講孟余話 / 梁惠王下 第七章
此章賢ヲ進ムルノ道ヲ論スルコト甚尽セリ、凡ソ古ハ黜陟賞罰皆衆論ノ公ヲ取ル、後世ハ則然ラズ、故ニ往々請詫賄賂ノ私アルニ至ル、明君賢相苟モ是ニ察スルコトアリテ、虞廷ノ二十二臣ヲ命スル如ク、朝堂ニ大會シテ是ヲ議セハ、公議因テ伸ルコトヲ得ン、最モ舍ヲ道邊ニ作ル三年成ラズト云ヘハ、已ニ遍ク衆議ヲ聞ク上ハ、自ラ察シ其賢ト不可トヲ見ルコト最モ要トス、抑周代ハ世祿ノ制ナレトモ、戰国ニ降リ已ニ頽壞シ、斉国ノ大ニテモ世臣ナキニ至ル、本朝世祿ノ制、其優厚周制ノ比スヘキニ非ズ、然レハ我朝ノ今日ニ生レ、祿ヲ世々スル者ハ、大小上下ニ限ラズ皆世臣ナリ、然レトモ世臣ト云モ徒ニ祿ヲ世々スルヲ云ニ非ズ、註ニ云如ク與国同休戚者ナレハ、凢ソ今日ニ生レ世祿ノ澤ニ浴スル者ハ、一身ノ憂樂ヲ捨テ、国家ノ休戚ヲ以テ吾ガ休戚トナスヘキコト論ヲ待タズ、苟モ此志ナキ者ハ人ニ非サルナリ
新字:此章賢ヲ進ムルノ道ヲ論スルコト甚尽セリ、凡ソ古ハ黜陟賞罰皆衆論ノ公ヲ取ル、後世ハ則然ラズ、故ニ往々請詫賄賂ノ私アルニ至ル、明君賢相苟モ是ニ察スルコトアリテ、虞廷ノ二十二臣ヲ命スル如ク、朝堂ニ大会シテ是ヲ議セハ、公議因テ伸ルコトヲ得ン、最モ舎ヲ道辺ニ作ル三年成ラズト云ヘハ、已ニ遍ク衆議ヲ聞ク上ハ、自ラ察シ其賢ト不可トヲ見ルコト最モ要トス、抑周代ハ世禄ノ制ナレトモ、戦国ニ降リ已ニ頽壊シ、斉国ノ大ニテモ世臣ナキニ至ル、本朝世禄ノ制、其優厚周制ノ比スヘキニ非ズ、然レハ我朝ノ今日ニ生レ、禄ヲ世々スル者ハ、大小上下ニ限ラズ皆世臣ナリ、然レトモ世臣ト云モ徒ニ禄ヲ世々スルヲ云ニ非ズ、註ニ云如ク与国同休戚者ナレハ、凢ソ今日ニ生レ世禄ノ沢ニ浴スル者ハ、一身ノ憂楽ヲ捨テ、国家ノ休戚ヲ以テ吾ガ休戚トナスヘキコト論ヲ待タズ、苟モ此志ナキ者ハ人ニ非サルナリ
書き下し
此の章賢を進むるの道を論ずること甚だ尽くせり。凡そ古は黜陟賞罰皆衆論の公を取る。後世は則ち然らず、故に往々請託賄賂の私あるに至る。明君賢相苟も是れに察することありて、虞廷の二十二臣を命ずる如く、朝堂に大会して是れを議せば、公議因りて伸ぶることを得ん。最も舎を道辺に作る、三年成らずと云へば、已に遍く衆議を聞く上は、自ら察し其の賢と不可とを見ること最も要とす。抑々周代は世禄の制なれども、戦国に降り已に頽壊し、斉国の大にても世臣なきに至る。本朝世禄の制、其の優厚周制の比すべきに非ず。然れば我が朝の今日に生まれ、禄を世々にする者は、大小上下に限らず皆世臣なり。然れども世臣と云ふも、徒に禄を世々にするを云ふに非ず。註に云ふ如く国と休戚を同じうする者なれば、凡そ今日に生まれ世禄の沢に浴する者は、一身の憂楽を捨て、国家の休戚を以て吾が休戚となすべきこと論を待たず。苟も此の志なき者は人に非ざるなり。
現代語訳
この章は、賢者を登用する道を論じ尽くしている。およそ昔は、官職の上げ下げや賞罰はみな多くの人の公平な議論によった。後世はそうではないので、しばしば頼みごとや賄賂といった私情が入るようになった。名君や賢い宰相がこのことに気づいて、舜の朝廷で二十二人の臣を任命したように、朝廷に大勢を集めて議論すれば、公の議論がそれによって通るだろう。ただ、「家を道ばたに建てようとして通行人に相談すると、三年たっても建たない」と言うように、広く多くの意見を聞いたうえは、自分でよく見極めて、その人が賢いか不適かを見定めることが最も大切である。そもそも周代は代々俸禄を受ける制度だったが、戦国時代に下るとすでに崩れ、斉のような大国でさえ代々仕える臣がいなくなった。わが国の世禄の制度は手厚く、周の制度とは比べものにならない。だからわが国の今日に生まれ、代々禄を受ける者は、身分の大小上下にかかわらず、みな代々の臣(世臣)である。しかし世臣とは、ただ禄を代々受けることを言うのではない。注に言うように、国と喜びも憂いも共にする者であるから、およそ今日に生まれて世禄の恵みを受ける者は、自分一身の憂いや楽しみを捨て、国家の喜び憂いを自分の喜び憂いとすべきことは言うまでもない。もしこの志がない者は、人ではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公二十二年 国卿は君の弐十二月、鄭の游販將に晉に歸らんとす。未だ竟を出でずして、妻を逆ふる者に遭ひ、之を奪ひて、以って邑に館す。丁巳、其の夫子明を攻めて之を殺し、其の妻を以って行く。子展良を廢して大叔を立てて曰く、「國卿は、君の貳なり、民の主なり。以って苟にす可からず。請ふ子明の類を舍てん」と。亡妻者を求め、其の所に復さしむ。游氏をして怨むこと勿からしめて曰く、「惡を昭らかにすること無かれ」と。
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『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
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尚書・周官能く其の官にあたる者を挙ぐるは、惟れ爾の能なり。其の人に匪ざるを称ぐるは、惟れ爾の不任なり。」王曰く、「嗚呼(ああ)!三事暨び大夫、爾の有官を敬し、爾の有政を乱(をさ)めよ。以て乃の辟を佑け、永く兆民を康んじ、万邦惟れ斁(いと)ふこと無からしめよ。」
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