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武学啓蒙 / 論・革命なき国の事情と二君の議論

相比すべけれども、湯武以下、聖人の不幸、變に處する權路、革命の勞をみず、此わけにて、萬方の善道、至言、期ざれども、悉く東方に輻湊、我が國用を輔翼ぬれば、右等の直言、さゝわる所なく、易々と行る、實に喜慶邦の、しるしと云べし、西土衰へし代、上は、暴橫、下は、逆亂、孟子云ることあり、諸侯各々僭亂、己れに、かつて、あしき、禮典は、皆削去て傳へずと、禮典の大なるすら、削去と、ならば、己れに、齟齬たる古言を、削去て傳へざるものなからんや、學者、漫に、經書に、みへざるの執拗もいひがたからん、彼上古の、神道より、此等の古言、行るゝにて、あわせみれば、宋の歐陽氏、日本刀歌の、逸書百篇、今尚、日本に存在するの説、誣ざるに似たり、或曰、二君に仕へざるほどのことは、貴戚卿相の道にして、諸士輩の義に、あらずと、予謂ふ、假令、しかるも、殷室をして、比干の仁、多からんかと、うれひしは、きく所にあらず、況や、賢をみては、齊しからんことを思ひ、厚く、みづから責むる、古訓あるをや、されども、世に、幸不幸あり、道に、用捨あり、嫂の手を、とるに、あらざれば、救ふべきなきに、せまるあり、ことさら、聖賢の大業に、いたりては、此を、すて、彼を、とるの權道なきことあたわず、但し行に、日の力を窮めず、遲々として、ゆき玉ひたれば、人も、また云、聖容、喪家狗の如しと、我恐らくは、

新字:相比すべけれども、湯武以下、聖人の不幸、変に処する権路、革命の労をみず、此わけにて、万方の善道、至言、期ざれども、悉く東方に輻湊、我が国用を輔翼ぬれば、右等の直言、さゝわる所なく、易々と行る、実に喜慶邦の、しるしと云べし、西土衰へし代、上は、暴横、下は、逆乱、孟子云ることあり、諸侯各々僭乱、己れに、かつて、あしき、礼典は、皆削去て伝へずと、礼典の大なるすら、削去と、ならば、己れに、齟齬たる古言を、削去て伝へざるものなからんや、学者、漫に、経書に、みへざるの執拗もいひがたからん、彼上古の、神道より、此等の古言、行るゝにて、あわせみれば、宋の欧陽氏、日本刀歌の、逸書百篇、今尚、日本に存在するの説、誣ざるに似たり、或曰、二君に仕へざるほどのことは、貴戚卿相の道にして、諸士輩の義に、あらずと、予謂ふ、仮令、しかるも、殷室をして、比干の仁、多からんかと、うれひしは、きく所にあらず、況や、賢をみては、斉しからんことを思ひ、厚く、みづから責むる、古訓あるをや、されども、世に、幸不幸あり、道に、用捨あり、嫂の手を、とるに、あらざれば、救ふべきなきに、せまるあり、ことさら、聖賢の大業に、いたりては、此を、すて、彼を、とるの権道なきことあたわず、但し行に、日の力を窮めず、遅々として、ゆき玉ひたれば、人も、また云、聖容、喪家狗の如しと、我恐らくは、

書き下し

相比すべけれども、湯武以下、聖人の不幸、變に處する權路、革命の勞をみず、此わけにて、萬方の善道、至言、期ざれども、悉く東方に輻湊、我が國用を輔翼ぬれば、右等の直言、さゝわる所なく、易々と行る、實に喜慶邦の、しるしと云べし、西土衰へし代、上は、暴橫、下は、逆亂、孟子云ることあり、諸侯各々僭亂、己れに、かつて、あしき、禮典は、皆削去て傳へずと、禮典の大なるすら、削去と、ならば、己れに、齟齬たる古言を、削去て傳へざるものなからんや、學者、漫に、經書に、みへざるの執拗もいひがたからん、彼上古の、神道より、此等の古言、行るゝにて、あわせみれば、宋の歐陽氏、日本刀歌の、逸書百篇、今尚、日本に存在するの説、誣ざるに似たり、或曰、二君に仕へざるほどのことは、貴戚卿相の道にして、諸士輩の義に、あらずと、予謂ふ、假令、しかるも、殷室をして、比干の仁、多からんかと、うれひしは、きく所にあらず、況や、賢をみては、齊しからんことを思ひ、厚く、みづから責むる、古訓あるをや、されども、世に、幸不幸あり、道に、用捨あり、嫂の手を、とるに、あらざれば、救ふべきなきに、せまるあり、ことさら、聖賢の大業に、いたりては、此を、すて、彼を、とるの權道なきことあたわず、但し行に、日の力を窮めず、遲々として、ゆき玉ひたれば、人も、また云、聖容、喪家狗の如しと、我恐らくは、

現代語訳

(異国の堯・舜・禹の大道は、わが国と)比べるべきですが、湯・武(殷の湯王・周の武王)以下は、聖人にとって不幸なことで、変事に対処する臨機の道であり、革命の苦労を(日本では)見ません。こういうわけで、万国の善い道や至言が、期待しなくともことごとく東方に集まり、わが国の用を助けるので、右のような直言も差し支えなく、やすやすと行われています。実に喜ばしい国の証というべきです。西の国が衰えた時代には、上は乱暴で、下は逆らい乱れました。孟子が言うことには、「諸侯はそれぞれ分を越えて乱れ、自分にとって都合の悪い礼典は、みな削り去って伝えなかった」とあります。礼典の大きなものさえ削り去るなら、自分に食い違う古言を削り去って伝えないものがないでしょうか。学者が、むやみに経書に見えないと固執するのも、もっともとは言いがたいでしょう。あの上古の神道から、これらの古言が行われていることを合わせて見ると、宋の欧陽氏の「日本刀歌」にある、逸書百篇が今なお日本に存在するという説も、偽りでないようです。ある人が言うには、「二君に仕えないほどのことは、貴戚や卿相の道であって、諸士たちの義ではない」と。私は思います。たとえそうだとしても、殷の王室に比干の仁の人が多からんことを憂えたとは、聞いたことがありません。まして、賢者を見ては自分も同じようになりたいと思い、厚く自らを責めよという古訓があるのですから。しかし、世には幸不幸があり、道には用いることと捨てることがあります。嫂の手を取らなければ救えない場合に迫ることがあるのと同じで、とりわけ聖賢の大業に至っては、これを捨てて彼を取る臨機の道がないではありません。ただし、行いに日の力を窮めず、ゆっくり進まれたので、人もまた「聖人の姿は喪家の狗のようだ」と言いました。私は恐らく、

解説

前条に続く注釈で、西の国の古い教えが日本にもよく伝わり、直言が行われやすい国だと述べます。国柄を誇る見方は当時の主張として読むべきですが、後半には現代にも通じる問いがあります。それは、二君に仕えぬ義は上位の者だけの道か、一般の士にも当てはまるかという議論です。著者は、賢者に学び自らを責める古訓がある以上、士にも当てはまると考えます。管理職は、規範を役職の上下で線引きせず自分にも課す姿勢と、例外を認める臨機の判断との釣り合いを考えるとよいでしょう。
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この章句が説くこと

『武学啓蒙』力丸東山革命二君孟子権道

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