孟子 / 梁惠王章句下
齊宣王問曰:「湯放桀,武王伐紂,有諸?」孟子對曰:「於傳有之。」曰:「臣弒其君可乎?」曰:「賊仁者謂之『賊』,賊義者謂之『殘』。殘賊之人謂之『一夫』。聞誅一夫紂矣,未聞弒君也。」孟子見齊宣王,曰:「為巨室,則必使工師求大木。工師得大木,則王喜,以為能勝其任也。匠人斫而小之,則王怒,以為不勝其任矣。夫人幼而學之,壯而欲行之,王曰:『姑捨女所學而從我』,則何如?今有璞玉於此,雖萬鎰,必使玉人雕琢之。至於治國家,則曰:『姑捨女所學而從我』,則何以異於教玉人雕琢玉哉?」
新字:斉宣王問曰:「湯放桀,武王伐紂,有諸?」孟子対曰:「於伝有之。」曰:「臣弒其君可乎?」曰:「賊仁者謂之『賊』,賊義者謂之『残』。残賊之人謂之『一夫』。聞誅一夫紂矣,未聞弒君也。」孟子見斉宣王,曰:「為巨室,則必使工師求大木。工師得大木,則王喜,以為能勝其任也。匠人斫而小之,則王怒,以為不勝其任矣。夫人幼而学之,壮而欲行之,王曰:『姑捨女所学而従我』,則何如?今有璞玉於此,雖万鎰,必使玉人雕琢之。至於治国家,則曰:『姑捨女所学而従我』,則何以異於教玉人雕琢玉哉?」
書き下し
斉の宣王問ひて曰く、「湯桀を放ち、武王紂を伐つ、諸れ有りや。」孟子対へて曰く、「伝に於て之有り。」曰く、「臣其の君を弑す、可ならんや。」曰く、「仁を賊ふ者之を『賊』と謂ひ、義を賊ふ者之を『残』と謂ふ。残賊の人之を『一夫』と謂ふ。一夫紂を誅するを聞くも、未だ君を弑するを聞かざるなり。」孟子斉の宣王に見えて曰く、「巨室を為らんとすれば、則ち必ず工師をして大木を求めしむ。工師大木を得れば、則ち王喜び、以て能く其の任に勝ふと為す。匠人斫りて之を小さくすれば、則ち王怒り、以て其の任に勝へずと為す。夫れ人幼にして之を学び、壮にして之を行はんと欲す。王曰く、『姑く女の学ぶ所を捨てて我に従へ』と。則ち何如。今璞玉此に有らば、万鎰なりと雖も、必ず玉人をして之を雕琢せしめん。国家を治むるに至りては、則ち曰く、『姑く女の学ぶ所を捨てて我に従へ』と。則ち何を以て玉人に教へて玉を雕琢せしむるに異ならんや。」
現代語訳
斉の宣王が尋ねた。「殷の湯王が夏の桀王を追放し、周の武王が殷の紂王を討伐したというが、本当にそういうことがあったのか。」孟子は答えた。「記録にはそうある。」王は言った。「臣下がその君主を殺してもよいのか。」孟子は言った。「仁をそこなう者を『賊』と言い、義をそこなう者を『残』と言う。残賊の人は『一夫』(ただの男)と言う。一夫である紂を誅殺したとは聞いているが、君主を弑逆したとはまだ聞いていない。」孟子が斉の宣王に謁見して言った。「大きな宮殿を造ろうとすれば、必ず大工の棟梁に大木を探させる。棟梁が大木を手に入れれば、王は喜び、その任に堪える者だと思う。ところが職人がそれを削って小さくすれば、王は怒り、その任に堪えない者だと思う。そもそも人は幼いころから学び、成人してそれを実行したいと願うものである。それなのに王が『しばらくお前の学んだことは捨てて、私に従え』と言ったら、どうなるか。今ここに磨いていない玉の原石があれば、たとえ一万鎰(いつ、重さの単位)の値打ちがあっても、必ず玉細工の職人に彫り磨かせる。ところが国家を治めることになると『しばらくお前の学んだことは捨てて、私に従え』と言う。これでは玉細工の職人に玉の彫り方を指図するのと、どこが違おうか。」
解説
この章句が説くこと
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