を挟み師を求め、兀々孜々たらざるはなし、其の風懿美と云ふべし。吾輩獄中の賤囚、何ぞ喙を其の間に容るることを得んや。然れども今の士大夫、学を勤むる者、若し其の志を論ぜば、名を得んが為めと、官を得んが為めとに過ぎず。然れば功効を主とする者にして、殆んど義理を主とする者と異なり、思はざるべけんや。嗚呼、世に読書の人多くして、真の学者なき者は、学を為すの初め、其の志已に誤ればなり。精を励ますの主多くして、真の明主なき者は、治を求むるの初め、其の志已に誤ればなり。真の学者・真の明主出づるに非ざれば、僅かに順境を語るべくして、未だ逆境を語るべからず。吾輩逆境の人、乃ち善く逆境を説くことを得るのみ。癸丑・甲寅、墨魯の変、皇国の大体を屈して陋夷の小醜に従ふに至る者は何ぞや。朝野の論、戦の必勝なく、転じて変故を滋出せんことを恐るるに過ぎず。是れ亦義理を捨てて功効を論ずるの弊、共に逆境を語るべからざる者に非ずや。世道名教に志ある者、再思せよ三思せよ。
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『講孟余話』公孫丑上 第四章此の章両つの「是の時に及びて」の語を下す。朱註並びに「惟れ日も足らざるの意」と云ふ、最も妙なり、味はふべし。今や東墨西欧駸々として来り逼る、官皆枉げて其の意に適従す。輿地図を披きて是れを検するに、蝦夷のクシュンコタン既に魯人の城塁を築く。松前の箱館、伊豆の下田已に墨人の互市場となる。肥前の長崎、暗払の来航頻々なり。其の他武蔵の神奈川、志摩の鳥羽、摂津の難波等、夷人已に去ると雖も、腥膻の気汗染して未だ去らず。然らば則ち神州の其の汗を受けざる者幾許ぞや。事已に茲に至る、間暇又幾時ぞや。幸に今数年の災を紓ぶ、実は不治の病を護す。是の時に乗じ惟れ日も足らずとして、日夜刻苦勉励、上に在りては其の政教を修め、士大夫に在りては其の学芸を錬り、農工商賈は各々其の業を勤め、務めて牖戸を綢繆し、下民の侮を禦ぐべし。然るに今は然らず、是の時に乗じ惟れ日も足らず日夜般楽怠敖すること何事ぞや。古今同慨なるかな。
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『講孟余話』梁惠王下 第十三章此の章の義熟味すべし。小国を以て両大国の間に挟まるる、是れ大難事なり。楚に事ふれば斉怒り、斉に事ふれば楚怒る、利しき所なし、是れ文公の問なり。孟子対ふ、是の謀は吾が能く及ぶ所に非ざるなりと。是れ徒に推諉の言を為すに非ず。此の事は実に文公の決心より出づるに非ざれば、他人の智慧を借りて行ふ様の事にて遂ぐべきに非ず。然れども聞かんと欲するの心親切にして已むことなきに至りては、亦以て一説を発すべし。斯の池を鑿ち、斯の城を築くとは、茫然手を拱いて備へざるに非ず、防禦の手段を尽くして、不意の伺ふべきなからしむるなり。民と之れを守るとは、上下一致し、君臣相親しみて高城深池を守るなり。死を効して民去らずとは、万一事敗れ城池も人に奪はるるに至らば、君民上下城を枕にして切腹と覚悟を究むることなり。果して是くの如くなれば、是れ為すべきなりとて、斉に事ふることも為すべし、楚に事ふることも為すべし、斉楚共に事へざることもなすべし。是に於て事ふるも事へざるも、其の権我が掌握にあるなり。兵家に籠城の大将心定を説きて、籠城致す上は、負けば必ず切腹と思ひ定むべしと云ふも亦此の義なり。
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