講孟余話 / 梁惠王下 第六章
友ノ詫ヲ受ケナガラ、其妻子ヲ凍餒セシムルハ、人情ヲ忘ルヽナリ、士師士ヲ治ムル能ハサルハ、職分ヲ棄ルナリ、而シテ国君天ノ詫ヲ受ケ万民ヲ養フ、却テ是ヲ凍餒セシム、豈徒ニ友人ノ妻子ヲ凍餒スルノミナランヤ、天ノ命ヲ奉シテ万民ヲ治ム、而ルニ却テ是ヲ擾乱セシム、豈徒ニ士師ノ士ヲ治ル能ハサルノミナランヤ、誠ニ人情ヲ思ヒ職分ヲ思ヒ、内ニ自ラ省スルアラバ、固ヨリ面低レテ言ナカルヘシ、今王ハ則左右ヲ顧ミテ他ヲ言フ、吾レ千歲ノ後ニ生レ、書ヲ読茲ニ至リ、直ニ唾罵セント欲ス、但宣王ノ骨朽ルコト已ニ久シ、論スル共益ナシ、吾徒事ニ臨ム每ニ、且ハ職分ヲ思ヒ、且ハ人情ヲ思フ時ハ、過擧ナキニ庶幾カランカ
新字:友ノ詫ヲ受ケナガラ、其妻子ヲ凍餒セシムルハ、人情ヲ忘ルヽナリ、士師士ヲ治ムル能ハサルハ、職分ヲ棄ルナリ、而シテ国君天ノ詫ヲ受ケ万民ヲ養フ、却テ是ヲ凍餒セシム、豈徒ニ友人ノ妻子ヲ凍餒スルノミナランヤ、天ノ命ヲ奉シテ万民ヲ治ム、而ルニ却テ是ヲ擾乱セシム、豈徒ニ士師ノ士ヲ治ル能ハサルノミナランヤ、誠ニ人情ヲ思ヒ職分ヲ思ヒ、内ニ自ラ省スルアラバ、固ヨリ面低レテ言ナカルヘシ、今王ハ則左右ヲ顧ミテ他ヲ言フ、吾レ千歳ノ後ニ生レ、書ヲ読茲ニ至リ、直ニ唾罵セント欲ス、但宣王ノ骨朽ルコト已ニ久シ、論スル共益ナシ、吾徒事ニ臨ム毎ニ、且ハ職分ヲ思ヒ、且ハ人情ヲ思フ時ハ、過挙ナキニ庶幾カランカ
書き下し
友の託を受けながら、其の妻子を凍餒せしむるは、人情を忘るるなり。士師士を治むる能はざるは、職分を棄つるなり。而して国君は天の託を受け万民を養ふ、却つて是れを凍餒せしむ、豈に徒に友人の妻子を凍餒するのみならんや。天の命を奉じて万民を治む、而るに却つて是れを擾乱せしむ、豈に徒に士師の士を治むる能はざるのみならんや。誠に人情を思ひ職分を思ひ、内に自ら省みるあらば、固より面低れて言なかるべし。今王は則ち左右を顧みて他を言ふ。吾千歳の後に生まれ、書を読み茲に至り、直ちに唾罵せんと欲す。但だ宣王の骨朽つること已に久し、論ずるとも益なし。吾が徒事に臨む毎に、且つは職分を思ひ、且つは人情を思ふ時は、過挙なきに庶幾からんか。
現代語訳
友人の頼みを受けておきながら、その妻子を凍えさせ飢えさせるのは、人情を忘れることである。裁判官が部下を治められないのは、職分を捨てることである。そして国の君主は、天の託しを受けて万民を養う立場なのに、かえって民を凍えさせ飢えさせている。それはただ友人の妻子を凍え飢えさせることの比ではない。天の命を奉じて万民を治める立場なのに、かえって国を乱している。それはただ裁判官が部下を治められないことの比ではない。本当に人情を思い職分を思って、内に自らを省みれば、もちろん顔を伏せて言葉もないはずである。ところが王は左右の者を振り返って、ほかの話をした。私は二千年も後に生まれ、書を読んでここに至り、すぐにでもののしりたくなる。ただ宣王の骨はとうに朽ちているので、論じても益はない。私たちが事に臨むたびに、職分を思い、人情を思えば、誤った行いはほとんどなくなるだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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司馬法・天子之義上苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の過ちを悔ゆ。下苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の罪に遠ざかる。上下悪を分かつこと此くの若きは、譲の至りなり。
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『家道訓』巻之四・用財上一士として、財利をむさぼり、吝嗇にして廉恥の志なく、親戚故旧の貧窮をめぐまず、われにしたしき人、我が采地の農人などの飢饉を見ても、心つよくしてすくはず。親戚朋友の礼義をつとめず。或は、あたふべき者にあたへず、取るまじき物をとり、人の財を用ひてつぐのはず。もしこの事我が身に一もあらば、是をいましむべし。人のよきあしきを見るも、皆我が身のかがみなり。善を見ては是を学び、悪を見ては我が身にも是ありやとかへりみるべし。如此すれば、人の善悪を見て、皆我か身の益となる。人の悪しきを謗らずして、我が身を省るべし。およそ鰥寡孤独貧窮にしてたよりなきもの、我が分にしたがひ、力の及ぶほどはすくふべし。これをすくふに財ををしむべからず。
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『学則』答安澹泊書蘐園随筆の如き者は、不佞昔年、暑を消して漫りに書し、聊か以て自ら娯しむ。本と以て諸を大方の君子に公にするに非ず。誤りて剞劂に墜ち、遂に本心に背く。且つ其の時、旧習未だ祛らず、見識未だ定まらず、客気未だ消えず。今より之を観れば、懊悔殊に甚だし。忽ち奨借を承け、啻に顙に泚するのみならず。蓋し不佞少小の時、已に宋儒の説の六経に於て合はざる者有るを覚ゆ。然れども已に儒を業とす、此に非ざれば則ち以て時に施す無し。故に口に任せ意に任せ、左支右吾す。中宵自ら省み、心甚だ安からず。随筆に云ふ所は、乃ち其の左支右吾の言なり。何ぞ論ずるに足らんや、何ぞ論ずるに足らんや。
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史記 秦本紀繆公客礼を以て之を礼し、戎を伐つの形を問ふ。三十六年、繆公復た益孟明等を厚くし、兵を将ゐて晋を伐たしむ。河を渡りて船を焚き、大いに晋人を敗り、王官及び鄗を取り、以て殽の役に報ゆ。晋人皆城守して敢へて出でず。是に於て繆公乃ち茅津より河を渡り、殽中の尸を封じ、為に喪を発し、之を哭すること三日。乃ち軍に誓ひて曰く、「嗟士卒、聴きて譁しき無かれ、余誓ひて汝に告ぐ。古の人は謀るに黄髪番番たるに則れば、則ち過つ所無し」と。以て蹇叔・百里傒の謀を用ゐざりしを申思す。故に此の誓を作り、後世をして以て余が過ちを記さしむ。君子之を聞き、皆為に涕を垂れて、曰く、「嗟乎、秦の繆公の人に与すること周きや、卒に孟明の慶を得たり」と。三十七年、秦由余の謀を用ゐて戎王を伐ち、国を益すこと十二、地を開くこと千里、遂に西戎に霸たり。天子召公過をして繆公を賀するに金鼓を以てせしむ。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「人を愛して親しまずんば、其の仁に反れ。人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。人を禮して答えずんば、其の敬に反れ。行いて得ざる者有れば、皆諸を己に反求す。其の身正しければ天下之に歸す。詩に云う、『永く言、命を配し、自ら多福を求む。』」
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『講孟余話』公孫丑下 第四章牛羊の喩へ甚だ好し。牛羊は人家に畜ふ所にして、一日も牧と芻となければ済まざるは人々知る所なり。況や民庶に至りては牛羊の比すべきに非ず。而るに窮民街に叫び、餓莩途に充つれども、却つて是れを知らず、是れを顧みず、是れ大いに怪しむべきに非ずや。是れ他なし、民を視ること牛羊に如かず、民を親しむこと牛羊に如かざるに由るなり。噫、民を牧する者、能く牛羊を牧するの心を以てせば、不仁の譏りを免れんか。若し夫れ罪を知りて改めざる者は、真に如何ともすべからざるの人なり。人の患は罪を犯して罪を知らざるにあり、是れ誠に憐むべし。今他人ありて其の罪を告げ知らしむ、其の人自ら罪を知る、而るに猶ほ且つ改めず、然れば則ち又更に告ぐべき様なし。世間を歴観するに此くの如きの人甚だ多し。共に忠孝仁義の美なるをも知り、不忠不孝不仁不義の悪なるをも知りつれども、其の行を省みれば、一つとして忠孝仁義に似たることなき者あり。是れ罪を知りて改めざる者にして、孔距心・宣王の流なり。
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